私的なLife Log、ネット上での備忘録、記憶と思考の断片をつなぐ作業として。自分を断捨離したときに最後に残るものは何か。|クラシック音楽|美術・アート|建築|登山|酒| 気になることをランダムに。
2001年12月31日月曜日
レッスンメモ
鏡の前に立ち、指があばれないように、かつ音が均一になることを考えて吹いてみた。高音域とC1からみの部分は特別に練習しないとダメなようだ。
こんな練習を素人=アマチュアがやる意味があるのか、むしろ楽曲に当たって出来なかったら立ち戻るという方がいいのではないのか、と思う方もいるかもしれない。楽しい練習ではないし社会人には限られた時間がない。それはそれで正しい意見だと思う。この先、どんなに頑張ってもプロのように上手く吹けるようになるわけもないのだ。従って、このような指導には賛否があると思う。
まあ、いつまで続いてどういう効果があるのか、そもそも練習時間の絶対量を確保しないとどうにもならないが、やれるだけやってみようと思うのであった。
ということで、2001年の練習メモは終了する。
2001年12月30日日曜日
レッスンメモ
1.姿勢と楽器の持ち方
最初に注意されたことは、楽器の構え方。楽器に頭を近づけるような方法ではなく、姿勢を伸ばし胸も開きその上で楽器の方を唇に近づけるということ。
次には楽器と唇の角度。構えた楽器が下がりすぎていて、唇から出される息がねじれてエッジに当たってしまうので、楽器を水平にそして頭は少し右手の方に傾けるように指摘された。
指もガチガチに硬いとのこと。指は手を脱力して下げた場合、手のひらと指は軽く湾曲するがその形のままキーの上に置くように心がけたい。右手親指は人差し指の下あたりに伸ばして、左手親指は逆に曲がった状態としておきたい(伸ばすと手のひらの湾曲が損なわれる)とのこと。
上記は鏡をみながらではないとすぐにもとに戻ってしまう。
2.ソノリテの練習の仕方
まず何か吹いてみて、というので持参したケーラーの「Easy Exercises」の1番をまず通して吹いた。そこで先生は「だいたい分かりました」と言った後ケーラーを閉じ、ソノリテから始めることとなった。
さて、ソノリテである。トレバーの1巻にしても解説は何度も読んでいたのだが、音をつくるということがどういうことなのか、いままで全く分からないで吹いていたことに気付かされた。まず、ベースとなるH2音の作り方からはじめて、そこでクリアなH2が出たらその響きを崩さないように半音づつ降りてゆくということの意味。もしもある音がおかしくなったとしたら、それはアンブシュアの加減や歌口の開き方、そして唇とエッジの距離が本当に微妙に理想とは狂っているということなのだ。
ベースとなるH音の探し方は、まずD2の指でD2からD3に倍音で上がる。その後、正規のD3の指に替えCis3→C3→H2ともっていくというやり方だ。倍音を出してもにごらない音を出さなくてはならない。倍音は裏声を出すような感じで、最後のH2に向かってクレッシェンドしていくように心がける。
音はできるだけ、遠くに飛ばすようにイメージすることを、先生は繰り返す。また吹きながら固くならないように、歩けるくらいにリラックスすることを要求する。「音を遠くへ」という指摘は具体性を欠くという風に思う方もいるかもしれないが、これは非常に重要なイメージだ。以前、ある高名な方に教わったときも「音を遠くへ」ということを繰り返し繰り返し耳元で言いつづけた。そうすると不思議なことだが音に伸びと艶やかさが増してくるのだ。音に対するイメージというのは重要だと思う。
ソノリテの練習は、集中して自分の音に耳を澄まさなくては、その違いを理解して修正することは不可能である。そのことに今まで、トレバーの本を何度も読んでいても理解できないでいた。
3.歌口を空けるということ
「歌口はふさぎすぎないこと」これだけは、最初から注意していたつもりであったのに「ふさぎすぎている」と指摘された。
大きな勘違いがここでもあったのだ。歌口を「明ける=ふさがない」ことと「開く」ということは別のことなのだ。私の場合は逆に開きすぎていて、音が放散してしまっているという状態らしい。歌口はふさいでも1/3程度、そうするために歌口を当てる位置を随分と上方に修正された。その上で、歌口を外側に回しすぎないように注意された。
