2008年11月30日日曜日

ランニング18日目

イチョウの木もすっかり色づき、まさに秋というカンジです。もっとも、これは根っからの道産子の感覚で内地(=本州)の人にとってはもう初冬なのかもしれません。

そんな紅葉の中をゆっくりと散歩をしたり、軽くジョギングするのは、本当に楽しいものです。土曜日は特に暖かくて、コートさえいらないくらいの陽気。

ここ2週間ほどは都合で走れませんでした。今日こそはと思い、夕方からいつものコースに出かけます。

最初はウォーミングアップとして軽くウォーキングを3.5km、7.5分/kmのペース。その後はジョギングで最初は5kmは6.5分/km程度のペースを維持します。後半になると7分のペースに、どうしても落ちてしまいます。呼吸も脚も大丈夫だと感じるのに、全体的に体が重く感じてスピードが鈍るのは基礎体力不足なのでしょう。もう少し走り込みが必要なようです。

このくらいの距離(時間)だと、あっという間に経ってしまいます。よく友人や同僚に「ランニングしている」というと「へー」てな顔をされます。「つまんなくない」とか「同じところグルグル回るだけでしょう」とか。「しんどいだけぢゃない」とか。そうですよね、なんでこんなことが面白いと感じるのでしょうね。いつも「オレって何のために走っているんだろう」と自問しながら走っているのも事実。でも「つまらなく」はないですよ。

このままでは年内15kmくらいまでしか距離を伸ばすことができません。少しトレーニング方法も変えてみようと考えています。





2008年11月16日日曜日

竹内一正:スティーブ・ジョブス 神の交渉力

iCON/スティーブ・ジョブス 偶像復活」を以前読んでいますから、本書から目新しい情報は得られません。ジョブスについて知っている人に本書は二番煎じの、初めて読む人には短い時間でのガイダンスなりえましょう。

既に充分に紹介されているジョブスのビジネスにおける「手口」とか「やり方」を紹介し、テーマごとに「貴方にもできそうなこと」を自己啓発所風にまとめているところが本書の特徴。ソニーの井深大や松下の松下幸之助などを、刺身のツマのように引き合いを出していますが、中途半端で雑な印象を受けます。

誰もがジョブスに敬意を示し、ジョブスに憧れたとしてもジョブスには到底なれない。ジョブスの前にジョブスなく、ジョブスの後にもジョブスなしです。

彼の性格を端的に表現する表現。

腕に覚えのないサラリーマンでは、ジョブスと働くのはムリだ。たちまち切って捨てられるだろう。ジョブスは、鋭利な刃物のような切れ味の人間だから、敵をなぎ倒し、問題を解決する過程で、まわりの人間まで切り刻むことがしばしばである。よくも悪くも、これがジョブス流だ。(P.70)

あるいは、

能力や野心が大きければ大きいほど、人はジョブスに惹きつけられる。そしてドアの内側に入れば、「ジョブス以外の人の下では働きたくない」と言い切る。一方で、ドアの外側に追い出されたら、「二度と絶対ジョブスとは働きたくない」と断言する。(P.91)

なぜ、人はジョブスに惹かれ、ジョブスから離れるのか。なぜビジネスの場で、ジョブスは相手を圧倒的に魅了してしまうのか。それはジョブスが、我々がかつて見たこともないようなモノを見せてくれることと、何かとてつもなくワクワクさせてくれるものを絶対に実現させるのだという強烈な意志があること。

ジョブスを「嫌い」「嫌な奴」と評する人は多いと思います。「野心」もなく凡百の才能しかない者が、いったいジョブスから何を学べるというのでしょう。絶対に実現させたいモノあるいはコトがあるのか。彼を知ることは、働くことの源泉に対する問いかけで、小手先の技術を幾ら並べたり、彼のやり口の好悪を評しても詮無いことではないかと。

本書はジョブスの有名な2005年スタンフォード大学での基調講演(→ Text of Steve Jobs' Commencement address(2005)~STNFORD NEWS SERVICE)の言葉で締めくくっています。この演説は非常に感動的で、本書を読むよりも余程価値があります。

有名な「今日が人生最後の日であったら」の部分。

for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.

