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2011年12月14日水曜日

さよなら九段下ビル アートイベント

解体される九段下ビル「さよなら九段下ビル」というアートイベントが開催されています(2011年12月13日から26日)。

最後の住民である画家 大西信之さんの呼びかけを受けて、ビルの一角で若手アーティストの作品を展示しているとのこと。建物内部を見るのも、これが最後の機会だそうです。

朝日新聞の12月13日に紹介記事が出ていましたので、ちょこっと見てきました。

現在は以下8人のアーティストのインスタレーションが展示されています。

勝亦かほり 加藤久美子 金田翔 桐生眞輔 久次米毅
田中一平 伯耆田卓助 増田悠紀子













作品はよく理解できませんでしたけれども、解体前の朽ち果てようとする建物に、若者のアートエネルギーが静かに灯っており、時間の流れと若干の鎮魂の歌を聴いた思いです。


解体前の九段下ビル

九段下ビルが解体になるとのことで、アートイベントが開催されていますので、仕事の合間にパパっと行ってきました。

このビルは1927年に竣工した耐火建築の店舗兼住宅で、南省吾による設計で、かつては今川小路共同建築と呼ばれていました。関東大震災の後の震災復興助成会社により建設され、震災後を代表する建築でした。

今年の東日本大震災により被災し、改修よりも解体が選択されたようです。


先ずはビル外観から。既に廃墟っぽいです。







中に入ってみます。

ゲゲ、これが都内のビル?と眼を疑います。




屋上に出てみます。

向こうに最近できた高層ビルが見えてます。




  あちこち凄まじいことになっています。

 


屋上には苔や雑草も密集していまして、とても傷んでいます。これでは雨漏りジャブジャブでしょう。





ここまで建物が傷んでいると、解体も止むなしでしょうか。ノスタルジーだけでは維持出来ません。






撮影はiPhone3GSです。




2011年9月25日日曜日

企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展

2011/09/25 企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展



  • 開催概要
展覧会ポスター
(写真上)「Poppy: Glowing Embers」、ニューヨーク、1968年
(下)「Flower Pleats (Issey Miyake Design)」、ニューヨーク、1990年
Photographs copyright by The Irving Penn Foundation


21_21 DESIGN SIGHTは9月16日より、企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展を開催します。本展は二人の視覚的対話によって生み出された創造に焦点を当てるものです。

アーヴィング・ペン(1917年 - 2009年)はファッション、ポートレート、静物写真などを手がけた、20世紀後半を代表する伝説的な写真家です。ペンと三宅一生の最初の接点は、1983年の『ヴォーグ』誌編集ページで初めてペンがISSEY MIYAKEの服を撮影したことでした。「こんな見方ができるのか」と驚いた三宅は、その後パリコレクションで発表してきた服の撮影を依頼しました。87年春夏コレクションから99年の秋冬コレクションまで13年間にわたり年2回の撮影がニューヨークで行われ、この間三宅は一度も撮影に立ち会うことなく、ペンにすべてを任せ、それぞれのクリエーションを介した「Visual Dialogue(視覚的対話)」が交わされたのです。撮影された写真は250点を超え、その一部はポスター、写真集、展覧会と、さまざまなかたちで発表されました。

本展では、二人の創作活動のプロセスに一貫して関わった北村みどりのディレクションのもと、これらの表現を集大成し、二人の視覚的対話による創造の軌跡をたどることで、新たな表現を生み出す想像力と恊働のありかたについて考えます。
会場構成は世界的に活躍する建築家の坂 茂。超高精細プロジェクターによる写真の大画面投影や、マイケル・クロフォードの原画とパスカル・ルランによるアニメーションの上映のほか、田中一光デザインのポスターが初めて一堂に会します。また、ペン自らの手による貴重なオリジナルプリントや撮影用スケッチも特別公開します。




