2008年7月21日月曜日

ランニング2日目

ウェアもポーチも買ったので、連休の中日に再びJH公園を少し走ってみました。

JH公園には、あまり整備されてはいないものの400mトラックがあるため、今のペースの走りで何秒かかっているのか計ってみました。フルマラソンを4時間で走るためには1kmを5分40秒程度、400m換算で2分17秒程度で走らなくてはなりません。結構楽勝だろうなどと思っていたら、これが以外に「キツイ」ことが分かり驚きました。歩くのよりちょっと早ければいいんだろう?みたいな感触は、もろくも崩れてしまいました。

いくつかのサイトやランニング雑誌を読んで、ランニング初心者のトレーニング目標は下記であることを理解しました。
  • マラソンで苦しいのは呼吸ではなく脚である。ラスト近くなると足が棒のようになり全く動かなくなる。
  • まず30分間、歩かずに走り続ける筋力を鍛える。
  • 息が苦しくなるならば負荷が大きすぎるということ。
  • 30分走ができたら、徐々に時間を伸ばしていく。
  • 30分で5kmくらい走れるペースをつかむ。(1km6分のペースだとフルマラソン4時間13分)
頑張れば半年でフルマラソンを走るのは難しくないとのこと。走り始めてフルマラソンなど大それたことは考えてはいないんですけど、体力つけば、ハーフマラソンくらいは考えてみてもいいかもと思い始めます(>大甘?)。


2008年7月20日日曜日

池袋HMVにて/ハーン、エマール

池袋HMVへ。店内では小澤の幻想交響曲がかかっています。サイトウ・キネンの激演ライブです。名演です。しかし最近の心象には会わないなあと思って、ちょっとげんなり。

ラトルのストラヴィンスキーにも食指が伸びるものの、ここはヒラリー・ハーンの「シェーンベルク、シベリウス」とピエール=ロラン・エマールのメシアンを購入。

個人的にはシベリウスよりもヒラリー・ハーンのシェーンベルクに興味あり。メシアンはちょっと試聴してみたら結構イケそうであったのでこれもゲットしてみました。



Schoenberg,Sibelius
Schoenberg:Concerto for Violin and Orchestra,op.36
Sibelius:Concerto for Violin and Orchestra in D minor,op.47
Hirary Hahn(vn),Salonen Sedish Radio Symphony Orchestra





Aimard/Messiaen
Preludes pour piano
Catalogue d'oiseaux
Quatre Etudes de rythem

日比谷のART SPORTへ

池袋にマラソン専門スポーツ店があると知り行ってみました。

ART SPORTという店ですが、日比谷にもショップがあり、皇居ランニングの拠点にもなっている様子。

ヘアバンド、半袖ウェア、ウェストポーチを購入。とりあえず「とにかく走るモード」に持っていかねば、ということです。


2008年7月13日日曜日

まず走ってみる

かねてから、時間的な余裕とかができたら「走ろう」と思っていました。ダイエットしたいとか、東京マラソンで補給水カップを沿道に投げ捨てたいという邪悪な理由、あるいは、ゴルフや自転車はお金がかかるからという庶民的な理由からなどではありません。

理由は別として走ろうと考えたわけです。しかし、「考える」→「まず始める」の間には大きな壁があります。その壁をウダウダしていると乗り越えられません。

で、意を決して「実行」することとしました。

日曜日、まだ寝ていたい6時15分に起床し、近くのJH公園をタラタラ走ってみました。自分では「走って」いるつもりでも、はたからみるとどうなんでしょう。ベタ足でのたうっているに近いかもしれません。

しかし、少しだけ体が活性化した気がします。いつもならダラダラ無為に過ごす休日が長い。これは少しいいかも、と思います。

次なる乗り越える壁は「まず始める」→「もう一度してみる」です。はてさて・・・。この先、休日に天気が良いのに「走る」話題が続かなかったら、1日坊主で終わったということでしょうか。





2008年7月8日火曜日

野田歌舞伎


朝日新聞か何かに、8月歌舞伎座で公演予定の「野田版 愛陀姫(あいだひめ)」のことが紹介されていました。その中で野田秀樹の言葉として「伝統は大切にするが、伝統によりかかった誤解は踏みにじる」みたいなことが、「芝居は楽しませるためのもの」。


分らなくもありません。それでも、どうしても承服しがたい部分もある。中村勘三郎の芸、天才的なところは認めるものの、時代に対する迎合と「軽さ」が好きになれません。「それ」を歌舞伎でやる必要はないのではないかという疑問。


