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2002年1月3日木曜日
【シベリウスの交響曲を聴く】 ベルグルンド指揮 ヨーロッパ室内管による交響曲第7番
指揮:パーヴォ・ベルグルンド 演奏:ヨーロッパ室内管弦楽団 録音:Dec 1996 FINLANDIA WPCS-6396/9 (国内版)
演奏時間は22分3秒であるので比較的遅目の演奏と言えるかも知れない。非常にゆったりしたテンポで朗々と唄われているように感じる。演奏は今までのベルグルンド&ヨーロッパ室内管の演奏の特徴として挙げられる、クリアさ、そして明るさというものが透徹した演奏になっていると思う。弦楽器の美しさなどはシベリウスの禁欲的な性質の音楽をよく表現するかのように、滑らかにして優しくそして美しい。冒頭のアダージョ部分の抒情性の表現は見事であり特に聴き入ってしまう。
ベルグルンドの演奏は、感情表現についても抑制的で、非常に淡々と音楽を進めているようにも聴こえる。したがって、先のデイビス盤の方が劇的に聴こえてしまう。特にティンパニの扱いなどはそれを全面に出すことなく柔らかくそして乾いた音で響かせることで、幽玄たる雰囲気を作っているように感じられる。
この曲の持つ魅力については、デイビス盤で大まかに言い尽くしてしまった。しかし私はベルグルンド盤を聴くことで、この音楽に込められた独特の寂寞感と永遠への憧れのような感情を改めて強く感じることができた。またシベリウスの音楽には煌きがある、とは何度も書いてきた。ここに至っては音楽の全ての部分に無数の煌きを感じ、永遠なるものに向かって一歩ずつ歩いてゆくかのようなイメージが強く浮かぶ。
��番交響曲は、ダラダラとアダージョが続くといった類の音楽ではない。Allegro や Vivace に相当する部分もあるように、爆発的な頂点なども用意されている。しかし、それを開放的な爆発とは表現していない。抑制し溢れてしまったあとに来る寂寞感の方が強調されるようである。従ってこの部位は、やたらと激しくうるさいよりは、ポイント的に激したような表現の方が適切なのかもしれない。
この曲でのトロンボーンのテーマは象徴的でさえあると思う。主題は全部で3回登場するのだが、最後の18分頃に再現されるトロンボーンのテーマは、何かを突き抜けた先の世界を表出しているようだ。混沌とした中に白色に煌く光、そしてそれに包まれるかのような至福のひと時を感じる。ここの表現はまさに圧巻と言えるかも知れない。19分後半の爆発的な頂点の後の弦の寂寞感も素晴らしく、深い感動の中で音楽が閉じてゆくさまは大きな感動を与えてくれる。
シベリウスの音楽も抑制的かつ禁欲的だが、ベルグルンドの演奏解釈も、それに忠実かつ禁欲的である。従って、ここに大きなドラマや劇的な感動を求める方には、あるいは物足りない演奏と聴こえる可能性もなきにしもあらずだ。これは、シベリウスという音楽家に何を求めるのかということにも関わる問題かもしれない。
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