2001年4月30日月曜日

工藤重典/「巡り」~武満徹没後5年特別企画

そして、それが風であることを知った 
巡り 
マスク 
海へⅢ 
エア

工藤重典(fl) 岩佐和弘(fl) 川本嘉子(va)、篠崎史子(hp)
2000年11月8~10日 那須野が原ハーモニーホール(栃木県)
SONY SRCR2585

工藤重典による武満徹へのオマージュのようなCDである。武満徹がフルートという楽器を好んでいたことは、良く知られていることだろう。彼の曲は、静寂さと豊穣さを併せ持ち、また、それが雄弁になることとは全く逆の方向へ深化するように感じるのだが、フルートの素朴にして自然な音の流れは、彼の表現しようとした世界と、ある一致を見たのかもしれない。

彼のフルート作品は、例えば遺作の「エア(95)」など、ドビュッシー的な色彩が色濃く反映しているように聴こえるものの、どちらかというと西洋とも東洋ともつかない不思議な魅力があると思う。武満はフルートの特殊奏法や時に日本の伝統楽器である尺八を思わせるような音色さえ、要求しているし、「マスク(59-60」などはまさに能楽を意識して書かれた曲ではある。だからと言って彼の音楽が純日本的というわけではないようにも思えるのだ。それは、いわゆるタケミツトーンと呼ばれる、彼独自の音なのかもしれない。

彼の曲を読み解くキーワードとして「風」や「水」などとともに、「間」とか「時間」というものもこの盤から感じることができる。「マスク」など日本のフルートでの掛け合いと呼吸が、絶妙なる間を作り出し、目の前を流れてゆく時間を感じることができる。彼にとっては時の流れはまさしく、水や風のごとくあったのだろうか。そういえば、風の中からふとはっとするような光や音を感じる瞬間はないだろうか?そんな感触さえ彼の音楽からは聴こえてくる。

もっとも、武満の曲を多く耳にしているわけでもないし、彼の膨大なる著作群に目を通したわけでもないので浅はかな想像の域を出はしないのだが。

工藤重典は、今年3月の王子ホールでの演奏も聴いてきたが、彼のフルートの音色は独特のふくよかさを備え、ある種の安心感があると感じている。非常に聴きやすくのだが、「日本人のフルーティストの音」と感じる瞬間がある。具体的にどうと言うことが難しいのだが、あくまでも直感的な印象である。

そんな彼が奏する武満徹の世界であるが、透明にして流れるように演奏され、武満の持つ静謐なる世界を十分に表現してくれているように思う。特に親しみやすい「海へⅢ(88)」などは、豊穣にして深淵なる世界を目の前に見せてくれて、音の大海の中へ身を委ねる快感を覚える。ここでも彼の音は柔らかく暖かい。まるで暖流系の海の中を泳ぐようだ。

エアに至っても、一種の子宮に抱かれるような心地よさと暖かさは失われない。エアこそ、題名が示すように風に乗って漂う表層とそれから受ける変化なるイマジネーションを感じることができる。

ところで、レコード芸術4月号の「ディスク・ディスカッション」に、この盤が俎上に乗せられている。その中で工藤の武満の「危うさ」について述べていて興味深い。非常に乱暴に要約すると、『最近武満を癒し系として聴く傾向がでてきた。武満のもつ音楽の美しさを「美しいだけ」と捉えかねられないような演奏はいかがかと思う』というような内容だ。

確かに、工藤のこの盤を何度も聴いてみると、武満のどこが前衛なのかとも思うし、先にも書いたように、しみいるように体に音楽が入り込んでゆくのを感じることができる。これが「癒し」と言われればそれまでなのだが、それが何故、武満にとって「不幸」なのかは分からない。武満は音楽に「癒し」を求めてはいなかったということなのだろうか。

武満のフルート作といえば、ニコレやガロワそして小泉などの演奏などとも比較して論じなくてはならないのだろうが、私には彼らの演奏の違いを述べることがまだできない。また、武満の曲を大雑把に述べることも、どうしてもはばかられる。彼の作品については改めて、ひとつずつ取り組んでみたいと、ゆくゆくは考えている。