マーラーに限らず、演奏会場で聴くのとCDなどで聴くのとでは、受ける感動とか印象が全然違う曲というものがある。オペラだってそうなんだろうが、現代音楽というものも、演奏会場で聴かない限り真価が分からないのではないかと思うことがある。
例えば、先月に書いた武満 徹である。彼の音楽は、静謐さとか沈黙とか、音楽とは相反する要素を含んだ深淵なる曲が多いような気がする。自宅で聴くには、氷のような透明な音楽が、猥雑さに溶け出し、現代音楽という部分のいやらしさしか残らなくなってしまう気がするのだ。
武満の音楽を、家人の寝静まった夜にヘッドフォンを通して聴いてみると、真暗な中から、豊穣なる世界が静かに立ち上がってくるのを味わうことができる。日常性の中に彼の音楽を投げ出し聴くことができないと思うのである。しかし、こういう鋭敏なる音楽というのは「癒し」という側面よりも、極度の緊張をリスナーに要求するものだと感じるのだ。
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