2007年9月23日日曜日

野口悠紀雄:「超」整理法―情報検索と発想の新システム


野口悠紀雄氏の『「超」整理術」』を改めて読んでみました。このごろ仕事でもプライベートでも本や書類の山に囲まれ、限られたスペースの中でニッチもサッチもいかなくなってきておりダウンサイジングする必要性に迫られてきたことが理由であります。

本書は1993年に上梓されています。個人利用ではインターネットどころかWindowsさえ使えなかった時代。氏のパソコンによる情報処理、情報検索に関する記述には時代を感じます*1)。それ以外は今でも通用する技術として評価されているようです。「分類しない」「押出しファイル方式」は今更説明するほどもないほどに有名な整理法といえましょう。

広く人口に膾炙してはいるものの、氏の整理方法は学者とかもの書きを職とする方には向いていて、企業や役所に勤めるフツウのサラリーマンには若干不向きという印象は変わりませんでした。

仕事においては、15年前に比べ個人が処理すべき情報量は飛躍的に伸びました。プロジェクトの初期情報は膨大です。オフィスの物理的スペースがサイバースペースに置き換えられる以上のスピードで、新たな紙媒体が日々物理スペースを侵食しつつあります。時系列で整理していても、ストックのスピードと捨てる判断が入力量に追いつかない。

終了したプロジェクトデータでも「いつか使うかも」という理由で、しばらくはデスク周辺の一番いい場所を占領しています。「捨てたファイルはすぐ必要になる」というマーフィーの法則は今でも成立しています*2)。実際のところ「捨てる」というのが極めて難しい。いわゆる「センチメンタル・バリア(情緒的障壁)」というやつです。

捨てないまでも、全ての紙情報をPDFやTIFFなどの画像データとして保存するという試みもなされています。企業では組織的にそれを実施して、キャビネットの物理スペースを電子スペースに移管しようとしています。しかし電子データは一覧性に劣る上に書き込みが出来ません。紙媒体のように閲覧されることで経験と知識を蓄積するような連続性を感じることができません。電子データは、検索の網にかからない限り、紙媒体以上に閲覧再利用されなくなるような気もします。

情報を「捨てる・リフレッシュする」VS「整理・保管・再利用する」という、いつとも果てぬ悩みは、野口氏の本を読んでも全く解決されず、相変わらず足の踏み場もない紙ファイルの海を、のたうちまわる毎日です。

ちなみに、「時間軸での整理法」をCDについて適用してみましたが・・・これもうまくいきません。5年以上聴かないCDを捨てるかといえば、捨てないわけでして、ではこの先5年以内に聴くかと言われれば、やはり聴かないかもしれません。だからといって、その1枚を捨てられないのは、「センチメンタル・バリア」以上の理由のような気がします。


  1. これは「捨てた時」に「そのファイルがあったことを思い出した」からかもしれません。
  2. 氏の手法はMS-DOSのテキストファイルをベースとしています、推薦しているワープロも「一太郎」ではなく管理工学研究所の「松」とかマニアックです。かくいう私も、かつては「MS-DOSを256倍使いこなす本 (アスキー出版局)」とかを読み漁り、テキスト処理系スクリプト言語のcgrep、sed、awkが可能なテキストデータベースをシコシコと作っていたものです。そうやって作ったデータや業務日誌を読み返したり再利用したことは、ほとんどありませんでしたが。