2021年2月1日の日経ビジネス(電子版)の記事が、「70歳“定年”パニック、雇用延長が企業と個人にもたらす「不幸」」です。
自分も今年で、ついに還暦を迎えますので他人事ではありません。
高年齢者雇用安定法の法改正が、ここ10年進められてきました。厚生労働省のホームぺージにも「70歳までの就業機会確保」とうたわれています。「働く意欲がある高齢者」「能力を十分に発揮」「活躍できる環境」とあります。(誰が70歳過ぎまで働きたいものですが、年金よこせ、この嘘つき国家とか思いますけど)
法の改正点を先の日経ビジネス記事から抜き出すと以下のようになります。
2012年改正(2013年施行)
企業は高齢者雇用に関し(1)定年制の廃止、(2)定年の引き上げ、(3)継続雇用制度(再雇用など)の導入、のいずれかで、希望する従業員を65歳まで雇用を確保しなければならなくなった(全企業に適用されるのは25年から)。
2020年2月改正(2021年4月施行)
70歳までの就業確保(70歳までは努力義務、65歳までの雇用確保は義務)。
「定年延長」「継続雇用制度」といった雇用による対応のみならず、業務委託や起業、NPO活動への支援など、さまざまな選択肢を提示。
70歳までの就業確保措置は「努力義務」
将来的には、社員の健康状態や意欲に応じて70歳まで働ける環境を整備する責任を企業に課していく方向。
こうした状況から、記事は「企業自体が変わらなければならない」と書いています。
リンダ・グラットンの「WORK SHIFT」(本ブログの記事)が出版されたのが2012年、「LIFE SHIFT」は2016年でした。
世界的に、健康年齢が上がり(単なる寿命だけではなく)、また先進国は少子化の傾向にあるため、国の年金制度が破綻します。健康年齢が上がるため、長い「定年後」の人生が始まる。そのためにはいま何をすべきか、と問いかけていました。年金で老後を安穏と暮らすというのは、もはや夢物語です。
ちょうど、このブログを始めた2000年頃は、年金問題が政治課題でした。将来的な年金崩壊に備えて(崩壊するなどとは一言も説明せずに、安心プランなどと嘘を言い続け)、政府や経済界は、少しずつ定年延長や65歳、70歳まで働かなくてはならないことを、国民に刷り込んできました。
あれから20年。定年65歳は、雇用条件の差異こそあれ会社の常識となり、いまでは70歳定年が真面目に議論されています。
年功序列、雇用条件、評価制度、雇用の流動性、セーフティーネットなど、社会や会社の仕組みは何もとはいわないまでも、劇的には何も変わらないまま、先延ばしで遂にここまで来てしまいました。
政治の世界であってもそうです。アメリカのバイデン大統領は79歳(1942年生まれ)、トランプ前大統領であっても4歳下の75歳(1946年生まれ)です。日本では自民党の森喜朗さんが84歳(1937年生まれ)、二階幹事長が82歳(1939年生まれ)、菅首相が少し若くて73歳(1948年生まれ)、ついでに安倍さんが67歳(1954年生まれ)。ミャンマーのアウンサン・スー・チーさんだって76歳(1945年生まれ)です。コロナ禍のときに、フィンランドの首相が34歳だとか、諸外国の若い閣僚が話題になったり、日本との比較で愕然となった人も多かったと記憶しています。
やれやれ、です。
世界中で(自分も含めて)健康寿命が延び、まだまだ頑張れると思っている、あるいは働かざるを得なくなった老人で溢れかえっています。若者から見ると、閉塞感を通り越して、諦めしか感じないかもしれません。
ひとつ言えることは、日経ビジネスの連載にもある様に、管理型とか調整型の仕事は不要とは言わないまでも、この先は役には立たないだろうということです。コロナ禍を機に働き方も急速に見直しがかかりました。ジョブ型労働と言われてきたように、何ができるかにこそ価値があります。人脈ももちろん重要です、仕事に関する情報もしかり。
しかし、素になったとき、個人に果たして何=価値(価値というコトバそのものに抵抗感があります)が残るのか。変わらなければならないのは、会社や社会だけではなく、まさにそこで生きる人と、生き方のモデルそのものが変わらなくてはならないのだと、改めて考えざるを得ません。
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