見てもいないのに批判しても*1)仕方ありません。人気の「愛陀姫」に空席など全くありませんから、久しぶりに暑いさなか幕見に並ぶことになるのでしょうか・・・*2)



  1. 「観てもいないのに批判」は、それ自体意味がありません。私の単なる覚書きとして記録しています。
  2. ・・・結局観られませんでした・・・とほほ。



2008年7月6日日曜日

バウハウス・デッサウ展

上野の東京藝術大学美術館で開催されている「バウハウス・デッサウ展」に行ってきました。大学時代に建築を学び、懐かしさもあってのことだったのですが、結果としては、今の自分の好みとは全く相通ずるところのない感性に「あてられて」いささか気分を悪くさえしてしまいました。

バウハウスという運動は、ひとつの時代の帰結としては避けて通れないものであったのだろうとは思いますが、ある時代の「実験的芸術」は今を生きる時代にあっては学究的価値はあっても一般的な鑑賞には耐えられない、貧相なものは貧相、神経を逆撫でされてしまいました。

バウハウスの授業での実習作品なども展示されており、デザインを勉強する若い人たちには興味深く写るのでしょう、しきりにメモを走らせている美学生が目に付きます。しかし私には、学生時代の経験とオーバーラップし、息苦しさと不器用さ以上ものを感じることができません。ましてバウハウス校舎などは「監獄」にしか見えません。グロピウスが設計した「デッサウ校舎の校長室」も、機能主義のシンプルさと表現はできますが、ちょっと好みではない。


とまあ、珍しく否定的です。しかし、美術館を後にして思ったのですが、私の感じた息苦しさは、もしかすると、ひとつの時代とか様式を打破して新たなものを打ちたてようとしていた、若い芸術家達の、すさまじいまでの探究心と熱意、内的な情動を表現するには自らの手の動き(ペン、模型、筆などのアナログな手段)しかないということに対する無意識の苛立ちのようなものを、展示作品から感じてしまったからかもしれません。彼らの手仕事から生み出される作品や工業製品は、彼らの時代の技術の先を確かに羨望しています。


現在は彼らが生きた時代とは比べ物にならないくらいに、表現技術は発達しました。しかし、そこからは、彼らが感じていたかもしれない、芸術と技術の限界を巡るような「苛立ち」は感じられません、技術の進歩のスピードが余りにも速いからでしょうか、あるいはあまりに豊かだからでしょうか。


開催は7月21日までです。

2008年7月4日金曜日

[演奏会]コバケン&新日フィル:ベト7+チャイ5


本日は、とある企業が主催する公開録音に招かれ、すみだトリフォニー・ホールにてコバケンと新日本フィルハーモニー交響楽団による、ベト7とチャイ5を聴いてきました。自分でお金出したわけではなく「ご招待」なので、偉そうに感想を書くのは憚られます。サラリと述べるに留めましょう。


��月以来、音楽活動も非常にプアーな状況でしたので、久々の生オケは充分に堪能できました。曲も曲でしたし。ベト7は、少しもったりと重いかなという印象でしたが、チャイ5ではコバケン節炸裂ですね。パワフルな曲を続けてですから、オケの皆さんを始めコバケンもお疲れのことでしょう。


昔はチャイ5命みたいなところありましたが、このごろはほとんど聴きません。久しぶりに聴くと、あまりのストレートさに気恥ずかしくなるほどですが、それなりに「スッキリ」感は得られ、まずまずといったところでしょうか。


しかし、これを期に音楽活動が活発になることは、ちょっとなさそうですね・・・。


2008年7月3日木曜日

[立読み]岡崎太郎:1日3分「夢」実現ノート


またまた「自己啓発本」です。若かりし頃はこのテの本を忌避敬遠、嫌悪さえしていましたが、そういう考え方が非常に「傲慢」で「自己中心的」でしかないと、歳を経るにつれ思うに至り、チマチマと読んでいるわけです。相変わらず「手元に置く価値があるか」ギモンなので、立読みの斜め読みなんですが。


2008年7月2日水曜日

[立読み]山本ケイイチ:仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか


極東ブログで紹介されており興味を持ち、amazonのカスタマーズ・レビュでもタイトルの割には「結構まともな内容」という評価。この手の本は無視するわけにもいかず、といって買うほどの内容かはギモンなので立読みの斜め読みです。



