2021年7月26日月曜日

阪本トクロウ 2021 ギャラリー桜の木 銀座

阪本トクロウさんの個展がギャラリー桜の木 銀座で開催(2021.7.10-7.26)されていたので見てきました。

阪本さんの作品は、ネット上やグループ展では拝見したことがあったものの、個展として、これだけまとめて作品を拝見できたのは、今回が初めてです。

ギャラリー桜の木は、画廊スペースとしては結構大きく、かなり見ごたえがありました。

今回の個展に寄せた阪本さんの言葉を以下に貼っておきます。

私の制作は日常生活から生まれます。
日々の生活の中で出会った風景から全て生まれます。
遠くに行く必要など無く、身の回りにあるものからの発見を元に制作しています。
私の作品制作に重要なことは何より先ずは実感だと思っています。
私のリアルを素直に描きたいと常に思っています。
作品は常に正直に作るべきだと思っています。
結局それが表現としてベストだと思うので。

そしていつも思う事は正直に作る事って本当に難しいと言う事です。

阪本トクロウ

阪本さんの作品は、見ていて本当に気持ちがいい。ギャラリーに見に来ていた方や、ギャラリーの方も仰っていましたが「ずっと見ていられる」「ずっと見ていたい」という気にさせられます。

桜の木の記事にもありますが、阪本さんの絵に特徴的な「間」について、

空間が広がる画面は、「情報でいっぱいになった頭をからっぽに出来る」
「物語が自在に生まれてくる」と多くの人が語る。

まさにそうだなあと、実物の絵を見て思いました。

描かれている絵は、ほんとうに日常のどこにでも見つかる風景の断片であったり、または何かの一部であったり。既視感と懐かしさを伴いながら、風を感じるようでいながらも、時間が止まったかのようにも思われる作品空間。

SNSに上がった画像を見ていると「写真」と勘違いする方もいるようです。実物を見ると、そこはやっぱり「絵」で、アクリルや岩絵の具の素材感やマチエールなども見ることができて、そこにはやはり写真にはない「リアル」を感じます。

ここは面白くて、以前の阪本さんは画面をフラットに、筆あとが残らないように描くようにしていたそうです。

「画家の思いや息遣いが画面に溢れすぎてしまうと見ている人にとって失礼だと思うんです」

失礼かどうかはともかく、筆致は画家が何を思っていたかを辿る意味で、鑑賞者にとっては重要な情報です。

全く筆あとを残さないことも少し残すことも、それぞれ表現として行ってきました。というのは、絵画の面白さのひとつに「画家の手の痕跡でいかに複雑な奥行きを出すか」ということがあると思うからです。最近は筆触による奥行き、いわゆるノイズのような効果によって、描かれた対象がより自然な状態に感じられるようになってきたので、あえてムラを作ったりする画面に挑戦しています。

「ノイズ」という表現は、まさにそうだなあと思います。ノイズによって、作品と鑑賞者の間に、ある種の「膜」とか「摩擦」が何となく生じます。お互いの世界観のズレとか共感とかが、「ノイズ」によって呼び覚まされるというのでしょうか。あるいは単なる画材が、描かれ対象や光そのものに変化するという、絵の持つ不思議な魔力というかダイナミズム、あるいは時間感覚。やはり、こういう印象は実物に接しなければ得ることのできないものです。

阪本さんの作品のいくつかは、ちょっと頑張れば購入できそうな値段のものもあって、よほど衝動買いしてしまおうか、とまで思ったんですけど、飾る場所が~とか考えて断念しました。会期も7/26で終わってしまいましたし。

作品集も売り切れなので、またの機会を狙うこととしましょう。

(追記)

(参考)

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