展覧会名:
企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展
会期:
2011年9月16日(金) - 2012年4月8日(日)
時間:
11:00 - 20:00(入場は19:30まで)
休館日:
火曜日(11月1日3月20日は開館)、12月27日- 1月3日
入場料:
一般¥1,000、大学生¥800、中高生¥500 小学生以下無料
(すべて税込、15名以上は各料金から200円割引)
会場:
21_21 DESIGN SIGHT(東京ミッドタウン・ガーデン内)
〒107-0052 東京都港区赤坂9-7-6
tel. 03-3475-2121
アクセス:
都営地下鉄大江戸線・東京メトロ日比谷線「六本木」駅、千代田線「乃木坂」駅より徒歩5分

主催:
21_21 DESIGN SIGHT、公益財団法人 三宅一生デザイン文化財団
特別協力:
アーヴィング・ペン財団
後援:
経済産業省、東京都、港区
助成:
駐日アメリカ合衆国大使館
特別協賛:
三井不動産株式会社
協賛:
セーレン株式会社、A-net Inc.、ISSEY MIYAKE INC.
協力:
キヤノン株式会社、キヤノンマーケティングジャパン株式会社、
アルテック、マックスレイ株式会社、株式会社 オプティカルソリューションズ
(順不同)

展覧会ディレクター:  北村みどり
ドローイング:  マイケル・クロフォード
アニメーション:  パスカル・ルラン
展示ポスターデザイン:  田中一光
会場構成:  坂 茂
グラフィックデザイン:  佐藤 卓
コーディネーション(U.S.):  金井 純

ツァッブ夫妻展

カリグラフィー
タイポグラフィー
フォント
Palatino
西麻生 ギャラリー ル・ベイン







2011年9月20日火曜日

クラシックジャーナル マーラーを究める

クラシックジャーナル マーラーを究める

久しぶりに買ったクラ本だが、瑣末な差異や話題をことさら大げさに論じたり、きわめて主観的にな感想を、あたかも作曲家の考えを代弁するかのような幻想を含め、究極のヲタ本である。

この内容についていけるか、拒絶をするか。

こういう話題を続けているから、クラシックはドン詰まりなのだと思わされる。

好きな人にはたまらないのではあろうけども、客観的に読んでどうかと考えると、とても価値に値しないのではないかと。

どこか、気持ちの悪さを感じるのは、思い入れが過剰に強すぎるせいか。

それでも久しぶりにマーラーやブルックナーの断章を聴かざるを得なかったのは、性(さが)というものでありましょうか。


2011年8月19日金曜日

空海と密教美術展

空海と密教美術展を観ての感想メモ。
  • 2004年の「空海と高野山」展を凌駕するものではなかった。
  • 展示内容も少々かぶるものがあり。
  • 空海=弘法が書の大家であったことを改めて認識。
  • 今回の目玉の最終展示を曼荼羅のように見せているというのが売り物ではあったが、肝心の大日如来とかの本尊=中心が来ていないことの欠如感は否めない
  • 前回は運慶、快慶の仏像の迫力に圧倒されたという感あり、物量も多かった。
  • 今回は、二度観してもそれほど、おなかいっぱい感はなし。

2011年8月7日日曜日

展覧会:磯江毅=グスタボ・イソエ 特別展 練馬区立美術館


西武新宿線 中村橋駅すぐ近くにある練馬区立美術館で開催中の、磯江毅 特別展を観てきました。スペインで写実絵画の技法を学んだ磯江氏の真髄を余すことなく伝える展覧会でした。

磯江氏の絵は、ホキ美術館で接した数点しか知らなかったのですが(今回の作品展を観て、ホキにあった数点が磯江氏の作品であったことに気付かされたということです)、今回は圧倒されどうしでした。写実の重みとでもいうのでしょうか、凄い絵画だなと。「写真のような」という言葉は、観ていてついぞ口をつくことはありません。写真では決して表現しえない、絵画というものが有する力に、ぐうの音も出ないほどに屈服させられたとでも言いましょうか。

2011年8月6日土曜日

諏訪敦絵画作品集「どうせなにもみえない」

諏訪さんの最初の作品集は発売数も少量だったらしく、どこも在庫切れ。ネット上では2万5千円程度で取引されているとの情報もあるため、今回の諏訪さんの作品集「どうせなにもみえない」も、手に入らなくなる前にと、発売日とほぼ同時にゲットしました。


