サブタイトルが『―生き方に差がつく「超並列」読書術 本を読まない人はサルである!』。 かように、非常に自己主張の強い本です。本(本書ではない!)を読む人と読まない人では圧倒的に差がつくと。
「普通の人と同じことをしていては一般人から抜け出せない」「40歳で「庶民」となるか、それ以上に行けるかが決まる」「本を読まない人とは付き合うな」などの主張には違和感も覚えます。私も40後半、「庶民」を脱することはできませんでしたし、そもそも「庶民」を脱しようなどと、考えたこともなかったですから。
このテの本がいつもそうであるように、氏の読書法には何も目新しいところはありません。10冊併読しろ、ジャンルはバラバラで読め、本は最後まで読むな、あるジャンルの本は大人買いしろ、ハウツー本は読むな(捨てろ)とか・・・。他の誰かも主張しているような内容です。普通の読書人なら自らやっていることばかり。この点に読むべきほどの内容はありません。
「本を読むときは、線は引かない」「本に書き込みしない」「三色ボールペンなんて、ましてや使わない」「買った本は捨てない」「メモなんて取らない、まとめもしない」などという氏の方法論も展開していますが、これも余計なお世話。松岡正剛氏は本の中にたくさんの線や書き込みをしますし、三色ボールペン齋藤孝氏は何と言うか、勝間和代氏は買った本は(彼女のお住まいが狭いとは思えませんが)バサバサ捨てているようですし、レバレッジ本田直之氏にも異論はあるでしょう。結局、方法論なんて個人によって万別です。
氏は子供時代からの1万5千冊以上の蔵書を捨てずに保管しいるとのこと、うらやましい限りです。本へのお金のかけ方も、(勝間氏も立花氏もそうですが)尋常ではありません。
私はこの春の引越しにより、子供時代からの本を(泣く泣く)ほとんど二束三文で売りさばきました。「耳をすませば」の月島雫の父(月島靖也=声は立花隆)部屋?のようになってしまうのは嫌でしたし。
かように意味で刺激的な本ですが、本書も「成功者のハウツー本」の域は全く出ていません。成毛氏や勝間氏的に言えば、「本屋で前書きと目次を読み、気に入ったところだけササっと読んで次にいく本」であることに変わりありません。私も書店の立ち読み20分で済ませてしまいました。
アマゾンでは10冊併読の読書術の記述がないとのコメントがありますが、本書はマニュアル本ではありません。サル化してきた日本人に対するアジテータ本なんですね。「成功者のマネをしている限り(これもサル)一生それ以下にさえなれないよ」と、一応成功者である著者が主張しているわけです。一種のトートロジーですね。
本書に同感するところがあるとすれば、本が与えてくれる世界の広さを熟知した、本に対する愛着の深さ、本は勉強のためのものではなく人生を豊かにするためのものという楽観的な考え方でしょうか。それなのに明治の文豪を読む価値なしと断ずる神経は、私の理解を一万光年くらい超えています。成毛氏の精神は豊かなのか貧弱なのか、その結論は先送りです。
※立ち読みですので、文中の著者の主張は、記憶に頼ったものであり、本文からの引用ではありません。