2002年3月17日日曜日

森圭吾&髙橋聖純デュオコンサート

演奏会の感想にコンサートの模様は書いた。もっとも後から書いているので、あのときの細かなニュアンスまでは覚えておらず小学生の感想みたいになってしまったが・・・・さて、ここでは演奏の合間のQ&Aでのフルートに関することを書いておこう。

アルタスフルートに関して、森さんが持論を展開してくれた。

いわく


「フルーティストは大きな音の出る楽器と小さな音の出る楽器を並べられたら、間違いなく大きな音の楽器を選ぶ。だからメーカーもその要望に答えようと、アンダーカットやオーバーカットに工夫を重ねてきた。結果として大きな音は出るが、響きが損なわれる結果となった」

「響きを損なわないように、アルタスと一緒になって色々と改良を加えてきたのが今の楽器だ。吹いてみると分かるが、鳴り難いと感じるかもしれない、しかしポイントに正しく当たったら非常によい響きが得られる」

「息の弱い人(という表現だったかは覚えていない)は、金とかプラチナの楽器を吹くべきではない、それらは相応のパワーを必要とする」

「リングとカバードの違いは、キーに穴が空いているか空いていないかである、そんなに音が違うと気にするほどではない」

「アルタスの森モデルは、いくつかのキーがリングキーであってもオフセットされている。プロはミスが許されない、ミスをしないように楽器を改良している」

「響きを得るためには力いっぱい吹いてもダメである。力むだけでは音のキャパが狭い。遠くに響くようにと念じて綺麗な音をイメージする。例えばフォーレのファンタジーのような出だしの音を」

「楽器の三点支持というのは、正しいが理想的すぎる。私は楽器を下から支えている」 髙橋さんは「小指も使って強く押さえつけている」


いちいち納得のゆく話しであるし、始めて耳にする考え方でもない。むしろ心ある演奏者なら誰でもが同じことを言っているに過ぎないとさえ思う。演奏を聴きに来ている人のレベルに合わせた話ということもあるため、その全てを鵜呑みにすることもできないとは思うものの、世の中の大多数の考え方と違うことはないと思う。

そう思ったときに不思議な思いにとらわれる。ではどうして結果としての楽器のあり方や演奏に、かくも違いが出ているのかと。素人の私には想像もできない深い世界が言葉の裏側に横たわっていることを垣間見せてくれるトークであった。



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