スタンフォードの学生に贈るメッセージ。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ? which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

最後は下記の決意表明で結ばれます。

Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself.

日本語訳もネットを探すとイロイロあります。Googleでトップに出るのはここ。You Tubeの動画は下記。

2008年11月10日月曜日

ランニング17日目とマタイ


まともに読まれてなどいないだろう、個人的なランニングの記録です。

いよいよ寒くなってきましたので、早朝のランニングは気分的に滅入る。ということで、日曜日の夕方にシフトしつつあります。それでも17時過ぎにには暗くなりますから、あまり長時間というわけにもいきません。暗い中、黙々と走っていますと、学生時代のつらく厳しいトレーニングを思い出したりします。

ペースは軽いジョグであれば1km6分半から7分程度。ちょと気を抜くと7分半のペースになりますから、それなりにペース維持の努力はしなくてはなりません。やはり問題は低負荷での筋持久力、このペースでは心肺機能ではありません。

1km7分というペースは「走っている」というカンジではない。しかし6分半のペースで10km走り続けられるほどの筋力はついていない、といったところ。膝への負担が大きくなると、膝の調子も危なくなってきます。

12.5km走った後は400mトラックで、スピード走を取り入れて上がりです。ああ、今日も疲れた。

ランニングのお供(iPod)は、相変わらずガーディナーの「マタイ受難曲」。アリアだけ、コーラスだけというリストも作って、繰り返し聴いていますから、だいたいの聴きどころは分ってきました。歌詞を対応させていないので、まだメロディからの印象しかありません。曲だけ聴いていても相当楽しめます。やっぱりすごい曲ではあるなと。






2008年11月4日火曜日

人類が消えた世界/アラン・ワイズマン

人類がある日忽然と消えた後、地球はどのようになっていくか、ということを延々と書いた本。

世は廃墟ブームもあり、人がいなくなって荒廃した世界に、妙に惹かれるというのは、どういう心境なのだろう。




人類が途絶えることによって、環境破壊が止まり、人間が作ったものが徐々に植物や、風雨の侵食によって崩壊していく様を想像するのは、ワクワクするような感覚を覚える。

人類の文明が地球にとって害悪なのではないか、という罪悪感を多少でも感じる人は、人間のいなくなった世界に、なんらかの贖罪や免罪の意識を持つのかもしれない。

あるいは、単純に朽ちていくものに対する美学か。

もっとも、ワクワクするのは、読み始めて最初くらいで、全体にあまり面白いと思える本ではなかった。着想は良かったのだけど、なんか惜しい。

三浦篤:まなざしのレッスン〈1〉西洋伝統絵画

今年春に大学生になった息子に、美術論の教科書として使っているけど面白いよと言われ読んでみたもの。確かにこれは良書です。(→Amazon

本書はいわゆる西洋絵画概論ではありません。西洋絵画を観る面白さを理解するために、最低限必要な知識や、その後の「学び方」を概説するもの。本書のスタンスと簡単なガイダンスの後は、「神話画」「宗教画」「寓意画」「肖像画」「風景画」「風俗画」「静物画」という具合に章立てされています。西洋絵画と神話、宗教は切り離すことができず、肖像、風景、静物画は全てそれらの派生として生まれてきたことも説明されます。

絵画は自らの「主観」や「感性」こそ重要にすべきだという意見もありましょう。しかし筆者は(既に無意識のうちに雑多な知識や先入観が本人にあるため)、もはや「視線」は本来決して「無垢ではない」という前提に立ち、

