2001年6月5日火曜日

田中外相のミサイル発言にからめて

田中外相の「ミサイル発言」をめぐって、外交および小泉政権にまた、マイナス要因が発生してしまったようだ。なぜこのような「発現」がリークしてしまうのかも疑問なのだが、田中外相の真意が読み取りにくくなってきていることは確かだ。(発現撤回を含めて)

そもそも、アメリカの示すNMD(国家ミサイル防衛)とTMD(戦域ミサイル防衛)構想を日本が支持しないわけがない、というのが今までの日米関係である。これはアメリカを中心とした経済・軍事影響下にある諸国ならば、同調せざるを得ないものなのだろう。日本がTMD開発に対し「技術協力」を含めてこれを支援する(している)ことは以前から表明されていた。

��MDとNMDは、全く違うものだ(両方あわせてBMDという)。TMDは短距離のミサイルを対象とし、アメリカと同盟国にミサイルが落ちないことを抑止するもので、NMDはアメリカ本土への弾道ミサイルの抑止だ。当然技術レベルはNMDの方がケタはずれに大きい。

中国・北朝鮮などの軍事力が脅威であるとの前提のもと「抑止力」としての軍事だが、これは昔から議論されている「盾と矛」の論理である。(脅威がある以上)TMDについては平和を維持するために必要であるとする人も多いと思う。今の日本において、北朝鮮からのテポドンを迎え撃つ手段はないことも認めよう。

��MD推進者は上記の現実を掲げ、「際限なき軍拡とは違う」と主張するだろう。現実をよく知らない平和論者は、「ミサイルのない国際社会を目指すことこそ本筋」というだろう。

しかし、この政策を推進することで「最終的に真に利益を被るのは」誰なのか? が明確に見えねばならない。この件を調べてゆくと、TMDとNMDに対する各国の反応も微妙に異なることが伺える。しかし、日本においてはどうなのだろうか。TMDのためのミサイルを日本が有することということに対する、政策的・憲法的議論が必要な気がする。防衛庁だってTMD開発に対する「費用対効果」には疑問を投げ掛ける人もいたのではないか。


田中外相の投げかけた「波紋」というのは、日中関係を意識しての発言とか、政府の意見の不一致というよりも、日本としての意見の不一致、防衛構想に対する「迷走」ということの象徴のように思える。報道は、田中外相パッシングを繰り返すのではなく、本来の日本が取るべき道筋を議論するように導くべきではないのか。(賛成・反対論も含めて)

 わたしの個人的立場としては、心情的には反対論を唱えるだろうが、複雑怪奇なる国際社会と国家関係に思いを馳せると、安易な結論を出すことが出来ず勉強不足を恥じ入るばかりである、ということを田中報道を眺めつつ感じた。

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