2004年2月26日木曜日

宮部みゆき:クロスファイア、燔祭


私は読書家でもなければミステリファンでもありませんので、実を言うと宮部みゆき氏という押しも押されぬ人気作家の作品をほとんど読んだことがありません。従ってこれから書くことは、見当はずれな感想となるかもしれないためご容赦願います。また内容にも触れますので、ご注意ください。 

さて、まず「クロスファイア」から読みましたが、念力放火(パイロキネシス)という超能力を扱う女性が主人公が、凶悪犯罪を犯しているのに法的に大きな罪を得ることなく生きている者たちを、被害者たちに成り代わって復讐することが自らの使命であると信じて殺りくを繰り返す。その設定に乗ることができず、安っぽさとB級サスペンスを読む思いで、実はゲンナリしてしまいました。(読んでいるときは面白いのですがね)

宮部氏は、超能力を題材にした作品はほかにもあるらしいのですが、能力に対する必然性や、何故それを行使するに至ったのかが不明で(いくら悪を滅ぼすとは言っても、立派な殺人ですから)、暗さと殺伐とした雰囲気が漂います。悪い奴らをやっつける、という勧善懲悪的なカタストロフも感じることができません。作品イメージは炎が象徴するものとは裏腹に陰湿です。ラストのあり方にも解放とか救いを私はそれほど見出しませんでした。

主人公である青木淳子のラブストーリも挿入されたりし、法を逃れて生きる犯罪者を私刑する行為や人が生殺与奪の権を持つということに対する問題提起らしきものも見えるのですが、それらは付け足しのようにしか感じられません。

この作品で宮部氏が書きたかったのは、強力な破壊兵器である超能力をもった女性=「装填された銃」という設定に魅せられ、それを書ききったのだなと読み終わって思いました。内容とテーマが微妙な齟齬をきたしているようで、しっくりこないという印象さえ受けました。ぼろくそですね。

ところでこの作品のもととなったのは「燔祭」という中篇小説です。まあついでですから、こちらも読んでみました。主人公も同じで、「クロスファイア」で挿入された事件の発端を書いた作品です。「クロスファイア」だけならば、私は宮部みゆき氏を見限っていたかもしれません。しかし「燔祭」は全然質の違う小説でした。


文庫本には「朽ちゆくまで」「鳩笛草」とふたつの中篇がおさめられているのですが、どちらも超能力を持ったが故に、その能力と折り合いをつけてゆかなくてはならない、個人の軋みを書ききっています。「クロスファイア」よりも小説の重心が低く、文体も落ち着いています。それが個人としての悩みや苦しみ、能力を持つゆえの喜びなどが、沁みるような語り口で描かれています。私はこの作品を読んで、やっと落ちるべきものが落ちたと感じました、これならば納得できます。(文庫本解説の吉田伸子さんとは全く逆の感想ですね)

こうして考えると、「クロスファイア」はエンタテイメントに重心を移し、万人受けするような派手さを持った小説に仕立ててしまったが故に、話も大きくなってしまい、隠されたテーマとの間でアンバランスさを生じたのではなかろうかと思った次第です。読むならば迷うことなく「燔祭」から読むことを勧めます。それにしても青木淳子というヒロインの哀しさよ。

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