これは、おそらくエッジと唇の距離ということなのだろうと理解した。「歌口は空けその上で外側に開き過ぎないように、息のビームは下方に向けて」ということに注意して吹くようにすると良いようだということが分かってきた。
4.アンブシュアについて
理想的には唇の形=アンブシュアは全音域で変わらないらしい。その上で、例えばC4を出すような小さな穴で全ての音域を本来ならば吹きたいとのこと。例えば高木綾子がなぜあんなに音量がありながら息が続くのかといえば、それは小さな穴から効率よく息を出しているかららしい。
フォルテやピアノによって息のスピードは当然変わるが、それでも穴の形を変えないように唇の周りの筋肉?をコントロールできるようにならなくてはだめだとのこと。
この文章を書いていて、おそらく誤解を与える文章だと気になっている、読み飛ばしておいていただきたい。ひとつだけいえたことは、先生が全音域やら音の跳躍をやってみせてくれたのだが、確かに唇の形はほとんど変わることはなかった。日本音楽コンクールのビデオで高木綾子の演奏も見たが、彼女もまるで吹いていないかのごとき唇で全ての演奏を行っていた。
私の場合、高音では唇を緊張させ穴を小さく、低音に至るにつれ、ダバーと穴が大きくなっているらしく息を無駄にしているとのこと。歌口の穴以上の幅で息を出したところで全ては無駄な息である。むしろ、高音では力を抜き、低音に至るほど穴を小さくするようにと指摘された。横にも縦にも小さくである。
以上のことを十分に音が通るように、ブレスをしてもアンブシュアが崩れず常に同じ音が出せるように練習するのがソノリテの練習なのだと。これはとてつもなく時間のかかる練習であったのだ。
5.T&G EJ1
次にT&Gである。練習は遅くやること、音が出ないのに速く指だけが廻っても意味がないこと、先のソノリテの練習の連続であることを意識した上で、メトロノームを使って練習するようにと教えられた。体でリズムをとらず、メトロノームの音を頼りに正確に吹くこと。メトロノームは使い慣れていないと、うまくリズムに乗れないものだ。
八分音符108程度の速さから始めることとした。T&GはD1から始まっているが必ずC1から始めること、必ず正規の指使いで行うこと、音や指にムラができていないかよく聴きながら着実に練習することが重要なのだと繰り返された。自分の弱点のチェックなのだと。
最初は全てスラーで、滑らかな山を作るようなスラーで、メトロノームにきっちりと合わせて確実に吹くこと。もしもある音と音の間にムラがあるならば、いろいろなアーティキュレーションで練習することなどを実際に指導していただく。
低音のC1からはじめて高音のC4までフルートの通常音域をムラなく確実に吹くこと。やってみて分かったが、このスピードでも満足には吹けないのだ。特に高音域、G3より上となるとメタメタになり始める。Gis3については正規運指だと高すぎるのでできる限り替え指を使うとのこと、これも知らなかった。
低音から初めて吹いていくと、ある音からつぶれたようながさついた音になる。そのたびに歌口とアンブシュアをチェック、最良のH2の響きに立ち戻って再度スケールに戻る・・・こうして練習すると、あっという間に2時間くらい経ってしまうものだ。
6.T&Gのその他の練習
先生のT&Gも見せていただいた。昔のハードカバーの今の大きさの倍のサイズで、EJ1が見開き1ページで納められている。
先生の学生時代の教本にはイロイロな書き込みがある。「フルート演奏の基礎~練習のヒント」(小泉剛)にも書かれているが、T&Gは考え方次第では無限の練習方法があるとのこと。やたらと多くの教本に接せず、T&G一冊をじっくり取り組むことを薦められた。ただし、それには練習方法を最初にしっかりと教えてもらわなくてはできないとのこと。私はフルート初めてもう6年くらいになるが、誰一人としてそういうことは教えてくれなかった。
例えばT&GならばEJ1の他には、EJ3(B)、EJ6 アーティキュレーションは少なくとも1と8で、そしてEJ7をオクターブ上も含めて練習すると良いとのこと。小泉剛の練習のヒントにも述べられているが、EJ1に臨時記号を付け加えることで、すべての指使いが練習できるとのこと。