2011年7月7日木曜日

松井冬子さんのインタビュー記事(朝日新聞)

朝日新聞に日本画家の松井冬子さんのインタビュー記事が出ていました。



2011年7月5日火曜日

諏訪敦 絵画作品展 「一蓮托生」 成山画廊に行ってきました

画家、諏訪敦氏に興味をもったので、九段にある成山画廊で開催中の作品展を観てきました。



作品は、「成山画廊」に関するもので、画廊主である成山明光氏と、彼が見出した美人女性画家 松井冬子氏のドローイングと肖像画などが数点。NHK日曜美術館でも最初に紹介された、松井冬子の二面性を表していると解説されたドローイングも展示されていました。

狭い空間に並べられた作品は、美術館などで接するのとは違ったおもむきです。

諏訪氏の作品は「写実画家」としての面目躍如といいますか、画面の精緻さは改めて記述するまでもなく。彼独特のテーマや世界観が作品に遺憾なく展開されており、それはそれで興味は尽きないものでした。

こういう絵が欲しい、お金を払って所有したい、いくつも集めたい、という欲求を持つファンは、少なくないだろうと予想します。でも、彼の絵は一般的で安心安全な癒しとはちょっと違う次元にありますから、私のような常識人からすると、何かどこかが毀れていないと、彼の作品と一緒に暮らすことはできないのではないかと思えてしまいます。(日曜美術館で紹介された絵こそ、諏訪氏の作品からすると、異色であったのかも、です。)

彼の冷たい質感をもった裸婦がリビングを飾っている風景というのは、シュールを通り越しています。むしろ北側の書斎のひと隅に、独占的な視線の中に飾られることこそふさわしいような。あるいは普段は、厚い布で覆われていて、これはというときに開陳される類の絵とか。

彼の絵を観て、ふと「標本」ということを思い浮かべました。「標本」のもつ魅惑と隠微さ。いやいや、妄想がすぎますか。

調べてみると、モデルとなっている松井冬子さんの作品は、諏訪さんよりもさらに強烈です。なかなか正視に堪えない作品が多いのですが、それでも観てしまう、観ることを抗うことができないというのは、どういうことなのだろうと、考えてしまいます。こういう肉体性を持った作品が現代的なのでしょうか。彼女は1974年生まれ、この世代は活躍していますね。

それにしても、この成山画廊という存在そのものが、謎というか、カウンターカルチャーというか。成山画廊のコレクションも、何か完全に一線を超越してます。人の陰部、隠しておきたい暗い欲望、自分の知らなかった一面、不健康な健全、崩れそうないびつなバランスの中での美意識・・・

いろいろ言葉にすると陳腐になってしまいます。百聞は一見にしかずです。美術というのも、付き合ってみると危険すぎます。

2011年7月4日月曜日

HNK日曜美術館 諏訪敦の写実絵画

日曜美術館で諏訪敦氏の写実絵画についての番組が放映されました。
    記憶に辿りつく絵画 ~亡き人を描く画家~
事故で亡くした娘の肖像画を描いて欲しいという画主の依頼に、画家がどう取り組んだかというドキュメント。



絵画とか写実の意味を問い直すという点で、非常に興味深い番組で、かつ日曜美術館にしては感動的な出来でしたので、忘れないうちに記しておきましょう。


2011年6月13日月曜日

渋谷駅と東急百貨店 2011年6月

再開発が始まっている渋谷駅の現況を撮影。駅前も常に工事状態です。





東急文化会館のあったところも、超高層ビルが建設中です。

2011年5月8日日曜日

ホキ美術館に行ってきました

日本初の写実絵画専門美術館としてオープンしたホキ美術に行ってきました。設計は日建設計の山梨知彦氏ということで、建築業界的にも話題の建物です。






ギャラリーには、これでもかとばかりに、写真とも見紛うばかりの大作が並んでおり壮観です。

しかし美術館を歩み進めるうちに、何となく重い気持ちになってきました。

そのまとまらない感想のメモです。
  • 写実絵画の「気持ち悪さ」「違和感」
  • 特に、森本氏の絵など。
  • 女性を「静物」とみなしているのではないか。
  • 肖像画ではない、愛でる対象物としての女性。
  • 対象に対する愛
  • 老人の妄想、理想化された女性像、こんな女性、今時いないだろうみたいな。
  • ひとつの「顔」の女性を描き続けること
  • 老人になっても「女性」「性」を求めることのいやらしさ、あるいは醜さ
  • モデルが家族か、単なる雇われのモデルか
  • 女性の無防備さ、意味のないポーズ
  • 自らの技量に対する執着
  • 蝋人形のような
  • 一点のしみも曇りもない女性像
女性から見たどうなんでしょうかね。

