- 西区文化フェスタ2001
- 古畑亜紀のモダントランペットコレクション
- 日時:2001年2月27日(火)18:30会場 19:00開演
- 場所:札幌市西区パトス文化フェスタ
- トランペット 古畑 亜紀
- ピアノ 石橋 克史、豊口 健
- チェロ 荒木 均(札幌交響楽団チェロ奏者、客演)
- イベール トランペットとピアノの為の「即興曲」
- バッハ 無伴奏チェロ組曲 第5番よりサラバンドBWV1011~チェロ独奏
- タイガー大越 WORLD TO ME~トランペットとチェロとピアノのための(編曲 豊口健)
- ボザ トランペットとピアノの為の「ルステイーク」
- ドビュッシー 前奏曲集第2集より「枯葉」「水の精」「喜びの島」~ピアノ独奏
- ピルス トランペットとピアノの為のソナタ
古畑亜紀さんのトランペットを聴きに行って来た。古畑さんは自らのホームページも有する札幌でご活躍中の若手トランペッターである。
古畑さんを聴くのは昨年10月のリサイタルに続き二度目である。今回は、西区文化フェスタの一環でのコンサート。場所は地下鉄琴似駅から直結のPatosというイベントホール。スタジオをでかくしたような作りで、詰め込むと150人くらいまで収容可能。ステージはなく、演奏者を折りたたみ椅子の席でコの字形に囲んだ配置で、非常にアットホームな雰囲気のコンサートが期待された。
ホール自体は、壁がコンクリートブロック、天井はダクトや配管剥き出しのロフト状態であるため、かなり響くのかと思ったら、逆にデッドな様子。壁の後ろからは、地下鉄の音(?)がコトコト聴こえる。クラシック系の生演奏にはちょっとつらいかなという印象を受けたので、席はピアノ奏者を斜め後ろから見る位置をキープした。
用意された曲目は、近代物が中心のプログラム。チェロとピアノ独奏曲以外はあまりなじみのない作曲家だ。ピルスというのは名前さえ初めて聞く。
演奏は静かにイベールから始まった。イベールといえば管弦楽組曲「寄港地」とか、「フルート協奏曲」などが有名であるが、「即興曲」というだけあって、それこそアットいう間に終わってしまった。その後は札響のチェロ奏者 荒木さんによる独奏。プログラム構成上ちょっと物足りなさを感じながらも荒木さんの音色にはまり込む。無伴奏チェロはサラバンドだけであったが、バッハはいつ聴いても敬虔な気持ちを蘇らせてくれる。自分たちが悠久の時間の流れの中のひとつの泡沫でしかないことを思い出させるのだ。(うーん、これはキリスト教の概念じゃあないな・・・)
次は打って変わって、ジャズピアニスト豊口さん、チェロの荒木さん、そして古畑さんによるタイガー大越さんの作品が二曲奏された。これは良かった。トランペットとピアノによるJazzyな響きを聴くと、体の奥底に眠っていたものが再び呼び起こされるかのような気になってしまう。チェロが入ってどういう響きになるのかと興味深かったが、バスの役割と声部の役割を見事に演じ分け、豊口さんのピアノと相まって非常にスリリングな演奏であった。1×年前くらいに、東京の六本木 Pit In とかうろうろしていた頃を思い出す。
トリオ最後のBad Dreamは、古畑さんの思いが詰まった非常に美しい曲であった。切なさや憧れなどいろんなものが聴こえてくる、バックの二人のサポートもすばらしい。いま思い出すと、ラフマニノフの交響曲第2番のアダージョ楽章をふと彷彿させるような、甘くそれでいて胸が締め付けられるような曲調だ。この演奏がこのコンサートのひとつの山場だったと思う。
休憩をはさんでのボザは、途中でジャズが入ったせいか会場の雰囲気の緊張も解け、音楽に入り込みやすかった。石橋さんのドビュッシーは、ドビュッシーという作曲家が前衛以外の何者でもないことを改めて認識させてくれた。ドビュッシーは印象派というレッテルが貼られているが、確かに彼の曲を聴くと色々な色彩を思い浮かべるものだ。
最後のピルスは、このコンサートで一番良かったと思う。初めて聴く曲という新鮮さもあったが、古畑さんも非常に伸びやかに奏していたのではないだろうか。美しくそしてかっこいい曲であった。2楽章の雰囲気も良く、満足いく快演奏という感じ。
石橋さんのピアノもすばらしい伴奏だったと思う。ピアノ伴奏というと、ピアノばかりが目立ったり主張したりする演奏というのもあるのだが、良い意味で一歩下がってサポートしているという印象を受けた。また、私はよくフルートのリサイタルに行くのだが、ともすると独奏フルートがピアノに負け気味になったり、ピアノ萎縮気味に抑えたりすることがある。その点、トランペットくらいになると、ピアノと遜色なく堂々と渡り合えるのだなあと妙な関心をした。(実際は違うかもしれないよ、素人の浅はかな感じ方です)
アンコールなしの1時間40分ほどのコンサートであったが、プログラム構成の妙か、当日の客層を考えると成功だったのではなかろうかと思う。(西区文化フェスタというイベントであるため、近所に住むオバチャンたちが多い感じを受けた)
古畑さんの語りも交えての演奏であったが、あのような会場では「語り」を聴衆、少なくとも私ははどうしても期待してしまうものだ。言葉による過度の語りは、音楽で語るという行為をないがしろにしてしまうためバランスが難しと思うが、あれは良かったと思う。語りが入ることで、聴衆と演奏者の一体感は急速に密になるものだ。ライブな空間において、聴衆の雰囲気が演奏者にどんな影響を与えるのかは素人の私になど知る由もないが、聴く側にとっても演奏者の温度をじかに感じ取ることのできる瞬間であり、演奏を聴くのと同じように貴重な体験である。
だらだらと書いてしまったが、これからも古畑さんには頑張ってもらいたい(て書くとなんだか偉そうに響くが、そういうつもりはないのでご了承ください)。願わくは、良いホールでの近現代物のプログラムや、暗く狭く猥雑な空間でのJazzyなライブも聴いてみたいと思い会場を後にした。
~うーん、しかし表現が硬いなあ、悪評高き新聞評論みたいにならないことを心がけなくては・・・・