先生はその他にもモイーズの教本とかを見せてくれたが、楽譜の横にメトロノームの速度指定を順次書き加えたあとなどが、それこそすべの練習に残されている。「やはりこんなに練習しているんだ・・・・」と思わずつぶやいたら「そりゃそうだよ」とのこと。まったく「そりゃそうだよな(藁)」
7.そして分かったこと
最後にいわく、「これらは、すべて曲を吹くための基礎体力みたいなものなんだよ。エチュードをやるのもいいけれど、基礎体力がないと、できないフレーズが出てくるたびにひっかかってしまい、面白くないでしょう。指だけ動いても音が出なければ意味がないし、基本はまずいい音に尽きるんだよ。まずはここから練習した方がいいね。」
そうなのですよ、何故に今までレッスンを受けて、ガリボルディからケーラー、ベルビギエ、ドルーエなどと難しいエチュードに上がっていっても、振り返ると未だにガリボルディの131も満足に吹けないのかといえばひとえに、基礎体力がないことに尽きるのだ。
自分ではそれなりにやっているつもりだったのだが、「それなりに」であり、「徹底的に」ではなかったのだ。だからある線から一向に上達しないのだ。
本日教えてもらった練習をひととおりやるだけで、おそらく2時間はかかると思う。これを毎日というのは社会人には無理だが、「効率的な方法=短い時間で効果を上げる」というのはあるレベルに達した人がそれを維持するためにあるもので、基礎体力をつけようとする者にとっては、効率的な練習はないのだと知った。間違った練習を延々と続けても悪い癖を付けるだけだが、正しい合理的な練習であれば、それをひたすらやるしかないのだった。ただ、素人にはそれが合理的で正しい練習かどうかを判断できない。やはり定期的なチェックは必要だと痛感したのであった。
今日のレッスンは、今年最後にして、いままでで最大の収穫であったといえるかもしれない。
2001年12月28日金曜日
受験生の正月
で、全国ネットの塾に行っているのですが、これが何と休みは正月1、2日だけなんです。大晦日も塾通いです。東京の私立モードに地方も合せているからこうなるのですが、塾講師の「受験生に正月はない」という雰囲気と、地方で受ける学校が限られている中での受験生とその親では、気持が全然違うようです。何もそこまでやらなくても、という声が聞こえてきます。
本命を受ける前に試し受験をいくつも行い、万全を期して確実に受かるところを目指すというのが、東京方面の指導方向のようです。
学習指導要領の改正とゆとり教育、学力の低下、中高一貫教育、公立と私立のあり方、考えるといろいろありますが。そもそも学生とは、学習とはということも考えねばなりません。さてさて・・・
2001年12月27日木曜日
HPの紹介と地方都市ということ
という名前からして凄いページなのですが、その内容も圧巻です。編曲ものの超絶技巧曲のデータベースなど膨大な量のテキストが公開されています。
サイトの中には音楽と関係のない「いいたい放題」というページもあり、これまた物凄いテキスト量です。
で、ここからが本題なのですが(藁)「秋田に未来はあるか」という文章があり興味深く読ませてもらいました。というのも、先日書いた「札幌と福岡の差異」を考える上でのアナロジーのようなことが述べられているからなのです。
内容は、秋田に覇気がないのはなぜか、隣県の岩手と何が違うのかということを独自の視点で展開しています。秋田県が「各地の拠点となるべき都市が見当たらない」ということから初めて、秋田県人の「画期的なこと,革新的なことをどこか恐れ」る風潮を指摘し、それを「『不作のない』風土」に原因があると結び付けています。そのため「創意工夫に賭ける熱意」に欠ける人が多いのだと導いています。さらには、教育の展望のなさやビジョンの欠如をあげ、秋田の未来を憂慮してます。
牽強付会の感は免れないと思いますが、秋田に住んでの実感なのでしょう。ただ、後半の秋田県のばかさ加減をあげつらう部分や、将来に対する展望のなさについては、何も秋田県だけの問題ではなく、日本全国に蔓延している傾向ではないかと思えるのです。北海道や札幌も同様ですし、他県にしても同じような話はころがっているでしょう。
だとすると、秋田の活気のなさやふがいなさは、ひとつ日本の縮図であると思えるのです。札幌と福岡がどう違うかということについては、また日を改めなくてはならないようですな。
2001年12月24日月曜日
福岡の印象
