恵比寿ガーデンシネマで上映されていた、デイヴィット・リンチ監督の『インランド・エンパイア』を観てきました。私は映画ファンではありませんので、前作『マルホランド・ドライブ』は観ていません。学生時代に『イレイザーヘッド』(1976)、『エレファント・マン』(1980)を観ましたが、全く理解不能で気分が悪くなったことを思い出します。TVでブレイクした『ツイン・ピークス』、これはハマりました。しかし意味の半分も理解していましたか・・・。
で、3時間にも及ぶ本作です。かなりスリリングな映画で、次の展開が全く読めませんからぼんやりと寝ている暇なんてありません。目をつぶったら最後、自分が今眼にしている映像が、何時の時代で何処の場所の物語なのか、誰が出ているのかさえ分からなくなってしまうかもしれないのですから。
映画解説や雑誌には、錯綜する五つの物語が重層構造的になって展開するように説明されています。次第にこれは、ハリウッドの世界だとか、ポーランドの何処かだとかは分かってきます。しかし、それが分かったところで、何になるというのでしょう。作品の振幅は大きく、ゆらぎ、そして時空ごと乱れていきます。
一体に、主役である女優ニッキー(ローラ・ダーン)は何歳という設定なのでしょう。それ程の美人ではないので、映像のアップを眺めるのはかなり苦しい(そもそも、人物アップがとても多い映像)。それでも役によってめまぐるしく変わる彼女の風貌は、作品に得も言われぬ深みと、ある種の厚みを与えていました。
��Vを観て泣く女、冒頭から陰鬱です。何故に泣いているのか、彼女は何を観ているのか。最後にその謎らしきものが分かります。しかし、その「解釈」とて、彼女の復讐と救済の物語だったなんて考えると、途端に白けてしまいます。それだったら今までのフリは、この3時間は一体何だったの!と。
泣き女は救われたとしても、ぢゃあ、ニッキーは救われないのか?確かに救われませんね。あのラストの脳天気さにカタルシスを感じますか?ヤケっぱちささえ感じますが・・・脳天気に踊っているのは彼女ではありませんよね。彼女は、何事もなかったかのように、いや、全てを経験したかのように、微笑みながらソファに横座りしています。あの浮浪者に看取られての「死」のシーンは強烈でしたからね。
それにしても、これは女性の物語です。リンチは本作をabout a woman in trouble, and it's a mystery, and that's all I want to say about it.
と語っているそうです。womenではなくA womanですから、ニッキーを指しているのは自明でしょうか。それでも登場する女性達の運命は、それぞれです。男性も登場しますが、支配的で性的にして暴力的という描かれ方に終始し、女性の送る人生に比べ刺身のツマ程度の役割しか果たしていません。夫なのにツマとはこれいかにです。そのツマが女性の運命を暗くも明るくもします。娼婦たちの退廃した明るさは儚くもエロティックで、しぶとく、強く、そして美しい。助監督のズルさとは対照的です。
いや本作に意味や物語を求めるのは野暮でしょうか。自らの行動の曖昧さ、現実と幻想の、現在と過去の溶解。重なり輻輳する人生と突き動かされる内なる衝動、崩壊。催眠と無意識。行動には結果が伴うという蓋然と偶然。愛とエロス。生と死。それらにノイズとノスタルジーが被さり、茫と霞んでゆく・・・。
音楽はキャロル・キングの「ロコモーション」がベタで印象的。ベックやペンデレツキなども使用されていたようです。私は映像と合わせて、ずっとノイズが鳴っていたような気がしています。いや、映像そのものが、壮大なノイズであり混沌。生半可な解釈はやはり不要でしょうか。
��S.
ペンデレツキの何と言う曲が使われていたか知りませ。NMLでヴァイオリン・ソナタを聴きながらレビュを書きました。ペンデレツキ!いいぢゃないですかっ!(>いちおうクラ音楽ブログだしね)