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2003年3月9日日曜日

楽劇「ラインの黄金」全4場 その2

楽劇「ラインの黄金」全4場


《ラインの黄金》概要

■ 《ラインの黄金》の背景となる世界

《ラインの黄金》は《指環》四部作のうちの最初を飾るもので「序夜」という位置付けがなされている。《指環》がジークフリートの死から構想され、ジークフリートの成長、ジークフリートの誕生にいたる物語、そして《指環》全体を支配するテーマとしてのラインの黄金というように発想されていることは 以前触れた 。楽劇最初の《ラインの黄金》に登場するのは神話上の神々たち、ニーベルハイム(死の国)に住む小人たちそして巨人族であったりする。ここでの神々というのも「 指環を概観する 」で書いたように、決してキリスト教的倫理観に基づいた神々ではない。権力と富とを求める人間的な神であり、一方で自然界を支配する原始的な神々である。

例えばヴォータンは主神であるとされ、ドンナ-は雷神、ローゲは火の神である。ヴァルハラ城の建設の対価として提供されそうになったフライァは美や青春(若さ)を司る神であり、ヴォータンを諭し、《ラインの黄金》以降でヴォータンと結ばれてしまったエルダは智の神だ。

ここで、ラインの乙女(水の精)たちをあわせて考えると、水、火、土、大気など元素的な要素が色濃く支配する神話的世界であることが分かる。英語のWednesday、Friday、Thursdayはそれぞれヴォータン、フリッカ(ヴォータンの妻)、ドンナ-を語源としているらしい。《ラインの黄金》には人間は一人も登場しない(小人や巨人が人間だというのなら当たらないが)。支配しているのは自然界の象徴としての、それでも人間以上に人間くさい神々なのである。

■ 指環に込められたテーマ

《ラインの黄金》は4場で構成されており演奏時間も2時間半程度と《指環》四部作の中では一番短い。それでもここには、今後の《指環》を聴いてゆく上で重要なテーマや音楽的な動機が散りばめられている。

ストーリーは単純に書くと、「ラインの水底に沈む黄金を、愛を断念したアルベリヒが盗み指環に替える。指環は富と権力を我が物にできる力を持つとされる。その指環をヴォータンが奪い取るものの、アルベリヒは指環に呪いをかけてしまう。ラインの黄金の最後は指環をヴァルハラ城建設の代償として城を建設した巨人達に与え神々は城に住まう」ということになる。

右の絵はTheodor Birisになる《ラインの黄金》を表したものだ。一番上にラインの乙女達(左上)と黄金を盗み取るアルベリヒ(右上)が、中央にフィライアをさらってゆく巨人兄弟(中左)とそれを止めることができない神々(中左の女性はフリッカか)、遠くの山の上には完成したヴァルハラ城が見える。下には地底世界の小人族たちとそこに下っていったヴォータンとローゲ(下左)が書かれている。

さてストーリーを書いてはみたものの、このままではこの楽劇で何を表そうとしているのか全く分からないので少し補足しておこう。最も重要なのは指環に込められた意味であろうか。指環は富と権力を得るための象徴的なものとして登場するが、これを得るためには「愛を断念する」ということが不可欠とされている。

「富と権力を得るために(男女の)愛を断念する」というテーマは強烈だ。ワーグナーの人生観において両者は両立しえないと考えたと言うことなのであろうか。裏を返すと富と権力を投げ打っても愛の方が重要であるという主張でもあるのかもしれない。それほどまでにワーグナーにとって愛は重要なテーマであったということなのかもしれない。

ここでの愛とは肉親や兄弟愛なども含んでいると考えてもよいが、狭義にはやはり性愛を含めた男女間の愛だと思われる。ここにおいてワーグナーにとっては肉親愛は男女間の愛に容易に変遷してしまうように書かれていことは驚くべき点だ。彼の倫理観を問うよりも彼の個人的な生い立ちによるのだろうか、詳しいことはまだ調べていないので分からない。ただ、ワーグナーが9人兄弟の末子で、両親ともワーグナーが年少の時に(特に母ガイヤーはワーグナーが8歳のときに)亡くなっている点は記憶しておいてよいのかもしれない。いずれにしても、権力と愛への希求と選択ということが劇の登場人物に架せられた課題であることを《ラインの黄金》は冒頭から示している。

ここでワーグナーの女性像や愛の形というものを考えた場合、彼の描く愛はもっぱら男性側の理想としての女性の愛という印象を受けないでもない。男性から女性へのオファーは少なく、もっぱら女性の愛情を一身に男性が受ける、どんなに男性が身勝手でも女性の愛情で救われるというように感じられてしまう。このような点はワーグナーの他の楽劇でも同様で、それ故にワーグナーの書く男性像が、私にはどこか子供じみた印象を受けてしまう。《指環》を仔細に聴いてゆけば、このような感想を変えることができるだろうか。

《ラインの黄金》における主神ヴォータンは性格的には男性的なものの象徴のように思われるが、彼は一方で権力欲が強くそして女癖が悪いキャラクターとして描かれている。妻のフリッカがヴァルハラ城を巨人族に建設させたのも、居心地の良い家を作りヴォータンを家に留めておきたいがため、というから泣かせるではないか。

こうして考えると指環四部作とて難解近づきがたい作品では全くないことに気付く。ワーグナーの楽劇や他の多くのオペラ作品と同じように「男女間の愛」を(ひとつの)テーマとしていることに変わりはないようだ。(ワーグナーはジークフリートを軸に《指環》を構築したということになっているが、この点は後にゆっくり聴いてゆきたい)

では前置きはこのくらいにしておいて《ラインの黄金》を聴いてゆくことにしよう。

(2003.3.9)

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