人口だけで比較すると、札幌が180万人、福岡は135万人であり数字だけから見ると札幌市の方が大都市である。周辺の市町村まで集めた人口となると、どうなるのかは分からないが、この印象からだけだと札幌とさほど変らない規模の(あるいはもう少し小さな)都市を想像していた。商圏の広がりにしてもさほどではないのではないかと思っていた。
しかし、実際は全然違った。都市の成り立ちとか色々本来ならば考えねばならない問題があるのだが、全てをオミットしての印象だけから話すと、「福岡は非常に活気にあふれている」「商業ゾーンも平日の昼間から人があふれている」そして「街全体のカラーリングが古いものとあたらしいものが同居しながら、きわめてアジア的な色彩をはなっている」ということだ。
翻って札幌市を考えてみると、冬と雪のハンデはあるものの、住んでいて、どうしても明るいイメージが沸かない。何がこの印象に影響しているのだろうか。住んでみたい都市として札幌、福岡はよく名前が挙げられる都市であるが、両者には大きな差異があるように思えたのだった。
2001年12月20日木曜日
MOSTLY CLASSIC 12月号に札響の特集
「札響旅日記」と称する記事は、自らのHPも作成されている真貝(ティンパニ)さんが文章を、写真は荒木(チェロ)さんほかが撮影されたもので構成されている。両氏のHPで英国公演の様子を読まれているファン諸氏には目新しいものはないかもしれないが、こうして記事になっているものを読むとまた格別ではある。指揮者尾高忠明や札響の白鳥専務理事のインタヴューなどもあり読み応えがある。
今回のツアーは米国のテロでもめたほか、金銭的にもイロイロな問題を抱えているのだろうとは思うが、海外での演奏が、札響のひとつのステップになったことは間違いないのだろうと予想する。田中良幸(MOSTLY編集長)の記事によると、「ホルンのズッコケぶりも目立った」らしい。もっとも彼はそれを否定的に書いているのではない。尾高の言葉にもあるが、この演奏を通して札響が自分たちの音や演奏をどう見つめなおしたのかということが一番重要なのだろう。
残念ながら、英国公演後の札響の演奏をまだ聴けてはいないが、そこに何か違った音を聴くことができたとしたら、こんなにうれしいことはないと思う。実際に金曜日の定期公演を聴かれた方はどういった感想をもたれただろうか。
2001年12月15日土曜日
第54回 三岸好太郎美術館コンサート クリスマス賛歌:グレゴリオ聖歌からマルタンまで
- 日時:2001年12月15日
- 場所:三岸好太郎美術館
- 指揮:
- 明楽みゆき(ピアノ) 徳永ふさこ(ソプラノ) 山崎 衆(フルート)
- グレゴリオ聖歌 聖マリアの祝日のための ミサ曲9番
- C.グノー アヴェマリア
- L.ルッツィ アヴェマリア
- G.Ph.テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲より第5番 ハ長調
- F.マルタン クリスマスの3つの歌
- モーツアルト 微笑みつつ、静けさが/すみれ
- シューベルト 笑いと涙/あなたは安らぎ/ズライカの歌
- グレゴリオ聖歌 アヴェマリア/ひとり児がわれらのためにお生まれになった
- G.F.ヘンデル 心地よい木陰・私は涙
- キャロル まきびと羊を/荒野のはてに/もみの木
普段は声楽系のコンサートに行くことは全くないのだが、知り合いから誘いを受けコンサート会場の美術館に足をのばしてみた。三岸好太郎というのは北海道が生んだ画家で、美術館に展示されている絵を眺めると、フォービズムの影響を受けたルオー風(?)の絵を描いた画家のようだ。この小さな個人美術館の展示室を演奏会場としてのコンサートは、実に54回目を数えることをパンフレットで知った。
今回は、徳永ふさ子さんというソプラノ歌手によるクリスマスにちなんだ曲が中心のコンサート。前半には彼女が学んだ大学で後輩に当たる、山崎 衆さん(札響副首席フルート奏者)によるソロと徳永さんと山崎さんにピアノ伴奏をまじえたマルタンの曲も演奏されるなど、小さな美術館でのリサイタルにしては、充分過ぎるほど聴きごたえのあるものであった。
