2011年4月11日月曜日

東野圭吾「幻夜」

「白夜行」と二部作を成す。
上記作品では二人の主人公の内面や謎が全く解き明かされなかったが、本作は、主として二人を中心に物語が進む。
そういう点で、謎解き的な作品となっているため、前作を読んだ人には面白いが、作品の深みとか余韻の点では前作に劣る。
しかも美冬の行動に共感とか納得がいかない。単なる悪女を描いただけに終始している。
物語としては面白い。
書いているうちに、ひとりでに美冬的な悪女が勝手に動き始めたか。

哀しい物語との評価が高い「白夜行」ではあるが、本作に対する伏線もある。
亮司が死んだ後の雪穂の冷たい態度だ。そこに万感の悲しみあこめられているという読み方もできようが、それにしても女性だけが幸福をつかんでいくにしては、男性に見返りが少ない。

こういう構図は「秘密」「容疑者Xの献身」とも重なる設定だ。
女性が生き生きと、自分の人生をステップアップさせていくために、男性が自己犠牲的な役割を果たすという構図。
秘密は、妻が夫のために身を引いたという読み方ができる一方で、妻が本来の自分の生を取り戻すために、夫に対して真実を秘密にしたという読み方も出来る。

生を取り戻すという点では、東野のテーマは解放とかよりも、再生とか脱皮とか、それ以上の完全な生まれ変わりを目指しているように思える。

ミステリーに内包されたテーマを求めることは粋なことではない。物語の面白さを堪能するだけで良い。東野の筆力をもってすれば、読者をひきつける作品を書き続けることは、難しいことではないだろう。

しかし、「書く」という行為を何のために行っているのか、という作家の源泉に遡ったときに、作家には書かなくてはならない関心事とか問題意識などの「書くための核」があるはずで、それはあまりぶれないのではないのだろうか、と思うのである。人間は、そう簡単に生まれ変わることなどできない。