2015年12月26日土曜日

2015/12/26 虐殺器官 伊藤計劃

2015/12/26 虐殺器官 伊藤計劃


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2015年12月16日水曜日

なぜ、あなたの話はつまらないのか? 美濃部達宏

Amazonのタイムセールで購入
399円だがあっという間に読めてしまう
美濃部氏は放送作家

面白い話、雑談をするには、ふだんからネタ帳が必要
また共感を得るためには、相手への関心、思いやりが不可欠
自分よがりの話では共感を得られない

ネタ→共感を得やすいテーマ
構成→「フリ」「オチ」「ツッコミ」
「フリ」→なのに→「オチ」 逆説、否定、意外性、矛盾

内容は極めて薄い本ではあったけど、それなりのエッセンスはあったかなと。

2015年12月11日金曜日

小尾修さんの最新作を第19回 ヴワール展

小尾修さんが出展されているグループ展を観てきました。
相変わらずに、素晴らしい手わざ。
ものすごい写実のようでいて、近くで見るとざらりとした素材感。
それが少し離れると、まったくリアルな存在に変わる。
物としての存在の重みみたいなものまで感じます。



詳しくはこちら。


2015年11月29日日曜日

万作を観る会「千鳥」「鮒」「楢山節考」 国立能楽堂

国立能楽堂で「万作を観る会」を観てきました。

最初の演目は「千鳥」
来客があるからと酒屋に太郎太夫(萬斎)を酒を買にやらせる主人。しかしツケの酒代を払っていないため、ウソを言って酒を取ってこいと言う無茶な話。太郎太夫が持ち前の話し上手、歌上手の特技を発揮して酒をかっさらってくるという、たわいもない話。「千鳥」の名前にもなった、「ちりちり〜」の台詞が耳にのこる。
狂言の持つ世界の平和さというか、時間のゆったりさ加減は全く現代から失われたものであると感ずる一方で、狂言の笑いは、漫才や落語にも通ずる部分があり、また歌や踊りによる遊びについても、現代日本に通ずる感性なのかと感ずる面もある。

次は小舞の「鮒」。見どころ云々の前に、あっという間に終わってしまった。

休憩をはさんでの「楢山節考」。59年ぶりの上演ということ。
狂言とはいうが、まったく笑いの要素はない。むしろ、狂言という枠取りの中に演劇の可能性を求めた、若い万作の野心作というべきなのだろう。解説にあるとおり、部隊は陰鬱、陰惨に支配されている。当時の食糧事情があるにしても、おりん(万作)は69歳、70歳になったら捨てられるという時代背景。現代ならば70歳はまだ働き盛りをすこし過ぎたばかり、登山して遭難するほどに元気である。とても息子に背負われて楢山に向かうという世代ではない。
劇はそういう悲劇性を持ちながらも、親子の情愛と、おりんの毅然とした決意を賛美はしていないものの、決然とした意思の表れとして描写している。そこに涙と美しさがが際立つ。
これらの運命を冷徹に見下ろしているのが、萬斎が演じる烏。この不気味さは花道に登場したときに、一瞬肝を潰したほど。悪意の塊のような存在だが、一方で神の視線でもあるか。
降り積もる雪の中で、おりんの回想が駆け巡るが、この時代の農民たちにあって、人生というものはいったい何であったのか。一見時代は変わったものの、現代版姥捨て山と呼ばれる実態と何が変わるのか。この時代に楢山節考を再演した意義は深いかもしれない。

2015年11月28日土曜日

2015/11/28 本間みち代 ミニコンサート 神楽坂チェンバロスタジオ

本間みち代さんは、モダンチェンバロを得意とする方です。ご自宅での催しに行ってみました。


2015年11月14日土曜日

クリスチャン・テツラフ バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータ 紀尾井ホール

紀尾井ホール20周年を記念してテツラフが来日、バッハの無伴奏を一気に演奏。

テツラフは梶本音楽事務所のTwitterによると「上着を忘れて買いに行く時間もなかった」らしく、黒の長袖カットソーと黒っぽいパンツというラフな格好。
ステージに上がるやいなや、あまり間をおかずソナタ1番を奏で始める。
バイオリンの音に厚みとざらつきがあり、音がホールをあっという間に充満する。
無伴奏ソナタ1、2番、パルティータの1番はあまりなじんでおらず、前半は正直すこす聴いていてつらいかなという感じで眠気さえ催す。
ああ、こんなことではもったいないと思いつつ前半は朦朧の中で終わる。