成る程、非常にポジティブな内容。何のためにトレーニングをするのかという目的意識を明確にし、確実に成果を上げるトレーニングを実施するという方法論は、ビジネスにも通じる、これからは「IT」「英語」「筋肉」(笑)なのだと。


そりゃあ確かです。しかし、これでは「仕事が出来る人がなぜ筋トレをするのか」ではなく「仕事が出来る人はやっぱり(しんどい)筋トレも継続することができる」ということなのではなかろうか、と自問しながら読み進めました。ただ、そう言ってしまうのでは実も蓋もない。


これからの優れたビジネス・パーソンは、きちんと自己管理を行い、QOL(Quality Of Life)を高めていく生き物であるという、一点の曇りもない健全なる考え方にも感銘を受けました。そういう人間になるべく自己改造することが大事なのだと。それにしても、この手のポジティブな本が書店には、本当に溢れていますね。


なお、さきに紹介した「極東ブログ」の書評のような「グロテスクな側面」は、あまり強く受けませんでした。興味のある方はご一読を。

2008年7月1日火曜日

グループ展:ORDER RECEIVED



ブログ「弐代目・青い日記帳」で紹介のあったMIZUMA ART GALLERYで開催されていたグループ展『ORDER RECEIVED』に行ってきました。会田誠、池田学、鴻池朋子、天明屋尚、山口晃の5名の作品が、上目黒の画廊にひっそりと展示されていました。(MIZUMA ART GALLERYーやグループ展の概要はTakさんが詳しくレビュしています)

平日の17時頃に行ったためか(当然、仕事を早々に切り上げてです)、観覧者はほとんどおらず、それゆえにマジマジと食い入るように、山口さんや池田さんの作品を眺めることができました(ああ、幸せ)。

私の場合、目当てはやはり山口晃氏です。今回は昨年の練馬区美術館でも展示されていた「成田空港」を初めとして5点ほどが出品されていました。間近で見ると、絵の緻密さと構成力に改めて驚くばかり。本当によくもまあ、チマチマと、あんなに描けるものです。人物がわずか2.5cmくらで表現されているのです、1/70スケールといったところ。凝った仕掛けもあちこちにありますから、近づいたり拡大したりして観なくては面白さが半減するんですよね。深い精神性とか、いやらしい批評性は感じられず、ただひたすらに「細かい」「メカメカ」「チマチマ」に徹しているところがすばらしいです。

チマチマ描くといえば、池田学さんもしかり。動植物や人物を、細密なペンで描くその手腕は職人的と言えます。そして、そこには絵でしか表すことの出来ない対象の再現と再構築があります。

会田さんの作品(写真)も奥の部屋に展示されていましたが、相変わらず毒の強いこと・・・。しかし会田氏とて、彼の世界観を構築するために、チマチマとした作業を組み立てているのだなあと思うと、作品としての毒とか逸脱とか攻撃性も、製作行為という偏執的執念とクソ真面目さの産物であり、そこまでして表現せざるを得ない作家の内実に、見ていて息が詰まるような思いになることも否定できないのでした。

こうしてみると、画家とかアーティストってのは、常人には及びもつかないような想像力と根気を武器とし自分の好きな世界を造っていくという、自己中心的にして単純(?)な快楽原理に支配されている生き物であるなあと、つくづく思い、またしても軽い羨望と疲労感にも似たため息を吐いてギャラリーを後にするのでした。

2008年6月28日土曜日

渋谷タワーにて


渋谷タワーへ。ゲルギのマーラーがちょっと気になったので、1番を試聴。1楽章と終楽章をつまみ聴きしてみました。確かにこれはカロリーたっぷりの騒々しい演奏。6番も賛否両論で評価は分かれたというが、1番も好みは分かれそうです。


ゲルギエフは私的にはかつてのイチオシ指揮者でありましたが、聴者によって思い入れの多いマーラーとなるといかがなものでしょう。イロイロな解釈はあっていいし、現代におけるマーラーの音楽に対する問題提起があってもよいとは思います。ただしゲルギエフのパワーを受け入れる体力は今はないということで見送り。


エンリコ・ガッティのヴィヴァルディも発売されており、これは購入せねばなるまい、と強く思うものの、財布を覗くと野口英世が淋しげに笑っているのみ、ガッティにもまたねと淋しく手を振るのでありました。


2008年6月15日日曜日

iTunes Storeの激安ボックス・・・既に遅し!

