昨日のNHK芸術劇場は、中村吉右衛門が松貫四の名前で書き下ろした「日向嶋景清」を生み出して行った過程と、吉右衛門の本作に賭ける思いを密着取材したという点において、非常に見ごたえのある番組でした。
歌舞伎座での公演を昨年11月の吉例顔見世公演で運良く観劇することができ、大いに感銘を受けたものです。
「日向嶋」の原作は人形浄瑠璃の「嬢景清八嶋日記」。吉右衛門の実父である八代目幸四郎が1959年に新橋演舞場で二日間だけ試演したことがあるという演目です。歌舞伎の時代物の新たな境地を目指そうとしていた八代目幸四郎の役者生命を賭けた舞台であったと吉右衛門は語ります。
娘のことを思って見えない眼をカッとばかりに見開く場面があります。八代目は、あの時代にあって眼の玉の大きさばかりの赤いハードコンタクトを、麻酔を打ちながら眼にはめて舞台に望んだことですとか、娘の糸滝を哀れんで遠ざかる船を追おうとする、その場面での気迫は渾身の力で押し留めなければ舞台から客席に落ちてしまうほどのものであったとか、若き吉右衛門にとっても強烈な印象を与えたものであったと言います。
そんな実父に対する思いと、歌舞伎に対する思いが、おそらく還暦を前にして吉右衛門の中で発酵し、「八嶋日記」の歌舞伎化として結実したのだということがよく分かりました。
吉右衛門は語ります。「昔の演目は全てが新作だった。今は型などが伝承されて演ずるだけになったが、新作を演出し演ずる苦労をすることによって、型の大切さなども再認識する。」のだと。伝統をただの継承に終わらせない、次世代へつなげるという筋肉質で強靭な精神をそこに観た思いがします。
「ヤワではやっていけないよ」
ジムで汗を流しながら台本を読み続ける吉右衛門が漏らした台詞も印象的でした。
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