最初に書いたように、声楽にはなじみがない。したがって、ソプラノというとアタマのてっぺんから高い声がビンビンと響いてくるというようなイメージを持っていたのだが(失礼!)、身近で接したソプラノ奏者の声は、そんな陳腐な印象を変えてくれるに充分なものであった。徳永さんのソプラノは、暖かな歌声の中にある種の芯の太さ強さを感じさせるようなもので、決して刺激的に響いてはこない。ふくよかに包まれるような歌声で独特の魅力がある。選んだ曲目のせいなのか、あるいは彼女の人柄なのか、聴きながら温かなものが体の奥底にともるような、そんな感じの演奏であった。(演奏の合間にはいる彼女の語りの チャーミングなことときたら)
それにしても声楽の迫力というものには改めて感心させられる。ソプラノ歌手のいったいどこからあのような音量と声が出てくるのだろう。全身から放射される音楽というものに打ちのめされると同時に音楽の基本はやはり歌にあるのかと思い知らされた。
曲目もよかった。グレゴリオ聖歌などの敬虔なる曲から、おなじみのアヴェマリアをはさみながら、モーツアルト、ヘンデルという曲目が並ぶ。モーツアルトの「すみれ」での表現も素晴らしく多く親近感とアットホームな雰囲気の中で、楽しみと慈しみを与えてくれるひと時であった。
一方、山崎さんのフルートは、彼の説明によると130年ほど前の木管を使用してのテレマンであった。山崎さんは知る人ぞしるルイ・ロットの愛好家である。彼の奏でるテレマンは、挑発的に放出するものではなく優雅に奏でられ、綿毛のような心地よさを与えてくれた。木管の持つぬくもりなのだろうか、金属の楽器からは聴くことができないような温度と肌触りの演奏であり興味深かった。
徳永さんと山崎さんそして、ピアノの相楽さんによるマルタンも楽しめる演奏であった。山崎さんは、この演奏では銀製の楽器に持ち替えての演奏。マルタン(1890~1974)は名前は知っているが親しみのない作曲家である。パンフレットによると12音技法の調整音楽とあるので現代音楽に近い。しかし、フルートと声楽のハーモニーは、決して理解しがたいものではなく、適度な緊張をはらんだスリリングな音楽であり、本プログラムの中で異彩を放っていた。
声楽とフルートという組み合わせが、ポピュラーなものなのか不勉強にして知らないのだが(ドニゼッティの「ルチア」にフルートとソプラノの掛け合いがあるが・・・)、悪くはない組み合わせであると思った。
今回のコンサートは徳永さんの生徒たちなのだろうか、合唱をしている人が多かったように思う。美術館でやるのでミニコンサートかなと思って行ったのだが、決して内容的には普通のホールで行われるものと全く遜色のないものであった。
2001年12月13日木曜日
青木建設の破綻
青木建設の破綻は、同社の再建計画を(債務放棄していながら)市場が認めなかったこと、そして直接的にはメインバンクが自らの生き残りをかけて処理をしはじめたということでもある。瀕死の患者に生命維持装置とカンフルを与えつづけることを止めたということだ。
思い起こせば、ゼネコンの莫大なる不良債権はバブル期の本業以外でのものがほとんどである。当時、不動産取得や開発を手がけなかった企業は、これまで比較的安定した財務体質を維持しており、今から考えると賢明な判断だったとなるのだろうか。
当時はイケイケドンドンの雰囲気で、経営目標にも「脱建設業」「受注の創造」「多角経営」といった前向きな経営方針が踊ったものだ。バブル崩壊後の土地や株価の低迷による含み資産の減少、それに伴う受注の減少から本業回帰がうたわれたが、内部的にはバルブ前の企業体質にも企業風土にも戻ることはできていない。バブルをはさんだ前後を知るものは、その質的差異に気付き愕然としている。
「勝ち組」と「負け組み」という表現を、評論家やマスコミは好むが、建設業の全体市場は今でも約50兆円である。ただし、そこに不況になってもかえって増えた58万社が、スーパー大手から一人親方の会社まで群がっているのだ、どこかおかしい。青木とて民事再生法だ、企業として破綻したわけではなく再建を選んでいる。
ゼネコン問題は非常に根深いものがあるように思える。一つだけいえることはバブル以前には間違っても戻れない(バブルに戻るとっているのではない)。だとすると、新たなビジネスモデルを構築できるのかが、これからを考えるポイントであることに疑いはないのだが、その羅針盤は関係者に見えているのだろうか。
2001年12月11日火曜日
山下洋輔がクラシックに乱入?
