2006年3月13日月曜日

森まゆみ:谷中スケッチブック


先週は日暮里から谷中、根津を通り本郷から御茶ノ水に抜けて散策をしてみましたが、谷中、根津(それに千駄木)といば森まゆみさんです。この本が書かれたのはかれこれ20年以上も前のこと。85年の東京といえばサントリーホールもまだなく六本木ではアークヒルズがまさに建設中、バブルの狂乱はこれからという時です。

本書は谷中は動坂に生まれ育った森さんが、谷中の歴史的な成り立ちから今の姿までを限りない愛着と憧憬と希望を込めて描ききった秀作です。背表紙は焼け埃をかぶっていた本書を久方ぶり(20年振りに)に本棚から取り出して読み返してみました。

谷中の印象といえばお寺とお墓、そして下町情緒といった印象でしょうか。森さんは谷中の古い家や町のたたずまいは残り、今も「江戸のある町」といわれるくらい、昔の面影がある。人情もまた一段と濃い。職人の手仕事、人びとの生活ぶりなども無形の文化を伝えている。 と書き、

この町の姿はどこまで存続していくのか。それを考えながら、谷中の町を逍遥してみよう。(「江戸のある町」P.25)
と読者を誘っています。本書を読んでいると、この言葉の通り森さんと谷中の町をプラプラと歩き、店先で立ち話でもしているような気持ちになれて大変楽しい。そして露伴や鴎外、漱石を始めとして明治の文豪やら芸術家らの舞台となったこの街が、限りなくいとおしく感じられてきます。

ところで、こうした谷中の魅力が現在にあっても効力を失わないということはどういうことなのでしょう。失われた(または、つつある)ものへのノスタルジー、日本人の原風景、マスコミ主導の流行など、いろいろな要素があるのだと思います。それでも連綿と谷中が谷中であり続けているということは、日本人の深層に訴えかける重層的かつ根源的な精神風景が、谷中の断面からはいまだに立ち上ってくるからではないかと本書を読んで感じました。谷中には人を通じた歴史的連続性を見出すことができると言うこと。

私は生粋の道産子ですから江戸や東京下町的な「皮膚感覚」は皆無です。それ故になのでしょうか、肌で感じることのできる連続性にはゾクゾクするほどの興味を覚えてしまいます。

森さんがこの本を書かれてから20年、いったい今の谷中は何が変わって何が変わらないでいるのでしょう・・・。暇があれば、幸田露伴の「五重塔」でもポケットにつっんで再び谷中に訪れてみたくなりました。

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