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2010年8月6日金曜日

BASARA展@青山スパイラルを観る

2010年8月4日から7日までの短い期間に、無料での展示ということで、昨日、久しぶりに青山スパイラルまで脚を伸ばしてみる。

池田学や天明屋尚、その他現代アート作品と川鍋暁斎などの作品が並列されている様は、今の時代を感じる。デコレーションされたケータイと印籠が並ぶ展示もなかなか。


最近、この手のアート作品が増えているとは思っていたものの、これが「わび、さび」とは違う、本来的な日本の文化、日本人の心象のありよう、またはデザイン感覚だ、「わび、さび」は西洋人が日本人に対して持つイメージで、我々がそれを意識するのは、内部化された西洋の眼だという指摘は、なかなかにスルドく、確信をついているかもしれない。

考えてみれば、ヨーロッパ的な町並みなど、どこにも現出せず、景観論者は猥雑なアジア的風景にいつも惨敗を帰していた。洗練された美としての桂離宮はあるが、やはりこれは一時代の、千利休を中心とした美意識であり、それ以外の時代は、むしろ和洋折衷のコテコテが美の源泉であったのではないか。いや、千利休に続く武士の美学と、商人、町人を中心とした市政の人たちの美的?日常感覚。いやいや、そうでもない。BASARAに展示された兜やら甲冑を見るに付け、彼らの装飾性に「わび」も「さび」もない。

過剰装飾は、たとえばデコトラや刺青といったものまで、その系譜として含むとするならば、その美意識を継承している世界あるいはそこに住む人々というのは、傾き者であり、はぐれものであり、あるいはヤクザ的なものであったりする。すなわちこれは、体制からはみ出た者たち、あるいは体制に反逆する上での譲れない意識か??

日本人の美意識は「てり、むくり」と言ったのは誰であったか?
ということを、書きながら考えてしまうほどに刺激的な、というか、美の根源的意識を揺さぶるイベントであったといえる。確かに儚い夏の一瞬の幻か。