「おかか1968」ダイアリーで知っのですが、iTunes Storeで買える激安ボックス。今日アクセスしてみたところ、ほとんどがキャンペーン期間(?)終了の様でした。まだかろうじてダウンロード可能なサー・ジョン・エリオット・ガーディナー「バッハ4大宗教曲集」をゲットしたものの、METの「指環」がNGだったのは痛いです。フィッシャー=ディースカウは、いまひとつ食指伸びず、しかし1.5kなんですよね・・・。


2008年6月13日金曜日

iPhone2.0の続き雑感

先に携帯のデザインについて書きましたが、Docomoの携帯にはデザイン的に物欲を誘う製品が少ない。PRADA Phone by LG などというものも発売されていましたが、お値段も結構なものだったと記憶しています。iPhoneを200ドル前後で発売するということは、デザイン製品に対する価格破壊のような感触を覚えます。

デザインは言うまでもなく、基本機能に対する付加価値です。付加価値はブランドイメージそのものでさえあります。そのデザインのために消費者は多少不便でも金を惜しまない。そしてそのデザイン(ブランド)を有している自分の立位置を内外ともに明示することで自分の中の何かを守っています。これはデザインに拘らないという逆の立場も含めて。

そういう顧客心理があるからこそ、付加価値は高く売れる、値引きしない。しかし、Appleのように「良いデザインを普及させたい」あるいは「デザインこそが全て」という意志または思想は、上記のようなコンセプトをある程度侵食します。

iPhoneの普及目標は、たかだか世界シェアの1%です。しかし、その1%の秘める大きさに、私は期待するんですけどね。iMac使って、本当に世界観が変りましたよ。(>というテクストを書いているマシンは相変わらずPCだけどね)

2008年6月11日水曜日

iPhone2.0発売

Appleが7月11日にiPhone2.0を発売するとのこと。日本の発売日が懸念されていたが、先日の報道では米国と同時発売とのこと。


米国では、1年前のiPhone発売のような衝撃はないようです。それでも、S.ジョブスがiPhoneが高すぎたことを反省し、値段を半分近くにまでしていることには、非常なる意欲と野心を感じます。


日本の場合、独自に進化した、そしてある意味において歪な「ケータイ市場」にあって、iPhoneがマニアやガジェット・ヲタクの購買以上に普及するかは、私には予測できません。ワンセグなど何時使うの?と思っていた機能も、広く普及してしまうと「ついていて当然」と感ずるようになります。

誰かも書いていたように、「使わなくても機能としてある」ということは意外と重要だと思うのです。電子マネーもそうですね。「やっぱ、日本のケータイの方が便利」という方は多かろうと、付爪をしている女性方を含めて・・・。


しかし、それではあっても、私はiPhoneの日本発売に期待しています。言葉は悪いのですが、女子供をマーケットにしているとしか思えないケータイ文化の中に、スマートフォン文化が進入するきっかけはなるのではないかと。そして、何よりもガジェットとして美しいし洗練されています。日本のケータイが、いやブラックベリーを始めとしたWindowsケータイが決して追いつくことのできない文化をそこから感じるからです。




2008年5月1日木曜日

キリストの棺~世界を震撼させた新発見の全貌

キリストが実在の人物であったか否かに、個人的な興味はありません。義母が読んで面白いからと読み始めたのですが、私にはいまひとつ。

とにかく本としては完成度が低すぎます。「誰が」文章を書いているのかはっきりしないといった、テキストの主体性の問題もありますが、一番気にかかるのは、学究的信頼性。それは、数多の考古学者が「無視している」という、彼らの主張の異端性にあるのではなく(筆者らは、そこに「酔っている」フシもあります)、彼らがよりどころとする「統計的根拠」。あの程度の分析では素人の域を出ておらず、化学分析も全くお粗末なもの。

ネタとして、飲んだときの話題にはできますが、真面目に信じるには、胡散臭さを全く拭いきれず。結局は関係者の熱意とは裏腹な、時間つぶしのエンタテにしかなっていないのが残念。ウソであっても、もう少しうまく騙してよといったところ。

もともとディスカバリー・チャンネルの考古学ドキュメンタリーとしての企画調査ですから、限界もあろうかと思います。実際の放映を観たならば、印象は感想はかなり違ったかもしれません。学究的価値があるのならば、別なスタッフによるもう少し真摯なフォローを期待したいところです。

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