私的なLife Log、ネット上での備忘録、記憶と思考の断片をつなぐ作業として。自分を断捨離したときに最後に残るものは何か。|クラシック音楽|美術・アート|建築|登山|酒| 気になることをランダムに。
2018年7月29日日曜日
マグナムのLIFE 代官山ヒルサイドテラス
代官山ヒルサイドテラスにて富士フィルムとマグナムによる共同プロジェクト最終日、HOME。
16名の写真家が富士フィルムからカメラと”HOME”というテーマを与えられての写真展。HOMEという言葉をどのように捉えるのか。
2018年7月16日月曜日
リコーイメージングギャラリーにて
藤倉匠さん在廊。お話を伺えた。現代の消費者価値に対するアンチテーゼとしての写真だとか。
藤倉匠さん曰く。この作風になる前はキッチリしたスナップとか撮影していたらしい。機材も全て売ってここにたどり着いた。
リコー イメージングギャラリーにて pic.twitter.com/gmmyUWz9FP
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) July 15, 2018
2018年7月9日月曜日
写真家の田中伸明さんの写真に対する考え方
写真家の田中信明さんの写真に対する考え方に共感するところが多い。
発言は過激だが、日本の写真界(あるいはカメラ界と言ってもいいかもしれない)に対する、根強い不信感、不満感。そしてカメラ業界に踊らされている、日本のアマチュア写真界を、非常に深く憂いている。
あくまでもカメラは道具でしかなく、高いカメラ、最新のカメラを手に入れれば、あるいは、うまく写っている写真のデータ(露出、絞り、ISOその他モロモロ)を真似れば、よい写真になるという多いなる勘違い。
写真がアートとしてあるいは芸術として認められないことに対する憤り。
写真は他者に対するプレゼントという考え方が、余りにも当たり前すぎて素敵です。
いやはや、とても発言はとても尖っていますが、きっとご本人は、とても優しい方だと思います。
- アルバムと写真集は違うということ
- 作品は人に見せるもの
- 写真を撮って自分でため込む人
- 写真はプレゼント、作品は見る人がどう思うかということを常に意識。
- 自分よがりの写真はNG
- 撮られる人のことも考える
- 写真を撮るということは、撮影者を観察されているということ
- カメラや機材が好きという人
- 写真を撮るという行為そのものが好きなだけの人
- 良い写真とは、取る前にイメージができている、撮りたい、つくりたいイメージが先にある
- ファインダーを覗いて考えるのではない
- 事前にシミュレーション
2018年7月6日金曜日
ブログを書くことについて改めて考える
このHPを始めたのが2001年、ブログに移行したのが2004年、ブログ休止宣言したのが2013年と色々と変遷をしてきた。
約20年近くの間に、ネット、SNS、メディア、IT機器など激変した。かつてよく訪れていた優良なサイトのいくつもが閉鎖されもした。
いろいろなものが変わり、終わり、始まった。
自分的にも、ある時代が終わり、次のフェイズに移り変わりつつある。
老化とともに停滞どころか退化する肉体と精神だが、まわりのスピードはますます速くなり、そこに留まり続けることを拒否される。
変わらない自分、あるいは土台ごと変わり続ける自分を見つめ直す意味から、この私的ブログを再開することとした。
かつてのように、何かを批判したり、批評の真似事をしたり、日々の出来事を綴るつもりは毛頭ない。あくまでも、気になることの記録と、わずかばかりの思索、日々死滅しゆく脳細胞のための備忘録として。