今日はITSで購入したガーディナー&イングリッシュ・バロック・ソロイスツによる「マタイ受難曲」を聴きながら走ってみました。もはや定盤であるガーディナーの「マタイ」、悪いはずはありません。ただし12kmそこそこの距離では、「マタイ」を最後まで聴き通すことはできません。ブルックナーならば大丈夫なのですが、バッハではダメです。やはりバッハは偉大ですっ!(>って、ちょっと違うだろう)。
冗談はさておき「マタイ受難曲」は軽々しく聴ける曲ではありません。正直に申しますが「マタイ」のリアル全曲ボックスは所有していません。抜粋版だけです、それも誰のか覚えていない、ほとんど聴いていないんです。
「マタイ受難曲」といえば究極の西洋音楽として崇め、全曲ボックスも複数所有しているというのが、正当なクラシックファンの姿でありましょう。例えば、『鎌倉スイス日記』のSchweizer_Musik先生ともなりますと、こうです。
(→http://suisse.exblog.jp/9064566/)
聞く音楽は何にしようかと考えて、バッハのマタイ受難曲を聞くことにした。ガーディナーの演奏はどんなものか…。今第1部を聞き始めたところ。素晴らしい演奏だ。もう10種類以上もマタイ受難曲を持っているけれど、どれが良かったかなんてなかなか言えない。さすがにこれほどの傑作を録音するほどの音楽家なら、大体一流に決まっているし、(中略)
さて、このガーディナーの録音。レポートするには曲が曲だけに簡単にはいかないが、凄い演奏だということだけは確かだ。エヴァンゲリストのアンソニー・ロルフ・ジョンソンもなかなか良い。エルンスト・ヘフリガーが…などと無い物ねだりしてけなすほど私は下品ではない。
それに合唱も上手い。さすがにプロの合唱で聞くマタイは安心感がある。
プロにしてこういう評価です。素人の風上にも置けない私ごときが、「ガーディナーの『マタイ』は・・・」などと書こうものならば、笑止千万です。
毎日のようにCDの感想をアップされている『妄想的音楽鑑賞とお天気写真』のyurikamome122さんは、「マタイ」(リヒター指揮)に対して控えめです。
(→http://yurikamome.exblog.jp/1401545)
正直この曲私にはわからないのです。(中略)
とにかく音楽に色気がないのです。気の利いたところもないではないですが、たとえばハイドンの「天地創造」のように。でもこういう曲はわかってくると奥深いのでしょうね。ある雑誌ではバッハ最高の傑作として取り上げられていましたが、私には「ロ短調ミサ曲」の方が聴けます。あれは飽きません。悲しいことです。残念です。
yurikamome122さんにしてこうなのです。音楽が偉大過ぎるのでしょうか、悲しいことです、残念です。
しかし、古学ファンであられる#Credoのkimataさんともなると流石です、「マタイ」に通底されておられるため、やはりこうなります。
(ヘレヴェッヘ指揮→http://blog.livedoor.jp/credo5026/archives/50368055.html)
とか言ってるくせに、今はBCJではなく、ヘレヴェッヘのCD(エヴァンゲリストがボストリッジのやつ)を聴きながらうブログ書いてます。ただいま、後半のフラット系の調性になるところまで来ました。この辺が一番好きです。いい曲だよ、まったく!
後半のフラット系になるところとは、具体的に「どこ」?なのでしょう、そう指摘できることそのことが、すごいことです。
とまあ、ネット上の正当なクラシックファンの方々の「マタイ」評を読むのは楽しいものです。そうして改めて、走りながらとか眠りに落ちながら聴くわけです。聴きながら思います。単なるBGMとして聴くには崇高すぎると。襟を正して背筋を伸ばしてでなくては、バッハやバッハ信者に失礼に当たるのではないかと。
しかしウェアの襟ばかり気にしていては走れません、背筋を伸ばしては苦しくて眠れません。椅子に座って聴こうにも、お尻が痛くなってしまいそうです。私にとって「マタイ」は、せいぜいがiPodに入れて走ったり散歩したりしながら聴くのが相応しいと思うのでした。
いつかは礒山雅著『マタイ受難曲』でも読みながら、真正面からこの曲に取り組んでみたい気はしますけど。
バッハ:マタイ受難曲
ジョン・エリオット・ガーディナー(cond) イングリッシュ・バロック・ソロイスツ バーバラ・ボニー(S) アン・モノイオス(S) アンネ・ソフィー・フォン・オッター(A) マイケル・チャンス(CT) ハワード・クルーク(T) オラフ・ベーア(B) クラシック声楽曲
録音年(1988年4月)/収録場所:オールドバラ