山下洋輔といえばフリージャズの元祖、最近ではNHK大河ドラマ「北条時宗」の最後で、番組ゆかりの地を訪ねるコーナーのBGMを担当していた。過激でない彼の音楽をしばし楽しんだ方も多いだろう。
しかし山下洋輔の本来の姿といえば、ジャズの中でもかなり過激だ。クラシックしか知らない人が見たら仰天するのでは?という印象かもしれない。実際、生で聴いた演奏は凄かった。肘打ちはあるし、シッチャカメッチャカな感じでピアノが壊れるのではと思ったものだ。
もっとも、肘打ちは何もジャズ特有のものではない。ポリーニの弾くシュトックハウゼンなどを聴くと(見ると)分かるが、肘打ちどころか不協和音の塊りにおいて、山下の奏でるジャズ同様にスリリングで衝撃と緊張に充ちている。
先週続けてジャズ・クラブに行く機会があった。ひとつはジャズピアノのソロの店、もうひとつはトリオ演奏の聴ける老舗である。老舗の専属ピアニストが言う、「クラシックやっている人はピアノの粒が揃っていて、やっぱり違うね」と。
それを聞いて思い出した。ジャズ畑の人がクラシックに対して、ある種の引け目やコンプレックスを感じているのではないかということをだ。キース・ジャレットはバッハの平均律などを録音しているし、かの天才トランペッタ、ウィントン・マルサリスもクラシック系の超絶技巧物を録音している。ある種のチャレンジなのだろうか、それとも自分としての表現を求めての行為なのだろうか。購入して聴いていないので私にはコメントできないが、クラシック界の評判はそれほど高いものではなかったと思う。
新聞記事によると山下は、「若いころって、ジャズやっていると、とてもじゃないけど、クラシックには入っていけないんです。でも、ある年齢になると、自分の力がどこまでクラシックに通用するか、本当のところが知りたくなる」(記事引用)と語っている。山下洋輔にしてか、と驚いたというのが正直な感想だ。
今の私には、クラシックとジャズの両方をフォローするほどの時間も金銭的な余裕もない。しかし、山下の試みはどこか気にかかかるのであった。
2001年12月10日月曜日
KOEHLERのエクササイズ 3
ケーラーのエクササイズを続けているが、加藤元章のCDを入手したので早速聴いてみた。アルテスやガリボルディをはじめて加藤のCDで聴いたときのような驚きはあまりなかった。というのも、何度も練習を重ね、到達すべきスピードをとりあえずはイメージしながら練習していたため、「なるほど、やはりこのような曲調であったか」という思いで聴いた。もっとも、イメージは出来ているが音にはできないのだが。
それでも、詳細に聴けばブレス位置やら強弱のつけ方、全体的な曲の流れのつかみ方など、勘違いしている部分も多く、譜面を読むのと実際の模範演奏を聴くことの違いに気付かされる。
模範となる流麗な演奏を聴き、そのイメージが崩れないうちに、とにかく理想とするスピードで吹くことを試みると、ふとした瞬間に流れの中で、今まで出来なかった部位がすんなりできることがある。ゆっくりしたスピードでひとつひとつ練習することも大切なのだが、音楽というのはキチキチと割り切る部分だけでできているわけでもなく、ある種の勢いとか流れが重要で、そういう雰囲気をからだで感じることの重要性を改めて感じるのであった。やっぱりひとりでやる練習には限界があるなあ・・・
2001年12月7日金曜日
村上龍:アウェーで戦うために
最初に断っておくが(笑)、私は熱心な村上ファンではないし、サッカーファンでもない。Jリーグにも疎いので、知っている選手の名前は数人だし、W杯が日本で開催されるからと俄かサッカーファンを気取るつもりもない。
それでもこの本は面白い。「フィジカル・インテンシティ」というサッカー・エッセーの第3弾であり、シドニー五輪予選からセリエAまで、ナカタを軸としながら日本と海外のサッカーの温度差、ナカタのありよう、さらには彼独自の日本観を提示しているものだ。
