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2002年4月10日水曜日

音楽を聴くときのボリューム

音楽を聴くときのボリュームというのは、どのくらいに設定して聴かれているだろうか。オーディオルームでもない限り、大音量でステレオを鳴らすことができないのが現実だろう。

ホールで聴く音量というのは想像以上に大きく、それを自宅で再現しようとした場合、家人や近隣から苦情がくることは覚悟しなくてはならない。特にブル・マラ・タコ(それにR・シュトラウスを加えても良いが)は、満足のゆく音量で聴くことは難しい。

高性能のヘッドフォンを使用するという方法もあるが、ヘッドフォンでは鼓膜しか振動しない。バスドラムように空気や建物から低周波の振動として伝わるような迫力は再現できないものだ。

ある種の音楽や演奏には「適切なる=演奏イメージに合致した」音量というのは必要だと思う。自宅でボリュームを上げることができない場合は、苦肉の策としてカーステレオでボリュームを上げて聴いたりするのだが、そうすると全く違う世界が現出して、驚いたり、あらたな感動を覚えたりすることも少なくない。ただし、かなり寂しく、クライ感動であることは認めるが・・・(^^;;

今回、ゲルギエフの「展覧会の絵」のレビュを書くに当たっても、最初はヘッドフォン(それでも3万円以上のシロモノだが)で聴いていたのだが、どうも感動できない。止む無くクルマの中ででボリュームを上げて聴いてみた。すると、その大音量により全く姿を変えて再現された音楽の凄まじさの前では、もはやひれ伏すしかなく、ほとんど思考停止状態に陥ってしまった。(わざわざこのCDを聴くためにクルマに乗ったのではないことは付記しておくが)

難しいのは「適切な音量」と言うことで、ホールで聴く以上の(難聴になりそうな)音量を求めてはいけない。そこのバランスは難しい。ともすると、「大音量が出ていればそれでよい」という乱暴で雑な聴衆に陥りかねないからだ。やはり時々は演奏会に出かけて、生演奏の迫力や弱音での微妙なニュアンスを聴かなくては、CDヲタクになってしまうと思うのであった。


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