2011年5月2日月曜日

「ユニクロ帝国の光と影」横田 増生

 「ユニクロ帝国の光と影」横田 増生 (著) 読了。



「一勝九敗」とか「成功は一日で捨て去れ」からの引用多すぎ。独自取材が少ない。

だから、あまり真新しいことも書かれていない。

ユニクロの「影」の部分を書きたかったのだろうけど、ワンマンな柳井氏の姿は最初から想像できるし、ワンマンな奴にいい奴がいないことも自明だろうさ。規律やマニュアルがここまで厳しいというのは、本書で知ったけど、柳井氏がどこまでそれに関与しているかは書かれていない。

ワンマンなオーナー社長によって発展した企業が、その後どうなっていくのか。アップルと比較するのは、(あまりにも)何だけど、興味はあるね。ユニクロもアップルも浮沈の大きい会社だから。どちらも「安定」なんて考えていないというところは、凄いなと。

2011年5月1日日曜日

永遠の0 百田尚樹

「永遠の0」読了。児玉清の帯コメントは嘘ではなかった。確かに落涙するのをこらえる事は難しい。どこで感動するかは人それぞれだろうけど。1956年生まれの作者がこの小説を今書いた意味。戦争を知る人が居なくなっていくという事実。伝えたい思いが溢れる。

一人の特攻隊員のベールを剥いでいく行為の中で、次々と語られる戦争の経験談。そして明らかになる一人の人物像は、現代の日本の姿や我々を逆照射するという構成。

小説としての出来には、失礼ながら疑問がある。戦争経験者の語りに比べ、主人公らの彫刻の仕方は浅い、簡単な前提条件としての人物設定と葛藤とその後があるのみ。それは仕方ない。しかし、作中の戦争経験者の語りの言葉はフィクションであったとしても重くつらい。

小説にはいろいろなものが込められている。当時の日本の(階級)社会、戦争が失敗した原因、特攻の真実、飛行機乗りや空中戦の姿、軍隊と規律、官僚制、軽んじられる正、豹変するマスコミ、死を覚悟した若者達の思い。そして、主人公の強い意志と熱い愛、約束。戦争美化でも批判でもない。

戦争はそのときの国の一番良いところと悪いところが出る、とは作者内田氏の言葉。それは、今の震災後の日本という国のありようまでも示唆しているようである。一気に読めるし、エンターテイメントなのだろうが、読むのが久しぶりにつらい本であった。「感動したー」とか言う感想の出る本ではない。

付け加えるなら、祖父母のなれそめとか、その手の最後に明かされる「物語」を私は評価していない。それらがもはや不要なくらいに、十分に語り尽くされていた人物像に、いったい屋上屋を加える事は、安易な読者サービスでしかないのではないか、というのは厳しい読み方か。

次はこれでも読もうかな。

半藤一利氏 『昭和史』 - Chikirinの日記 (id:Chikirin / @InsideCHIKIRIN) http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110501


2011年4月11日月曜日

東野圭吾「幻夜」

「白夜行」と二部作を成す。
上記作品では二人の主人公の内面や謎が全く解き明かされなかったが、本作は、主として二人を中心に物語が進む。
そういう点で、謎解き的な作品となっているため、前作を読んだ人には面白いが、作品の深みとか余韻の点では前作に劣る。
しかも美冬の行動に共感とか納得がいかない。単なる悪女を描いただけに終始している。
物語としては面白い。
書いているうちに、ひとりでに美冬的な悪女が勝手に動き始めたか。