純粋にサッカーファン(?)ならば、彼の視点はうざったいかもしれない。日本のサッカーは海外のそれに比べ、スピードも技術もない。セリエAのサッカーが速く早いものであるが、日本には足の早い選手はひとりもいない。みな遅いから、足の遅いことに気付かないなど、熱烈なファンが読んだら熱くなる部分も多いのではないかと思う。
しかし、私はサッカーに疎い。村上のサッカー論は「そういうものか」という程度の受け止め方で、理解はしても共感はしない(だって知らないのだもの)。だが、本書を通した村上の主張はダイレクトに響いてくる。それは「最後の家族」でも述べていた主張だ。
端的に言ってしまおう。本書を前にして引用しているわけではないので、多少ニュアンスは異なると思うが、彼の主張は以下に尽きる。
「生きるためには、本当に好きなものが必要である。」
「本当に好きなものが見つかると、対象と自分の間には直接的な関係性しかなくなり孤独になる。そういうときに、人と同じことをする、同好会に入るなどのような行為を取らず、自らが個として向かってゆくことが重要である。」
「人と同じであれば良いという共同体の幻想はもはや崩れ去っている。」
「ナカタのようなポジティブな人生観をマスメディアをはじめ、日本では誰も正確に伝えていない。皆がナカタになりたいと希望をもち、努力させるような伝え方、教え方をしていない」
「個人としての責任の所在が不明確な日本。不祥事やミスを犯したときの個人の責任のとり方は、その個人があとで挽回できるような形では解決されず、それが不祥事を組織内で隠蔽する温床となっている」
「コスト対利益(ベネフィット)という考え方の重要性」
「このような観点でみたとき、ナカタも自分も日本では生きにくい。」
明確かつ鋭い視点だ。上の記述だけでは分かりにくいと思うが、琴線に触れた方は是非読んでもらいたい。私のレビュなど読むよりはるかにマシである。「ゆきひろの意見箱」でもたびたび書いているが、村上の「希望の国のエクソダス」を読んで依頼、私は日本における「幸福論」というものを考え始めている。
彼の本を読んでいると、居酒屋・カラオケ的なコミュニケーションも楽しいものではあるし、共同体を認識する上には必要な行為である、しかしそればかりでは、コミュニケーションから享受できるものは恐ろしく少なく、個としての自立を阻害さえしているのではないか、ということに気付かされる。彼に言わせると、日本人は「大人気ない」という以前に「子供である」ということになってしまい、ほとんどトホホ状態であるのだが、分からなくもない。
2001年12月3日月曜日
基礎練習のやりかた
その中で、「ソノリテ」を行うのに当たって、H2-A2と下がる例の音を出す前にE1の音をまず出し、その指使いのまま倍音でH2を出し、音を出しながら正規のH2の指使いに移行するという練習が紹介されていた。ショボイ音ばかりしか出ない私にとって、割と効果的な練習法であると思った。
スケールの練習というのは、実のところ私はそんなにつまらないと思ってはいない。それでも、こんな地味な練習を続けていて本当に上手くなるのだろうかと疑問に感じる瞬間がないわけではない。
基礎練習は時間のある音大生ならば、地道に練習できるだろう。しかしアマチュアには時間がない。私のこのごろ採用する方法は、あるフレーズが出来ないときに、それの出来ない数音のみ取り出し、その音に対してT&Gの音階パターンや、T・ワイ6巻のパターンを当てはめて練習するというやり方である。16分音符のつながりにムラがあるとしたら、わざとムラを強調させたり、逆にムラをつけたりと極端な吹き方をしてから、正規の吹き方をするということもしてみる。意外と効果があるやり方だと思っている。
しかし、これとて結構時間がかかるものだ・・・と、気付いた瞬間に「プロの方は本当に気の遠くなるような練習をしているんだなあ・・・」という事実に思い至り、ひれ伏すのであった。
