指揮:サー・コリン・デイヴィス
演奏:ボストン交響楽団
録音:1976
PHILIPS 446 157-2 (輸入版)
シベリウスの交響曲第3番というと、人気の2番と暗い(^^)4番にはさまれた曲であり、印象が薄い曲であったが改めて聴いてみると見事なまでの構成美と簡潔な表現が心地よく、しかも随所にシベリウスの音楽の特徴とも言えるようなサウンドや書法が見て取れ、名曲であることに気付かされた。開放感と明るさは、ハ長調という調性を象徴しているかのようである。イメージ的にはベートーベンの第4交響曲のような印象を受けた。
��・デイヴィス&ボストン響の演奏で聴いてみたのだが、何故、交響曲第一番を聴いたときに彼の演奏を「シベリウス的ではない」と感じたのか疑問である。オーケストラの編成のせいもあるのだろうか、この演奏からは、スリムさと清涼感や爽快感そして、若々しい推進力を感じることのできる演奏で、曲のもつ魅力を十二分に表現しているのではないかと思うのだ。まさにどこを切ってもシベリウスの世界がここにはある。
第一楽章は、何の前触れもなくそして唐突にチェロとコントラバスの主題により始まるのだが、この細かく刻まれるリズムと躍動感は楽章全体を支配する雰囲気である。それに絡む木管とともに一気に盛り上がりを見せるが、走っている途中から至福にいたり視界が一気に開けたかのような印象を受ける。第二主題が幾分ノスタルジックに繰り返されるも、湿った感情はそこにはなく、さわやかさを全身に感じる楽章である。
第二楽章も最初にフルートで提示されたテーマが色々な楽器に引き継がれ展開してゆくが、森の中を一歩づつゆっくりと進むがごとくの感がある。時に立ち止まり森の中の鳥のさえずりや水の音に耳を傾けるかのように思えるところもある。第一楽章もそうだが、だからといって情景描写的な音楽ではない。むしろ、自然の風景や音に耳を澄ますことで、自らの内面世界を見据えているかのようなところがある。その内省もネガティブな方向に向かうことはなく、若干の寂寞感を伴う部位はあるにしても、第一楽章同様にどちらかというと躍動感と静かに満ちてくる内的な満足と至福を感じるのだ。
このような音楽のありようは、シベリウス本人が都会の生活を離れヤルヴェンバーの田園の家に移り住んだ環境の変化と無縁ではないように思える。この交響曲を聴くと、シベリウスはこの地で、新たな境地を開いたということに気付くのだ。
第三楽章は、第二交響曲でもそうであったように、性格の異なる楽章が単一楽章として有機的に結び付けられている。スケルツォからフィナーレへの移行は非常に巧みであり、いつのまにかすばやい躍動が、雄大ではあるものの過剰ではないコラールに変化しているさまは、聴くものに大きな満足と喜びを与えてくれる。しかし、その感動も第二交響曲のようなある種のあざとさというものはなく、簡潔にして慎ましやかでさえある。ラストの終わり方など、あっさりしすぎていると感じる人もいるかもしれない。演奏時間もこの8分半くらいと短いにも関わらず、短さによる不満は微塵も感じさせない。
全体を通してわずか30分弱の曲であるため、マーラーやブルックナーなどの曲を聴きなれているといかにも「短い」と感じるのだが、交響曲のもつ美しさと、シベリウス的世界の美しさが見事な構成美の中とともに、幾重にも折り重なるように微妙な襞をえがき出したている。やはり、この曲は以前のシベリウスとは完全に一線を画する曲であると認識するのであった。
��番に関しては他の演奏との比較がまだ、できていない段階であるため、デイヴィス&ボストン響の演奏について評することは難しい。明晰にして非常に歯切れの良い演奏であり、また弦楽器の切れも良く何度聴いても心地の良い演奏に仕上がっている。
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