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2018年12月19日水曜日

アンドレアス・シュタイアー プロジェクト10 トッパンホール 2018/12/18

トッパンホールで開催された、アンドレアス・シュタイアーのチェンバロ演奏会に行ってきました。シュタイアーの演奏を聴くのは2013年12月11日の佐藤俊介とのデュオに続いて二度目。

「すべての全音と半音をとおして ~バッハと先駆者たち~」と題するプログラムは下記のようで非常に独創的です。プログラムには聴いたことのない曲目が並んでいるものの、これを見ただけで聴くべきと思ったものです。


ジョン・ブル:ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ
幻想様式
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 第7番 変ホ長調 BWV852
ベーム:前奏曲、フーガと後奏曲 ト短調
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 第21番 変ロ長調 BWV866
“イタリア風に…”
ヴィヴァルディ(チェンバロへの編曲:J.S.バッハ):協奏曲 ト短調 BWV975/RV316より〈ジーグ〉
ヴィヴァルディ(チェンバロへの編曲:J.S.バッハ):協奏曲 ト長調 BWV973/RV299より〈ラルゴ〉
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻 第4番 嬰ハ短調 BWV873
半音階的幻想
スウェーリンク:半音階的幻想曲 SwWV258
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻 第20番 イ短調 BWV889
“フランス様式で…”
クープラン:クラヴサン曲集第2巻 第8組曲より〈女流画家〉〈ガヴォット〉
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻 第13番 嬰ヘ長調 BWV882
“その他のギャラントな音楽も…”
W.F.バッハ:12のポロネーズより ヘ長調/へ短調
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻 第12番 ヘ短調 BWV881
死を思え
フローベルガー:トッカータ ニ短調 FbWV102/組曲第20番より《瞑想~来るべきわが死を想って》FbWV611a
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 第24番 ロ短調 BWV869
J.S.バッハの鍵盤楽器の集大成とも言うべき平均律を、シュタイアーは通して弾くべきものではないと考えているようです。今回のプログラムでも、ともすると調性の違いにのみ注目して聴きがちになるこの曲を、様式や曲風に応じてバッハ以前の曲と並べることで、曲の持つ性格を浮き彫りにしているようです。

「バッハの平均律はこう聴け」というシュタイアーの主張が表れているような、音楽の講義のような内容ですが、シュタイアーの演奏には押し付けがましさや、衒い、ケレン味といったものは、まるで感じません。

トッパンホールのHPにシュタイアーの魅力に関する寄稿が掲載されています(伊藤深雪さんの寄稿平井千恵さんの寄稿)。これを読んでも、端正にして、おそらく誠実な人柄なのでしょう、シュタイアーの演奏家としてのスタイルが伺えます。
曲はテーマごとの区切りを若干長めにとってはいるものの、前半、後半のプログラムを拍手なしに一気に弾かれました。チェンバロ特有のものすごく速いパッセージもさらりと鮮やかにこなし、様式の違いもまざまざまと彫琢、ホール空間をたった一人で自在に音楽の絵の具を散りばめるかのような演奏。繊細にして華麗、慈しみというかやさしさに満ち溢れた演奏は至福の時間でした。

音楽に余計なものを付け足さないように演奏に思えましたから、昨今の古楽や若手演奏家のように扇情的なところもありません。聴く人によっては物足りないという思いを抱く人もいるかもしれません。自分的には、念願かなって、シュタイアーのチェンバロを聴けたわけで、改めてじっくりと彼の演奏に耳を傾けてみたくなりました。
蛇足ですが、使われたチェンバロはブルース・ケネディ製作のジャーマン2段チェンバロ/M.ミートケモデル(ギタルラ社)。グスタフ・レオンハルトも使ったこの名器であるようです。