2月10日に個人的な変化があり、それからバタバタが続いている。
一方で、世界は2月下旬にロシアがウクライナに進行し、現在も戦闘中。円が劇的に下がる状況にあり、世界情勢も混沌を極めてきた。
混沌というよりは、ロシアの侵略(侵攻)に反対する欧米日と、それ以外の露中に大きく二分化し、田中宇的な言い方をすると、世界はアメリカ機軸であることから、多極化してきているように見える。ドルが基軸通貨であるということも、本当に終わりを迎えるかもしれない。
一昨年の米大統領選挙、コロナ騒動、そしてウクライナ。
これらの流れで、大手マスメディア、マスが得ている情報と、それに反する情報は、いわゆる陰謀論としてパージされる世界になった。
世界が大きく二分、分断していると言ってよい。
それは、表に現れる情報と、裏で流れる情報。
多くの人たちは、陰謀論として片づけられることを知らない、あるいは知ったとしても、そんなことがあるわけはないと無視をする。
ワクチンの危険性についても、報道を知ってはいても、打つことに躊躇いはない。ましてや陰謀論者が言うようなことは、頭がおかしいのではないかと思うのが普通だ。
ウクライナ情勢にしても、ロシアのプロパガンダに騙されるのは、余程の情報弱者という見方だ。
情報においても、逆に情報がそうなので、どの情報世界に生きているかによって、見えている世界が全く違う。
同じ物理世界に生きていながらにして、パラレルな情報上の世界が存在していて、それが併存している。
もしかすると、これが本当の「分断」の意味なのかもしれない、と思い始めた。
同じ物理空間に生きていたとしても、情報空間は全くことなっているということ。
情報は認識や思考につながる。同じ物理現象を見ても、解釈は全く異なるということ。
それは歴史認識であっても同じことではあった。
起こった歴史的な事実は、本来的には一つであるはずなのに、その後の報道のされ方、よって立つ思想や体制により、歴史は違った解釈になっている。時には真逆の結論となることもある。それは生きてきた世界が違うとさえいえる。
パラレルな世界というのは、実は昔から存在していたのかもしれない。物理現象、事実を誰もがそうだと納得できるような事実として認識されることがないということ。
だとすると、今目の前に現前している世界そのものが、確かにバーチャルなものなのかもしれないということ。
それは、オカルト系が言うような、物質ではなくデータ、ホログラムというような幻として実態がないというものなのではなく、実態はありながらも情報が異なるので、そこから得られている世界そのものが実態がないというか、バーチャルであるということ。
こういう考え方をすると、バーチャルな世界を渡り歩くということもできるのかもしれない。
会社の世界はそれで動いている。コロナもウクライナも影響がないわけではないが、今までの物語の延長にリスクもある。
一方で、全く世界が変わってしまうというタイムライン。このタイムラインを考えると、今の世界そのものが幻でしかなくなる。それをいったん幻として受け入れておくこと。どちらの世界もありとして準備しておくこと。そういう考え方が必要なのかもしれない。
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