しばらくブログ更新は止めようと思っていたのに、ちょっと時間ができたので、またせっせと書いています。
さて、アジア杯サッカーで日本は決勝に進みましたね。熱心なスポーツフリークでない私は、試合を観ても「ひでーグラウンドと環境でのバトルだなあ」くらいしか分らず、後は奇跡のようなゴールシーンに一喜一憂するのが関の山です。
そんな状況ですから、サッカー場における観客の反日ブーイングについても知ることは少ないのですが、昨日のテレビ朝日「報道ステーション」の解説者は、「ブーイングをする観客は、家に帰ると村上春樹の本を読み、日本製のパソコンで反日感情をネットに流している」として、反日感情だけではないと指摘していました。しかし解説に力も深みも感じられず(「報道ステーション」全体がそうですが)、なにか腑に落ちない感じでした。ブーイング映像も同じものを何度も度繰り返すのみで、観客や子供たちの反日感情のインタビューも新鮮味がなく、むしろ自虐的な意味合いしかないように思えました。
そんなことを思っていたら、中国での村上春樹ブームについて、blog::TIAOというサイトで「中国での村上春樹ブームと日本大衆文化の受容 ・・・中国社会の大衆化と日本研究の変容 by 王敏(AANレポートより)を読む」というエントリーを見つけました。なるほどと思う反面、これを読んで感じたことは、果たし村上春樹を好む層とサッカー場で中指を立てブーイングをする層は同じなのかということでした。また村上春樹を好んでいるから親日というわけでもないでしょう。ハナシはそんなに「親日」とか「反日」とか単純ではないはずです。
それにしても、中国人は日本人より気性の激しい人が多いのでしょうか。日本国はアメリカ軍によって東京を爆撃され、さらに広島と長崎に核兵器を使われ非戦闘員が大量に虐殺されたというのに、日本人の多くはずーっとアメリカに擦り寄ったままです。岸田秀氏によれば、これも複雑な集団心理ということになるのでしょうか。
私にはサッカー場における中国人の反応もマスコミが喧伝するような画一的なものではないような気がしています。たとえば、中国の日本に対する経済的劣等意識と、最近の自我の目覚めにも似た疾風怒涛のごとき発展からくる矜持と軋み、経済発展の果実が公平公正に中国民に行き渡ってはいないであろう不満などが、複雑に混ざった感情の表出とも捉えることができるのでしょうが、それさえもステロタイプな見方かも知れません。
だから、マスコミが「反日教育」を報道し日本人の国民感情を煽ることには若干の違和感を感じています。本日8日の朝日、読売、産経各社社説は本件を取り上げておりますが、各社の論旨は以下のような具合です。
まずは読売新聞から。
「反日シンドローム」――。こう形容したくなる程、中国で反日感情が高まったのは、一九九〇年代半ば以降のことである。とりわけ戦後五十年の節目となった九五年、江沢民政権は、「愛国団結」を訴える「抗日戦勝キャンペーン」を大展開した。
新聞、テレビは、旧日本軍の侵略、残虐行為を検証する報道であふれ、その後、「反日」は愛国教育の基調となる。アジアカップのスタンドを埋めたサポーターの大半は、この「愛国世代」の若者たちだ。彼らにとって反日は、「自明の理」という感覚になってしまった。
として「反日教育」を原因に挙げて以下のように結んでいます。
平和の祭典オリンピックを主催することになる胡錦濤政権は、自ら育てた反日という「負の連鎖」を断ち切るよう努めるべきだ。負の連鎖が続くのは、日中双方にとって不幸なことだ。
次は産経新聞です。
このような事態になった背景は複雑だ。反日愛国主義教育の影響や、経済成長に伴う大国意識の広がりに加え、大卒者でも就職難という現実社会への不満が若年層に強く、日本がそのはけ口になっているとの指摘もある。
自国チームへの応援は大いに結構だ。ただ相手チームの選手やサポーターに不安や不快感を抱かせるようでは開催国として失格だ。中国人サポーターの行動と当局の無為無策は、四年後の北京五輪開催資格へ疑問の声を呼ぶ。日中戦での改善を期待する。
という具合に、どちらも中国に強い遺憾の意を表明し、中国に強く当たるべしというように読めます。まあ、予想とおりの反応です。私も中国に節度を求める気持ちは変わりありませんが、はてさて、日本政府が中国政府に対し「サッカー場でのマナーを何とかせよ」なんて、次元の低いことを主張するのでしょうかね。
最後は朝日新聞です。
重慶や済南での「反日」騒動には、むろん日本の中国侵略という歴史的な背景がある。とくに重慶は、日本軍機の無差別爆撃によって膨大な数の市民が犠牲となった。日本の若者たちも、この事実を知っているかいないかで、騒動への見方が変わってくるだろう。
小泉首相の靖国参拝や尖閣問題、加えて日本人による中国での集団買春など、中国側からすれば感情をさかなでされるような出来事には事欠かない。若者に高まりつつある大国意識や江沢民時代の「愛国教育」の影響もあるだろう。
それだけではない。重慶のような内陸部は、発展著しい沿海部と比べてはるかに貧しい。就職先のない若者も多い。不満はなかなか政府に届かない。そんなうっぷんを「反日」に託して晴らそうとした面も小さくない。
として
そうであれば、スタンドの「反日」をいたずらに過大視することは賢明ではない。むしろ考えるべきは、なぜ日本が標的として使われやすいかだ。歴史の和解に魔法のつえはないが、歴史のとげを抜くことは今日の政治家の責任である。
と「朝日らしく」まとめています。
さて、こういう反日感情に対し、先に紹介したblog::TIAOというサイトの「新聞社Webサイトの「社説」がどんどん隅の方へ ・・・サッカー・アジア杯「反日」批判の情報コレクトとして」というエントリーに中国人から以下のようなコメントがついていました。
I'm really feeling shamefaced about the Chinese football fans.
It is silly to bring political issues into sports field.
I don't think we receive an anti-Japanese education.
But I think our education doesn't make a clear attitude to Japan and its crime to Chinese people in war.
I think our "爱国主义教育" doesn't have a real content,so that many people don't know what it is.
They misunderstand it.
They think anti-Japanese is the best way to express their love for homeland.
This is really stupid.
Our history textbook for high school students doesn't describe much of crime done by Japan.
So I don't think the anti-Japanese mood at present is caused by those history classes.
Posted by: 張穎 at 2004年08月05日 11:41
これを読んで、「馬立誠:日本はもう中国に謝罪しなくていい」という本も思い出しました。北京での決勝戦はどんな状況になり、マスコミはどう伝えてゆくでしょう。ネット上でも冷静で分析的な意見が読みたいものです。