後半はパルティータ2番からソナタ3番、パルティータ3番。
こちらは耳にも聴きなれた曲で、十分に緊張感を持って聴くことができた。
シャコンヌも素晴らしく。
その他の演奏の素早いパッセージとそこから浮かび上がってくる旋律など神業的。
しかめっ面したバッハというよりは、色々な解釈の中でかなり自由に演奏されているバッハのようにも感じる。どこがどうというわけではないのだが。

アンコールはBWV1003から3楽章Adagio。パリでの同時多発テロを痛んでの演奏。

ブラボ。

2015年11月12日木曜日

2015/11/12 林亮太 色鉛筆 茅場町レクトヴァーソギャラリー

色鉛筆画家で有名になった林亮太さんの個展。
ネットでは作品を多く拝見していましたが、実物を見るのは初めて。

2015年10月25日日曜日

ブランディーヌ・ランヌー

 

2015年10月23日金曜日

カルミニョーラ率いるヴェニス・バロック・オーケストラの演奏 トッパンホール

カルミニョーラ率いるヴェニス・バロック・オーケストラの演奏。

  • 2015年10月23日(金)19時開
  • トッパンホール 
  • ジュリアーノ・カルミニョーラ(vn) 
  • ヴェニス・バロック・オーケストラ 
  1. ジェミニアーニ作曲コレッリのヴァイオリン・ソナタ「ラ・フォリア」op5-12による合奏協奏曲ニ短調 
  2. ヴィヴァルディ作曲ヴァイオリン協奏曲ホ短調RV277「お気に入り」 
  3. バッハ作曲ヴァイオリン協奏曲ホ長調BWV1042 
  4. バッハ作曲ヴァイオリン協奏曲ト短調BWV1056(原曲:チェンバロ協奏曲ヘ短調/マルコ・セリーノ再構築) 
  5. バッハ作曲ヴァイオリン協奏曲イ短調BWV1041 
  6. ヴィヴァルディ作曲ヴァイオリン協奏曲ニ長調RV208「ムガール大帝」 

機会を得て聴かせて頂いたが、まさに至福と愉悦の時間であったと言っていい。カルミニョーラの明るさと軽妙さが如何なく発揮された演奏会だったと思う。

最初は、カルミニョーラ抜きでの≪ラ・フォリア≫。ここからしてノリのよい音楽が始まる。変奏が重なるにつれ音楽は深みを増していくが、フォリアの持つ本来の狂気やダークさには傾かない、軽快なジャブといったところ。

ヴィヴァルディから真打登場である。生カルミニョーラは初めてお目にかかるが、ガタイがでかい!ヴァイオリンの音色も格が違うと言うか、カラダが鳴ってる!フォルテなどののときに靴を踏み鳴らす音が最初は耳についたが、それさえもそのうち気にならなくなる、これもありかと。ヴィヴァルディの合奏曲を聴きながら、ヴィヴァルディの数々のオペラアリアの名曲を思い出す。まさにイタリア、演奏の全ての通底には歌があるのだなと思い知らされる。鳥のさえずりを模したようなフラジオレット、技巧云々ではない、音楽が凄い。

曲目の構成は、バッハのお馴染みのバイオリン協奏曲をヴィヴァルディで挟むという構成、バッハも普段知っているバッハの装いはしていない。どこか薄いヴェールをまとい軽やかなステップを踏むがごとく。短調の曲なのに、あれ、今日はすべて長調だったかとプログラムを確認したくらい。もっとも生粋のバッハ好きにどう感じられたかは分からない。

バッハも面白かったけれど、やはり圧巻はヴィヴァルディ。圧倒的な突き抜け感はラストの曲からアンコール4曲まで留まるところがない。フェラリーがエンジンを思いっきりふかしたかのような心地ちよさ。

イタリア人の音楽というのは、エンリコ・ガッティのバイオリンでもそうだけど、路地を歩いていてふと目に飛び込む青い海と突き抜けた空を感じる。オケのアインザッツの響き、あるいはソロの上げボウの一音目から、演奏会場の空気を手品師のように変え、眼前のカーテンをひいたかのように(あるいは歌舞伎風言えば浅黄幕が落とされたように)現出させてくれる。気づくと窓辺にはブーゲンビリアが咲き誇り、どこからともなくカンツオーネ、頬にはゆるい風さえ感じる。

