2006年6月12日月曜日

梅田望夫:ウェブ進化論


梅田望夫氏の「ウェブ進化論」を読み終えました。多くの示唆に富んだ本です。本書を読んで感じたことは、何度かに分けてエントリしましたので同じ事は繰り返しません。Googleの凄さとか、Googleと楽天の違いやWeb2.0について知るために本書を読むことも有用ですが、私はもう少し別な刺激を受けました。

誰もが認めるように、Googleのミッションの途方もなさにはあきれるばかりです。それを宗教のごとく信じ、全ての企業活動をそれを具現化させるために邁進させているという点においては、ビジョナリー・カンパニーの資質を有していおり極めて興味深い。

しかし私の関心点はGoogleの凄さにはなくGoolge的な企業がもたらす社会が、今後どのようにパラダイムシフトしてゆくだろうかということ。高度に発展してゆくIT社会において、今後の組織と人間はどのように関わってゆくのか、テクノロジーはどこまで人間を幸福にするのか、ということです。

私が想像しているのは、P・F・ドラッカーが指摘する知的労働者がIT革命によって得られた情報ネットワークを通じて、個が余計な介在なしにダイレクトに社会に向きあっている姿です。例えばリナックスの開発に携わるような動き。固有の組織に属さずに、組織に属したのと同じような、あるいはそれを上回る結果と自己実現を得るということ。あるいは大きなミッションに参加しているということから得られるモチベーション。これは既成の階層的組織構造で働く姿とは、大きく異なっています。

社内イントラネットが登場し始めた頃、私は本支店の情報を集めて整理するだけの部署、あるいは仲介役となるような役職は、いずれその役割を終えるだろうと感じました。組織構造がITによってドラスティックに変質する予感を覚えたものです。あれから10年、一部ではその胎動はあるものの、固定化した組織はまだ磐石のように見えます。

そういう企業であっても、知の源泉はシステムやデータベース、ましてや幻想に終わったAIなどではなく、人そのものであること。企業の一番重要な経営資源は優秀な人材であることは、今更ながらに自明のことです。人的ネットワークを有することが能力の一部だったり、優秀な人材を活用するための仕組みを必死で探っています。

しかし、あと数年するとどうなっているのか。情報の共有と知のフラット化がある程度実現された場合、個としての存在価値と組織活動は、どこへ向かうのか。企業と企業の関係もしかり。e-コマースの普及と発展は、調達コストの低減と、今までの調達先や系列の再編へ向かう可能性も秘めています。

顔の知らない誰かから重要な品質のモノが買えるか、最後はマン・ツー・マンだ、ということも充分理解します。思い返せばe-mail黎明期、メールを送った後に失礼に当たるからと電話もしていました。今では「ダメ押し」「催促」の意味でしか改めて電話などしません。それでも仕事はドンドン進みます。(というか、余程の用件でなければ相手の都合を待って電話などしている時間はない)

私事ですが、16~17年前に社内で掲示板機能を用いた情報共有システムが立ち上がったことがあります。どこかの誰かがある問題に悩んでいるという書き込みに対し、即座に驚くほど多くの反応が得られました。まだ1200bpsの電話回線でピーガーやっていた時代です。何かとんでもないことが起こるかもしれないという、予感がありました。

しかし、それは長続きはしませんでした。社内上層部からは「一部のマニアのお遊び」と思われていました。掲示板参加者も年を重ねるに連れ経験を積み、そういうシステムでは飽き足らなくなってしまいました。掲示板参加者が増えすぎたことは議論を発散させ、また経験知を生かすことができずに、テーマも堂々巡りに陥ったことが原因のひとつです。知的集合体が新陳代謝によってレベルアップしなかったのです。また一番重要なコストに関する情報がネットの開放性にそぐわなかったということも、多くの一般社員が「お遊び」と感ずる原因でもありました。(これは、今書いて思ったのですが、別な問題を内包しているようです)

それでもネットにおいては、社内ではあっても、上司も部下も、年長の経験者も新入社員の別もなく、全くフラットな空間でした。あの人と、この人の違いは何によるのか、上司と部下の関係はどうなるのか。組織対組織は。そういう今の常識とは違った社会が、全ての人にバラ色であるのか、グレーなのか。しかし、箱は開いてしまっている。