歌舞伎座で吉例顔見世大歌舞伎の夜の部を観てきました。
演目は吉右衛門が人形浄瑠璃『嬢景清八嶋日記』をもとに書き上げた「日向嶋景清(ひにむかうしまのかげきよ)」、富十郎の長男大の初代鷹之助襲名披露狂言「鞍馬山誉鷹(くらまやまほまれのわかたか)、幸四郎と染五郎親子による「連獅子」、そして近松門左衛門作、梅玉や時蔵による「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」の四本です。
途中に休憩が入るとはいえ、少々長いかと思ったのですが、舞台は豪華絢爛、またしても歌舞伎を見る快感を堪能できるものでありました。
見ものはやはり「日向嶋景清」でしょうか。吉右衛門の演技が実によかった。源氏との戦いに敗れた景清は自らの目を付いて盲目となり、源氏への妄執を捨て平家の位牌を守って暮らしているのですが、そこに景清の実の娘である糸滝(芝雀)が現れます。景清の娘を思う気持ち、さりとて武士の矜持も捨てきれない、その揺れ動く気持ちの様が見ていて心を熱くします。
心の中では泣きながらも、娘を無理やりに追い返すところ、その後に自らの胸中を明かすところなどは涙なくしては見られません。糸滝の置いていった文箱の中の書置きの内容を知ってからの景清の絶望と苦悩は見ていても苦しいほど。
全体に芝居は、芝雀の「泣き」が少し単調に見え、吉右衛門の嘆きや心情の変化が劇的過ぎるような、両極に触れていた印象がありますが、それでも心理的凝縮感が物凄く迫真の舞台であったといえましょうか。
ラストに景清が頼朝に帰順し、あれほどに守り続けていた平重盛の位牌を海に捨てる場面は、個人的には疑問が残るものの、それでも最後の場面はきわめて立派であり大きな物語が見て取れました。
この位牌を捨てる場面については、吉右衛門(松貫四)も今月の解説本の中でそれをハッピーエンドと捉えるか、信念を曲げたことを悲劇と捉えるか。ご覧になる方によって受け取り方は変わるでしょう
と記されています。主君に忠義を示すのが武士なれども、その武士とて主君あってのもの。そこに吉右衛門が描いた景清の人物像がくっきりと浮かび上がったラストであったと思います。
それにしても、この場面での舞台の奥行きの深さ、および景清の変心を象徴する海の青の鮮やかさには思わず息を呑み、舞台演出の点でも極めて効果的であったと感じました。
続く「鞍馬山誉鷹」は鷹之助襲名のための今井豊茂氏による新作。鞍馬山の一面の紅葉が実に鮮やか、実に華やか。この書割を見ただけで笑みがこぼれる。しかも襲名を祝う脇を固めるのが、富十郎(鷹匠)、仁左衛門(平忠度)、梅玉(喜三太)、吉右衛門(蓮忍阿闍梨)そして雀右衛門(常盤御前)なんですから、これまた豪華。
鷹之助はわずかまだ6歳なのですとか。それでも花道からの入りで見得もなかなか。客席からは暖かい拍手と「うまい、うまい」との声が。私もここは素直に見入ってしまいました。舞台中央に入ってからの前半は、ひたすら鷹之助を持ち上げる演技の連続。ああ、歌舞伎っていうのは、主役がとことんに美しく強く引き立つように出来ているのだなあと改めて感心感動。後見に鷹之助が人形のように抱きかかえられての場面も、よしよし、いいぞいいぞ、といったカンじ。
途中に口上の入るのも楽しめる。「松竹株式会社の永山会長の暖かいおはからいにより~」と謝辞を述べるところに、興行的な意味合いを感じ取るものの、皆が「大ちゃん」と言って祝うのですから、ここは素直に受け取りたいところ。雀右衛門の仕切りの声にはハリもあり貫禄充分、10月の公演で体調を崩され心配しましたが、これなら当分大丈夫(笑)。肝心の富十郎はそれこそ平蜘蛛のように這いつくばったままで恐縮していたのが印象的でした。
さて、幸四郎、染五郎による「連獅子」も舞台で連獅子は初めてなので期待大でありました。ただ最後の頭の毛を振り廻す場面では二人の舞があっておらず、こういうものなのかと。染五郎が若さ故か力任せに頭を振るのと対照的に、幸四郎は淡々と振る。染五郎のそれは鋭角的な狂乱で綺麗な環になっておりませんでしたものの客席からはヤンヤの拍手。連獅子という芝居、この奇妙な毛振りを皆が期待してしまうところに歌舞伎の娯楽性を感じるのですが、その点からは私の感想はイマイチといったところ。
もっとも我が子を千尋の谷に突き落としてからの本舞台で子を探す親獅子と、花道でそれに気付く仔獅子の場面は印象的でありました。親獅子の迷う気持ちが舞台からひしひしと伝わってくるのが良かった。対して染五郎の仔獅子は親が心配している場面では、花道でじっとしているのですが、その態度が不遜に見えたのは何故か。親を超えようとする仔の気概か。そう考えると毛振りにおける乱舞もフロイト的匂いがあるのかもしれず、深読みか。
最後の「大経師昔暦」は、何ですかねこれは。近松門左衛門による世話浄瑠璃ですが「鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」と「堀川波鼓」とともに三大姦通ものとい言われる作品。喜劇と悲劇が紙一重で、なんともなあ的な終わり方にも味わいがあるものの、これを評する能力は今の私にはなし。ただ、最近夫がつれなくて他の女ばっかり口説くものだから、その女に成りすまして口説かれて見せましょ(目にモノ見せてあげましょ)とは、なんと「フィガロ的」なストーリーでしょう!ある意味においては、最も深く面白い芝居であるかもしれません。