「感性」も学ばれる余地のあること。
他者の模倣から出発しない「独創的個性」は存在しない

と主張します。図版が白黒で少ない(講義ではスライドを映写しているそうですから)ことが少々残念ですが、語り口は平易で非常に読みやすくできています。明日にでも美術館に脚を運びたい衝動に駆られます。少しでも美術について勉強したことのある人にとっては、常識的なことしか書かれていないのでしょうけど。

こうして通読しますと、いかに私(たち)が美術的教養に対して無知であり、美術界が紹介する口当たりの良いジャンルのみをいたずらに受容してきたのみではないかと反省してしまいます。こんなにも面白い教育(教養)が最高学府に至るまで、公的教育機関においてなされていないこと。西洋のみならず自国についても歴史、美術、音楽、芸能などを相互的かつ複合的に扱う教科が存在しないことは、とても残念なことだと思います。公教育に頼らず興味あれば自分で勉強しろということなのでしょうけどね :-p。

図解!あなたもいままでの10倍速く本が読める

世に速読関連の本はあふれています。それほどに現代人は処理する情報量が多いということの裏返しなのでしょう。ですから、繰り返し出ては消えていくこの手の本も、売れ行きが減退することはありません。(→Amazon

本書の目新しいところは「フォト・リーディング」という手法。1ページ1秒くらいでページを脳に焼き付けるのですとか。

フォト・リーディングを効果的に行うためには、「プレ・リーディング」(プレビュー:読書の方針決定)、「ポスト・リーディング」(ポストビュー:反省と深化)も欠かせない、何度も本文に接することによって、本書の理解も深まるのですとか。

斜め読みだろうが何だろうが、同じ本を三度も読めば、そりゃあ理解は深まります。肝心の「フォト・リーディング」となると、私には万人向けとは感じられませんでした。本書を元に何度か試してみましたが、こんなトレーニングを、とてもではありませんが続ける気になりません。この本だけで「フォト・リーディング」ができるようになる人も居ると思えない。そのうえ、「フォト・リーディング」以外は比較的まともなことしか書いていない、世の速読本とあまり変わりはないといった印象。

安易なビジネス本とか、ハウツー本などには、このような速読法は効果的でしょう。私も立ち読みのときは新書や単行本は1冊30分程度です、それ以上は疲れてしまいますし。しかし、じっくり読み込みたい本や、難しい本は速読はしません、というか速読に適さない、速読できない。

結局のところ読書法というのは、今までに蓄積された読書量と読書の質がベースとなって、それぞれが独自に編み出すものなのだと思います。私のように大した読書経験もない者には「速読可能なレベルの本」の数など、たかが知れているといったところ。あるいは、「速読可能なレベルの本」をいくら大量に読んだところで、得られる糧も知れているというと、書きすぎでしょうか。

2008年11月3日月曜日

ランニング16日目

朝も随分と冷え込むようになってきました。三連休でありウダウダ過ごしています。平日の業務が過酷であり、積極的に活動する気力が起きません。朝起きるのも辛く、といって走らないのも何なので、今回は夕方に走ってみることに。

夕方も17時を過ぎると随分と暗くなります。それでも「寒い」というには程遠い気温であり、ランニングには絶好でしょうか。

朝起き抜けよりも、体もほぐれ、筋肉も伸びていますから、走っていて「軽さ」を感じます。今日は膝の調子も良いので、ウォークとランを程よく組み合わせます。ウォークは1km7分30秒を、ランでは1km7分~6分半くらいのペースです。歩道に400mの距離を刻んだマークがあり、そこでラップを計測しているので大体正しいハズです。

10kmを走った後、400mトラックに入って、200mのスピードアップ走を3セット追加。タイムを計ると200m約42秒でした。ダッシュではありませんが、本人的には結構全力に近いつもり。このペースは1km当たり3分30秒、フルマラソン換算で2時間27分です。つくづくマラソン選手ってのは凄いものだと思います。

このまま年内、距離とランを延ばして15km程度まで走れるようになりたいと、漠然と思っています。