哀しい物語との評価が高い「白夜行」ではあるが、本作に対する伏線もある。
亮司が死んだ後の雪穂の冷たい態度だ。そこに万感の悲しみあこめられているという読み方もできようが、それにしても女性だけが幸福をつかんでいくにしては、男性に見返りが少ない。

こういう構図は「秘密」「容疑者Xの献身」とも重なる設定だ。
女性が生き生きと、自分の人生をステップアップさせていくために、男性が自己犠牲的な役割を果たすという構図。
秘密は、妻が夫のために身を引いたという読み方ができる一方で、妻が本来の自分の生を取り戻すために、夫に対して真実を秘密にしたという読み方も出来る。

生を取り戻すという点では、東野のテーマは解放とかよりも、再生とか脱皮とか、それ以上の完全な生まれ変わりを目指しているように思える。

ミステリーに内包されたテーマを求めることは粋なことではない。物語の面白さを堪能するだけで良い。東野の筆力をもってすれば、読者をひきつける作品を書き続けることは、難しいことではないだろう。

しかし、「書く」という行為を何のために行っているのか、という作家の源泉に遡ったときに、作家には書かなくてはならない関心事とか問題意識などの「書くための核」があるはずで、それはあまりぶれないのではないのだろうか、と思うのである。人間は、そう簡単に生まれ変わることなどできない。


2011年4月4日月曜日

東野圭吾「白夜行」

東野圭吾「白夜行」

非常に長い小説だが一気に読ませる力がある。
東野の作品には、実はあまり接していない。「秘密」は良い作品だが、ちょっと耐えられない結末で、後味が悪い。「容疑者Xの献身」そうか。東野は自己犠牲的な愛をテーマとすることが好きなのかと感じた。その自己犠牲が報わていれるか否かは、読者の感じ方次第というところか。

主人公二人の生きた約20年の時代の移り変わりを背景にしながら、二人の暗く奇妙な関係性が徐々に浮かび上がる。最初は登場人物が多く少し辟易するが、読み返してみれば、それぞれが不可欠なキャラばかり。物語を読み進めるに従い、仕組まれた人生に慄然とする思いである。謎が謎のまま提示されて終わるところも、本作の特徴であろうか。

この小説も、読みようによっては、自己犠牲的な愛を貫く亮二と雪穂のゆがんだ愛の物語でもある。愛の形が見えない、報われているのかどうかが分からない。主人公たちが極めて利己的なのも同じ。女性の方が精神的にタフなのもそうか。それぞれが、それぞれの考える愛の世界で満足している。ある意味で禁欲的ともいえる。だから物語に孤独さと静謐さが漂う。

物語の作り方には疑問も多い。暗い過去、決して癒すことのできない傷を負った二人ではあったが、なぜにそこまで、自分たちの人生を、小学生の時期から冷徹に規定できたものか。野心と強靭さは「事件」がきっかけの後天的なものではなく、むしろ先天的なものではないのか。主人公たちの鬱屈た幼少期の出来事と、その結果から生じた事件をバネとして、世の中に復讐しているのではないかとさえ思えるような人生を選び取るのは、やはり二人の生まれながらのダークさとタフさ以外の何ものでもない。

映画は観ていない。キャッチが「殺したのは心」、的確な表現ではある。が、心は一旦殺したら最後、生き返らないものではない。二人は心を「殺し続けた」。そこに底知れぬ、想像も出来ぬほどのダークさが潜む。深く暗い余韻を残す。二人の最初の行動には同情はできるものの、その後の生き方に感情移入はできないし、赦すこともできない。

(ファースト・インプレッション)
本作は、震災中の暇つぶしに買った、「白銀ジャック」が、評する気にさえならない作であったので、やはり代表作を読むべきだと考えて購入。最初の十数ページを読むだけで、これは確かに大作の名に恥じないなという予感。


