2007年4月2日月曜日

パトリック・ジュースキント:香水


映画「パフューム~ある人殺しの物語」の原作は1985年にパトリック・ジュースキントによって書かたベストセラー小説です。映画を観た後読んでみたのですが、かなり印象が異なります。


映画と小説を比べることは愚で、それらは別物と考えた方が良いことは本書においても変わらないことは承知しているものの、それでも比べてしまうのですよね。主人公グルヌイユの描き方が余りにも異なりますので。小説では生まれながらにして「悪意」を持った存在として明確に描かれます。誤って殺してしまった少女の香りを再現したい、などというメルヘンチックな結論に至るお話しではありません。





人間離れした嗅覚とブレンドさせる天才的能力を持ったグルヌイユは、香りの持つ「力」に気付いて以来、匂いの創造者として、香りで他者を支配するという野心のため現在を耐える人生を選択します。作者が何度も書いているように、彼はまさに「毒虫」。人間的な感情、神などというものははなから理解していません。



彼の作り出した究極の香水も、全く神聖とか崇高な効果などは上げていない。処刑場での奇跡の場面では、


誰もが青い服の小男によって、自分の一番敏感なところをまさぐられ、しっかと掴まれたような気がした。性的な中心に命中。


そして誰彼構わずの大乱交。万余の人間の饗宴。地獄絵さながらの光景だったというのが小説の描写。


しかし、その中で彼は残酷な事実に気付くことになります。自分こそ神と勝利を味わったその直後に、自分の人間に対する憎悪さえも、彼らから憎悪を持って反応されないことに。再度に渡る存在の否定。一度目は生れ落ちた直後に母親から。ニ度目は自分に体臭がないということに起因する自己による存在の否定、そして三度目の支配したはず他者からの絶対的な存在の否定、純粋さと恐るべき孤独。もはや彼に残された道は、ラストに至る道しかないと考えたのはごく自然です。


それにしても、ジュースキントのこの小説、あらゆるところに悪意に満ちたウィットが散りばめられています。こういうセンスがドイツ人のユーモアなんでしょうか(黒すぎる)。パリに戻ってのラストシーンも小説こそ強烈。彼が一筋もあまさず地上から消え失せていた。という事が「意味」していたもののおぞましさと後味の悪い「笑い」!


しかし「匂い」というものに、これほどまでに拘ること、更には体臭と個の存在をこれ程まで強烈に結びつける文化は日本にはないように思えます。