2001年4月15日日曜日

バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルによる「春の祭典」


ストラヴィンスキー:「春の祭典」(1913年版)
レナード・バーンスタイン(cond) ニューヨークpo.
録音:1958.1 SONY SRCR9941-2(国内版)

「春の祭典」の魅力と言えば、音楽的には色々あるとは思うが、ワタシ的には原始的なリズムと荒々しさ、そして内側からこみ上げてくるような生命力ではないかと思っている。

そもそも「春の祭典」というのは、野蛮にして暴力的な音楽である。ストラヴィンスキーが着想したテーマもさることながら、厳しい寒さを経験した後の北国の爆発的な春を象徴するかのような激しさと、強烈な色彩感に満ちている。固く閉ざされた生命が一気に沸き出し乱舞するさまは、地面がバリバリと音を立てて割れるかのような印象さえ与える。さらには、土俗的というかバーバーリアンな雰囲気さえ漂い、とても近代的とは思えないテーマを、それとは逆に非常に前衛的な雰囲気で構成した音楽だと感じる。

今ではこの曲をを前衛的という人は少ないかも知れない。しかし、改めて聴いてみれば、私はこれを現代においてもきわめて「前衛的」であり「挑発的」であると思うのだ。これほどの不協和音の連続でありながら、広くポユラリティを獲得し得ている音楽というのは、他ではないのではないかとさえ思う。不協和音のカタマリみたいな音楽でありながら、旋律的であるという、よくワケが分らない音楽でもあり、そこにこの曲の不思議な魅力があると思うのである。

バーンスタインは「春の祭典」を3度ほど録音をしている。この盤は一番若いときのものであり、1958年といえば彼がNYPの常任首席指揮者楽督に就任した年だ。

この盤から聴こえるのは、若さとすざまじきまでの荒々しさと凶暴さである。若き獣が牙をむいて地の底から硬い殻を突き破って襲いかかってくるかのような、壮絶なる迫力に満ちた演奏であると思う。それは若きバーンスタインの野心そのものとさえ思えてくる。録音のせいだろうか、ともすると迫力は満点なものの、少々明晰さを欠き、モコモコした音に聴こえる部分もないわけではない。打楽器群の音も生の編集されない音なのかは疑問も残るが、CD芸術として聴くならば、その凄さは特筆ものであると思う。

バーンスタインは、この曲の持つ生命力を十二分に引き出すことに成功していると思えるし、その乱舞する音楽とスピード感は非常に刺激的である。ただ、不思議なことに演奏時間を見ると、それほど「快速」系の演奏ではないようだ。以下にこの曲の聴き所を見てゆきたい。

第一部の「序章」は、様々なものが春になり萌え出ずる雰囲気が良く表れている。非常に美しい部分だと思う。「春のきざしと若い娘達の踊り」は有名な部分だが曲全体としてみると、まだ整然とした雰囲気を残しており、序の口といった印象であることに気付いた。単調なリズムは高まる地の鼓動であろうか、色彩感も豊かで非常に聴きごたえがある。「誘拐の遊戯」の迫力は聴くものを鷲掴みにして地上から空中高く放り投げるかのような狂暴さがあるし、圧倒的なスピード感がある。「春のロンド」の重々しい雰囲気、コントラバスのこれでもかというばかりの響きと、春の荒々しい開花を表す部分(?)は、脳天を直撃という程の迫力だ。「競い会う部族の遊戯」に至っては、バーンスタインの語り口の凄さにもはや言葉を失ってしまうのだ。バランスを崩しそうな微妙なギリギリのところで保つ均衡と緊張、全てを圧する力を感じる。「大地の踊り」の部分など冒頭のティンパニーの連打は言語を絶し、押し寄せる音の塊には感動を通り越し、恐怖さえ感じる。

第二部に至っても、この迫力はいささかも衰えるところがないばかりか、秘めたる暗さやある種の暗黒性が宿すミステリアスさと、根源的な生命力まで表現されており、聴くものの体の底から震撼させる音楽に仕上がっていると思う。「若い娘達の神秘な集い」に移る当たりからの部分は、この演奏の白眉たるところだ。もはや、聴いてもらうしかない、とにかく凄い! ものすごく太い棍棒でぶったたかれたかのような衝撃を受けた。

ここで、「春の祭典」はバレエ音楽として構想されていることに改めて思い出す。バレエといっても、「白鳥の湖」のような優雅さではなく、舞踏という表現の方が適切なのかも知れない。舞踏というと、私の場合、ともするとある種の暗黒性と生命力をイメージせずにはいられないのだが、バーンスタインのこの盤は十分過ぎるほど、これらを表現しつくしていると思うのだ。

この拙い感想を書くために、実はこの演奏を十回くらい繰返し聴いただろうか。聴くたびに決して色あせることなく、その度に新たなる力を与えてくれる演奏である。いささか、感想が単調になってきてしまったきらいがないではない。しかしだ、バーンスタインと言うものは、聴衆の深いところにグサリと入り込んでしまうような、不思議な魅力が確かにある。

正当な「春の祭典」評価において、この盤がどういう位置付けかは分らないが、私にとってはこれ一枚あれば、他の演奏がどうであれ、正統的な演奏が何であれ、どうでも良いとさえ思えてしまう。

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