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2005年9月2日金曜日

保坂正康:「あの戦争は何だったのか」


9月2日です。日本が東京湾上のミズリー号で降伏文書に調印した日であり、真の意味での「敗戦記念日」です。

果たして私を含め日本人の多くはは、アジアに対する戦争責任とか以前に、ポートモレスビー、ミッドウェー、ガダルカナル、ラバウル、トラック島、インパール、レイテ島などの激戦地を地図上で正しく示すことができるだろうかと改めて思いました。知らないとしたならば、それほどに日本近代の歴史について無知でありすぎるのだと。

この書には、日本が戦争をせざるを得ない状況に追い込まれた時代の雰囲気、軍部(軍部とは何かについても「第一章 旧日本軍のメカニズム」として記述をしている)の暴走から敗戦になだれ込むまでの経緯が、天皇や当時の人たちの話しをまじえながら淡々と描かれています。その意味から、「大人のための歴史教科書」という副題はあながち誇称ではないと思います。

本書は「歴史教科書」とうたわれていますが、いわゆる自虐史観云々から声高に侵略の歴史を正当化するようなものではありません(戦後の「反戦、平和主義」にも「新しい歴史教科書」派のどちらにも批判的)。ひとえに、

あの戦争にはどういう意味があったのか、何のために三一〇万人もの日本人が死んだのか、きちんと見据えなければならない(「はじめに」P.9)

というのが主旨です。私が日本近代史に疑問に思い続けていることを、そのまま文章にしてくれたような本でありました。ではなぜ私が近代日本史に疑問を持ち続けているかといえば、おそらく戦争に至った日本のありようは、今も継続しているのではないかと感じているからです。それは現代のプチ右傾化の政治風土というようなものではなく、もっと深く日本の組織風土、会社風土にまで根付いたもののように思えるときがあるからです。

はからずも著者は「あとがき」で次のように記述しています。

あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。(中略)その何かは戦争というプロジェクトだけではなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、今なお現実の姿として指摘できるのではないか(「あとがき」P.240 太字は本文では傍点)

たとえばターニングポイントとなった時期の状況について、

危機に陥ったときこそもっとも必要なものは、対局を見た政略、戦略であるはずだが、それがすっぽり抜け落ちてしまっていた。大局を見ることができた人材は、すでに「ニ・ニ六事件」から三国同盟締結のプロセスで、大体が要職から外されてしまい、視野の狭いトップの下、彼らに逆らわない者だけが生き残って組織が構成されていた。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」は日露戦争を描き、広く国民に明るい近代史とナショナリズムを植え付けた意味で画期的な本でした。しかし司馬は日露戦争の日本を描きながら、暗に昭和の日本を照射していました。明らかに明治の陸軍と昭和の陸軍は別物であったという認識です。

保坂氏も陸軍や東條の無能さを指摘してはいます。しかし常識であった「陸軍の暴走」に対し、太平洋戦争開戦について、最初に責任を問われるべきなのは、本当は海軍(「第ニ章 開戦に至るまでのターニングポイント」P.92)は意外な視点でした。真珠湾はアメリカに仕組まれたものであったとの説もありますが(保坂氏はそのスタンスに立たず)、日本の石油備蓄量と続くABCD包囲網は、海軍が仕組んだ結果であったとは・・・! もっとも保坂氏は戦争の責任を陸軍や海軍にのみ転嫁せず、当時の思考麻痺に陥ったマスコミを始めとする日本の状況にも言及しています。

また、当時の天皇のスタンスについてもかなり言及されており、保坂氏の資料が正しければ天皇は最後の本土決戦回避に向け非常に重要な役割を果たしたことが伺えます。

歴史事実や歴史認識に「客観的事実」は存在しないとは思うものの、歴史を正視する努力は怠ってはならないはずです。かようにこの本は、「戦争に対する説明責任」「日本を滅ぼそうとした政策に対する責任」、さらには現在の日本人の姿までを考えさせる良書であると言えましょう。(って私が推薦したところで、どうなるものでもないが)

太平洋戦争で将棋のコマのように犬死させられた無名の日本兵士たち、その無名の兵士たちに殺されたであろうアジアやアメリカを含む多くの方々に心よりご冥福をお祈りする次第です。

4 件のコメント:

