- 日時:2001年12月15日
- 場所:三岸好太郎美術館
- 指揮:
- 明楽みゆき(ピアノ) 徳永ふさこ(ソプラノ) 山崎 衆(フルート)
- グレゴリオ聖歌 聖マリアの祝日のための ミサ曲9番
- C.グノー アヴェマリア
- L.ルッツィ アヴェマリア
- G.Ph.テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲より第5番 ハ長調
- F.マルタン クリスマスの3つの歌
- モーツアルト 微笑みつつ、静けさが/すみれ
- シューベルト 笑いと涙/あなたは安らぎ/ズライカの歌
- グレゴリオ聖歌 アヴェマリア/ひとり児がわれらのためにお生まれになった
- G.F.ヘンデル 心地よい木陰・私は涙
- キャロル まきびと羊を/荒野のはてに/もみの木
普段は声楽系のコンサートに行くことは全くないのだが、知り合いから誘いを受けコンサート会場の美術館に足をのばしてみた。三岸好太郎というのは北海道が生んだ画家で、美術館に展示されている絵を眺めると、フォービズムの影響を受けたルオー風(?)の絵を描いた画家のようだ。この小さな個人美術館の展示室を演奏会場としてのコンサートは、実に54回目を数えることをパンフレットで知った。
今回は、徳永ふさ子さんというソプラノ歌手によるクリスマスにちなんだ曲が中心のコンサート。前半には彼女が学んだ大学で後輩に当たる、山崎 衆さん(札響副首席フルート奏者)によるソロと徳永さんと山崎さんにピアノ伴奏をまじえたマルタンの曲も演奏されるなど、小さな美術館でのリサイタルにしては、充分過ぎるほど聴きごたえのあるものであった。
最初に書いたように、声楽にはなじみがない。したがって、ソプラノというとアタマのてっぺんから高い声がビンビンと響いてくるというようなイメージを持っていたのだが(失礼!)、身近で接したソプラノ奏者の声は、そんな陳腐な印象を変えてくれるに充分なものであった。徳永さんのソプラノは、暖かな歌声の中にある種の芯の太さ強さを感じさせるようなもので、決して刺激的に響いてはこない。ふくよかに包まれるような歌声で独特の魅力がある。選んだ曲目のせいなのか、あるいは彼女の人柄なのか、聴きながら温かなものが体の奥底にともるような、そんな感じの演奏であった。(演奏の合間にはいる彼女の語りの チャーミングなことときたら)
それにしても声楽の迫力というものには改めて感心させられる。ソプラノ歌手のいったいどこからあのような音量と声が出てくるのだろう。全身から放射される音楽というものに打ちのめされると同時に音楽の基本はやはり歌にあるのかと思い知らされた。
曲目もよかった。グレゴリオ聖歌などの敬虔なる曲から、おなじみのアヴェマリアをはさみながら、モーツアルト、ヘンデルという曲目が並ぶ。モーツアルトの「すみれ」での表現も素晴らしく多く親近感とアットホームな雰囲気の中で、楽しみと慈しみを与えてくれるひと時であった。
一方、山崎さんのフルートは、彼の説明によると130年ほど前の木管を使用してのテレマンであった。山崎さんは知る人ぞしるルイ・ロットの愛好家である。彼の奏でるテレマンは、挑発的に放出するものではなく優雅に奏でられ、綿毛のような心地よさを与えてくれた。木管の持つぬくもりなのだろうか、金属の楽器からは聴くことができないような温度と肌触りの演奏であり興味深かった。
徳永さんと山崎さんそして、ピアノの相楽さんによるマルタンも楽しめる演奏であった。山崎さんは、この演奏では銀製の楽器に持ち替えての演奏。マルタン(1890~1974)は名前は知っているが親しみのない作曲家である。パンフレットによると12音技法の調整音楽とあるので現代音楽に近い。しかし、フルートと声楽のハーモニーは、決して理解しがたいものではなく、適度な緊張をはらんだスリリングな音楽であり、本プログラムの中で異彩を放っていた。
声楽とフルートという組み合わせが、ポピュラーなものなのか不勉強にして知らないのだが(ドニゼッティの「ルチア」にフルートとソプラノの掛け合いがあるが・・・)、悪くはない組み合わせであると思った。
今回のコンサートは徳永さんの生徒たちなのだろうか、合唱をしている人が多かったように思う。美術館でやるのでミニコンサートかなと思って行ったのだが、決して内容的には普通のホールで行われるものと全く遜色のないものであった。
0 件のコメント:
コメントを投稿