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2002年1月8日火曜日

ニューイヤーコンサートを聴くということ

今年は小澤がウィーンフィルのニューイヤーを振るということで話題性豊かに新年を迎えた。今年はまじめに視聴しなかったので小澤のニューイヤーについてのコメントは控えるものの、考えてみるとクラシック音楽の総本山のような場所で、東洋人が指揮を振るというのは、ものすごいことであると思う。クラシックの裏事情には疎いので、どういういきさつで小澤に白羽の矢があたったのかは分からないが、まじめな音楽で大役を果たしていたと思う。 

ニューイヤーコンサートといえば、今年は札響のニューイヤーコンサートを聴きに行った。演奏会で指揮者の尾高忠明氏も「今アメリカでは、一般の人たちも戦って平和を勝ち取るんだという意気込みに満ちている」と語った。日本が平和ボケであるとか、そういうことを書きたいのではないが、この言葉の意味は重いと思う。 

ウィーンフィルのニューイヤーにしても、毎年指揮者は変わるものの、全体的な構成はそれほど大きく逸脱するものではない。マンネリズムと言われようが、繰り返されることに感じる幸せとはあるのだと思う。年末に繰り返し放映される「忠臣蔵」や「紅白歌合戦」「レコード大賞」はたまた「水戸黄門」など、恒例の行事が変わりなく行われるということこそ、変革の中にあって重みを持ったできごとのように思えるのであった。

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