2011年3月4日金曜日

Dudamel & SBYO チャイコフスキー 交響曲第5番

ドゥダメルのチャイコフスキーの動画がYouTubeにありましたので貼っておきます。

なかなかの熱演です。


YouTube 動画を高く評価しました -- Dudamel & SBYO - Tchaikovsky Symphony No.5... youtu.be/asmz473I0Xo?a

posted at 20:26:05

YouTube 動画を高く評価しました -- Dudamel & SBYO - Tchaikovsky Symphony No.5... youtu.be/iaMpeM3gmzM?a

posted at 20:30:53

2011年2月28日月曜日

2011/2/28 複雑に絡みついた利権

 

複雑に絡み付いた権益や利得は、誰かがハバを引かねばならず、それを痛みとして受け入れる覚悟が、誰もできていないというのが、今の日本を象徴していましょうか。番組は観てないのですが、印象です。RT @takuya1975 NHKスペシャルの諫早湾干拓事業の話を見たけれど、あちらを立てれ

posted at 21:47:36

へー、覚えておこう。 RT @Google_News_jp [トップ] 河村市長の「減税日本」と連携 練馬区長選出馬の菅田区議 - J-CASTニュース bit.ly/fNahiV

posted at 21:21:37

RT @Google_News_jp: [トップ] 河村市長の「減税日本」と連携 練馬区長選出馬の菅田区議 - J-CASTニュース bit.ly/fNahiV

posted at 21:21:08

【J-CASTニュース】河村市長の「減税日本」と連携 練馬区長選出馬の菅田区議 www.j-cast.com/2011/02/280892…

posted at 21:20:37

2011年2月21日月曜日

ジャスミン革命

チュニジアを発端とした中東の革命
その広がりは留まるところがなく、中国にまで波及しそうな勢い
ベルリンの壁崩壊に匹敵する歴史上の出来事か

日本は菅政権の支持率が20%代となり危機的な状況
管派と小沢派の対立も膠着状態で、政治は国民からそっぽを向かれている。

2011年2月15日火曜日

安齊重男に関するメモ

  • 歌舞伎座という現場 
  • アート・マネジメント講座 
  • 空気を撮る 
  • 見えないものを撮ることに興味 
  • 場所 身体的 場の雰囲気 
  • 物が置かれる前の現場の雰囲気 
  • おかれた後の違い、異物、
  • 変化 
  • 何かが映るはず 
  • 木村伊兵衛 
  • ロバート・フランク 
  • できるだけ長くその場に居合わせる事を重視、円のようなもの、状況が変わっていく。 
  • デジタルを使わない、映りすぎる。
  • 写したいものいがいのものまで、ピントの合方、 
  • 長澤英俊の要望、作品は残さない、空気 
  • 作家は何を残すのか? 
  • 伝説、記憶を作る
  • 萬来舎 
  • イサムノグチ 
  • 移築 移すことなど不可能 移したものは元とは全く違うものに 
  •  この二つの経験と実績 
  •  最初はパンフレット用だった 
  • 支配人が変わった 
  • 芝居に対する情熱、思い、型の継承ではなく
  • 型だけの継承ではなく、思いを継承することにこそ型の意味
  • 新しい場でなにができるか
  • 感傷よりも
  • したたかさ
  • 新しい歌舞伎座でなにができるか
  • 完全に雰囲気が変わっていた
  • 見る人の感傷と違う
  • 最後の日の歌舞伎役者たちの逞しさ

2011年1月22日土曜日

2011/01/22 BCJバッハコレギウムジャパン演奏会

結成20周年を迎えた古楽アンサンブルが、バッハの管弦楽組曲全曲を披露。

♪プログラム♪

J.S.バッハ:管弦楽組曲 全曲 BWV1066-1069

J.S.バッハ:教会カンタータ 第42番より シンフォニア 2
S席 5000円×2(3階C2列)
 
ミューザ川崎シンフォニーホール:044-520-0200


2011年1月18日火曜日

日本がデフレの原因

日本がデフレの原因
デフレであることを良しとしている、改善しようとする気がない
そのような世代が政治の意見に反映されている

すなわち、老齢世代の声が政治に反映されていない

60歳以上の人口を20~30歳の人口で割った数値と、人口による議員数のグラフをプロットすると見事に、相関関係がある

若者の声を政治に届くように、あるいは都市部の声を政治に届くように
一票の格差の是正などから始めないといけない

政治が若くない→わくわくした感じがない。