演奏している彼らを見ていると、チェロの二人にしても、バイオリン奏者にしても、カルミニョーラを尊敬し、互いを意識して引き立てあい、音楽を心から表現している、演奏することが本当に楽しそう。彼らに沁みついて熟成された音楽が、カルミニョーラによってデキャンタージュされたかのような芳香。

始終後ろ姿のチェンバロの女史も、演奏に合わせての動きが何とも柔らかく自然で美しい。最長老と思われるリュートの叔父さんも、結構激しく爪弾いている。一緒に呑んだら楽しそう、ずっと歌って弾いているのではないだろうか。

音楽にも人生にも(苦しいからこそ)難しいことは要らず、生きている目的さえ違うと思い知らされた今日の演奏。イタリアの伊達男と仲間たちの演奏に思わずブラボーを高らかに叫ばずにはいられなかった。いま思い出しても≪ブラボ!≫である。

PS.ちなみに小生はイタリアに行ったことはない。あくまでも陳腐で類型的なイメージである。






2015年10月10日土曜日

山種美術館 琳派と秋の彩

16時くらいから駆け足で観てきた。
山種美術館は狭いので観るのにあまり時間がかからない。
土牛の絵が素朴に良い。




2015年10月9日金曜日

2015/10/09 日本人が知らない集団的自衛権 小川和久

2015/10/09 日本人が知らない集団的自衛権 小川和久
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2015年9月14日月曜日

2015/09/14 亡国の集団的自衛権 柳澤協二

2015/09/14 亡国の集団的自衛権 柳澤協二


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2015年8月16日日曜日

サルガド 地球へのラブレター

サルガド 地球へのラブレター @東急Bunkamura

ヴィム・ヴェンダース監督

社会派カメラマンだったサルガドがルワンダなので絶望しネイチャーカメラマンに転向する
周りは反対であったが、結局はそこでも圧倒的な作品を残す
ベースは人間
The solt of the Earth が現代であったか
限りない人間愛、地球愛に支えられた、ほとんど神の視点と言われるのもうなづける
サルガドをプロデュースしたのは妻
彼を効果的に売り出したようだ

ひとつの写真集を造るのに何年も現地に入り込む
プロジェクトと称していたが
サルガド一人のチームではなかったろうと想像するが、その点にはヴェンダースは触れていなかった
飢餓のエチオピアや難民キャンプに、まさか一人で数か月も入り込めないだろうと思う
唯一アラスカでの取材に息子を連れての撮影がドキュメントして映像になっていたのみ

圧倒的な体力、精神力
知らずには、移さずには、伝えずにはいられないという強い意志
そして切り取られた圧倒的かつ膨大な作品群

森の再生については奇跡としかいいようがない
230万本の植樹を10年とかいうのだから、これも何人もの手による再生活動なのだろうが
映画はそこも明確には映していない点が若干不満

2015年8月11日火曜日

日本のいちばん長い日 半藤一利

2015/08/11 日本のいちばん長い日 半藤一利

Kindleにて読了
ついでに1967年版の映画もiTunesレンタルにて

日本陸軍の暴走
「国体」という名目での戦争維持、絶対抗戦という主張は、もはやカルト
ポツダム宣言受諾の陰で、クーデーターまがいのことが生じていたことは初めて知る
終戦も時の運さえ味方して、多くの努力のもとに「勝ち取った」ものであったことが良く分かる
改めて戦争は二度と起こしてはいけないのだと、普通は心に刻むであろう

阿南陸相の自決に関しては、現代と考え方が全く違っていたということの象徴
どうしても相容れない違和感
まだ「武士」としての日本人が生きていたことの証
これを美化して考えるべきではない
死ななくては陸軍が納まらなかったと考える、その根本的な思想が、土台が間違っていたのだと思いたい
生きることの方が難しい、後は託したというのは、今の世では通じない
このような日本的精神が今でも残っているとしたら、そこの方が問題

翻って安倍政権の暴走をどう考えるか
後世は現代の転向をどうとらえるのか


2015年8月5日水曜日

世界史の極意 佐藤優

歴史をアナロジーでとらえるということ
過去の歴史から現代を考える

資本主義、帝国主義という文脈から現代を考えなくてはならない
彼の根本は
歴史から学んで二度と戦争を起こさないこと
この点は共感できるか