2001年12月2日日曜日
村上龍:最後の家族
最初に断っておくが、私は熱心な村上ファンではない。したがって、村上龍たらしめているような、セックス・暴力・ドラッグなどを扱った小説に、親しんでいるわけでもなければ共感を覚えるものでもない。それでも、村上の従来からの読者にとって、この小説は異質な小説かもしれないと思う。あまりにも普通の家庭が(リストラされる者とひきこもりの息子という登場人物であっても)書かれているため、毒気がなく拍子抜けするファンも多いと思うのだ。逆に私のように村上に親しんでいない者には共感を呼ぶかもしれない。
「希望の国のエクソダス」「共生虫」を読んでくると、村上はひとつの共通のテーマのもとに考えを集約させているように思える。もっとも同じ”ひきこもり”を扱ってはいるが「共生虫」とは雰囲気がかなり異なる小説だ。村上のテーマを特定するのは難しいが、現在の日本のおかれた状況に対する閉塞感と、破壊的な欲求とともに再生への希望を見据えているような気がする。
ここに書かれた、「最後の家族」の「最後」という意味に込められた村上のメッセージについて考えてみたい。村上は家族そのものが崩壊し、希望も夢も喪失したということを書いているのではない。最後に彼は新たな家族像を彼は提示してみせている。崩壊させたのは、戦後の高度成長期以降の日本の家族像であり、父親が中心の家族像だ。父親が強大な権力を持ち、それでいながら家庭の事象にはあまり感心を示さず、会社に奉仕することで、それを家族のためと思っているような人物像。最後になるまで自分の立場を理解できなかった、主人公のひとり(秀吉)は、会社でもリストラされ、家庭からもリストラされ二重の悲劇を被るが、そうしなければ新たに出発できないほど旧来の考えに縛られていることに驚きを覚えてしまう。
題材としては、リストラされる父親、ひきこもりの息子を中心として、父(夫)・母(妻)・息子・娘のそれぞれの視点での数日間が記されている。引きこもりの息子を理解できない父親と、カウンセラーを受けながら次第に子供との距離間をつかむことの出来た母親、ジュエリーデザイナーの恋人(?)により自立を促された娘、そして、引きこもりをしていることで、たまたま隣の家で行われる、DV(ドメスティック・バイオレンス)を目撃し、引きこもりから脱してゆく息子。
この四人がそれぞれの立場で個を自覚してゆく課程はドラマチックで新鮮だ。また「誰かを救うことで自分も救われるということはない。他人を救うことができるのは、個人が自立する=ひとりで生きていけることを示すこと以外にない」というメッセージは強烈だ。
考えてみれば、暖かな団欒のある家庭像など村上が示す前にとっくに崩壊している。しかし崩壊しただけでは後が続かない。村上は、ここに新たな再生の道として、個々の自立ということを強く主張している。自立とは他人に頼らないことだが、「自分のことを自分の意志で決める」「自分の意見、意思を伝える、話す」ということの重要性を村上は説いているように思える。ある見方からは、現状の全否定であり、ぬるま湯のような中で、相手との衝突をさけ、回りに合わせ流されながら、積極的に生きることを止めている者達への痛烈な批判でもあるように思える。
「希望の国のエクソダス」と同様に、ここに村上の持つ過激なまでの希望を目にするのだ。「希望の国~」も本作品も、考え様によっては、楽天的過ぎる結末であり大甘のファンタジーだ。もっと否定的な結末をシニカルに用意しているのではないかと途中で不安になったが、クサイとまで思えるような結末を用意したことに、村上が希望と再生を心から願っているということを理解するのである。
��追記)
実を言うと、「共生虫」は出版されてすぐ読んだのだが、全く内容を忘れている(^^;;機会があったら読み直してみたい。