  1. 日曜日の朝日の読書欄に紹介されてました~評者は吉田司さん。
    「絵文録ことのは」さんの「日露戦争百周年を祝う青年の集いレポート」
    ��http://kotonoha.main.jp/2005/09/04russian.html)を読んだ後でしたので、
    感慨深くなります。。。
    忘れちゃいかんけれど、美化もいかん、客観的事実の基準も難しい。。
    何事も調子付いていい気になるなよ、ということは解るのですが(苦笑)。
    今なお日本人の熱狂体質は、おかしな先導役に踊らされ、流行・ブームを生み
    そこに疑問なく安穏と存在することの心地好さも与え続けていますが。。。
    それでも前よりは多様化してきたでしょうか。
    今度の選挙はどうなることやら。。。
    ついでに・・・
    歌舞伎、なかなか観に行けませんが私も好きです~
    團十郎さん心配ですね。成田屋の後援会に入っている親友が泣いています。。
    私も元ドナー候補でしたので、胸が痛みます。。
    『音楽の対話』が届いたら、いかに件の鈴木氏の本が
    「引き下げデモクラシー」に合致するか、お解りいただけると思います~。。
    その後、面白く読めるところもありましたが、ハラ立つことも多し(苦笑)。
    ところで、カレンダーいらないと仰ってましたよね???
    おっと、今度からBBSに書くべきですね、裏のハナシは(笑)。
    失礼しました。。

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  2. コメントありがとうございます。
    「日本人とは」とか「日本人の××体質」とかいう考え方も、実は余り私は信用していません。日本人の美徳とか勤勉さとか、当たったっている点もありますが、血液型や星座による性格判断と比較して、どっちもどっちかなと。むしろ国民性を強調する場合は、それを利用したい一派がいたのではないかと思ったりします。
    もしも日本人が熱狂しやすい、煽動されやすいとしたならば、それはそのように長年の間に「仕向けられた」結果ではないかとも思うのです。日本のオカシさや愚かさを、全てアメリカや戦後民主主義政治の果実の一端とすることには無理がありますが、日本人の精神深くに浸透している考え方とか傾向については深い考察が必要だと思うのです。
    ついでに...
    「引き下げデモクラシー」「自己内対話」「他者感覚」など丸山には全く接していないので理解せず。
    ��月の歌舞伎は既に安い席を予約済。
    ��BSはほとんど死んでますね(笑)
    これからもよろしく。

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  3. こんにちは、こちらこそ書き込みありがとうございました♪
    茶の湯にどっぷり浸かっているせいか、
    日本人であることを嬉しく意識してしまいます(笑)。
    仰るとおり、勿論、画一的に決めつけてかかるのは私も疑問あるところです。。
    傾向をいえば美徳、となるのでしょうか、昨日の朝日の王敏さんのコラムに
    ��http://www.asahi.com/international/aan/column/050905.html )
    「論理的な言葉で表現できない優しさ、すなおさ、透明な純朴さがあるのではないか」
    という一文が示されていましたが、ここが魅力でもあり、弱さでもあるように思います。
    ��尤も、この連載コラムにこそ朝日の計略をひしひしと感じますが。。。)
    国民性の利用、周知の通り天皇に戦争責任を問わなかったこともそうですね。。
    また、熱狂といってもラテン圏ような大きな騒ぎをめったなことで形成しないのも、
    いにしえより自然を畏怖し敬い季節感じて共に島国で身を寄せ合い生きてきた
    慎ましやかな配慮が脈々と受け継がれているからのように思うのです。
    忍耐が培われる土壌があった、と。
    しかし近頃は、ただ流れに身を任せて生きてゆくには瞠目すること多く、
    面白くなってきた、と思っています(^^)。。(>あ、不謹慎?)
    ついでについでに・・・
    「引き下げデモクラシー」は中野さんの本が届いたら、理解できますよ~ 
    ��月の歌舞伎、「東海道中膝栗毛」は好きなんです~。。
    ��BSが死んでるのは当方も同じく(笑)。自己満ですから。

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  4. 保坂さんは、中田整一氏との対談で「二・二六事件は昭和前史の結果であり、大東亜戦争にとっての原因である」趣旨を語って居られます。この点は昭和史にとって最大のポイントであると思うと同時に、その辺りの考察を諸歴史家・研究家は通り過ごしていると見られます。これはA.トインビーの史観にも当てはまります。この辺りを掘り下げて行くと、真崎甚三郎大将が統制派のカウンタークーデターにより青年将校達とともに絡め取られたのことにより、真崎というツッカエ棒が無くなったことで支那事変から大戦に突入、絡め取った側の統制派の主導により日本の惨劇へ突入します。この真崎大将を見過ごし、戦争責任者達を賛美するかの如き世間の論調に
    矛盾を感じる人はいないのか?と思っています。
    山口富永、田崎末松、岩淵辰雄、最近では鳥居 民さんが、このコンセプトに迫りつつあるようです。保坂先生も高橋正衛・半藤一利氏などとも異なり、ご自分の史観形成にご努力中のようですので、是非、半藤氏などと同じ論陣は張らないよう期待しております。真崎大将から直接薫陶を得られた山口富永氏と会われませんか?

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