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2005年10月25日火曜日

中沢新一:「アースダイバー」 2


中沢新一の「アースダイバー」の中に歌舞伎と鶴谷南北に関する興味深い記述がありますので拾っておきましょう。

本書は縄文時代の痕跡が、長く東京(江戸)の精神世界の根底に影響を与え続けているという仮設が書かれています。現在の東京の地図に洪積層と沖積層という「固い」地盤と「湿った」地盤で示される地形を重ねることで、縄文当時の地形が生み出していた土地の性格と東京の成り立ちが、密接に結びついていることを示した点で画期的でありました。

そこで新宿歌舞伎町です。「歌舞伎町」の名前の由来が、戦後に新宿に歌舞伎座を誘致しようということから名付けられた事は、何かで知ってはいましたが、

もともと歌舞伎は湿地を住処とするような人々によって、守り育てられてきた芸能ではないか。(中略)歌舞伎を乾いた土地から、湿った土地へ取り戻そう。それは、歌舞伎という芸能にとっても、生命復活のきっかけをもたらすに違いない。(P.46)

という気運が当時盛り上がっていたのだと中沢氏は書いています。ご存知の通り、歌舞伎は江戸庶民の娯楽ですし、題材も廓(遊郭)ものが多い。そういう意味からは中沢氏の言うように「湿った」土地を基盤とする芸能であるという主張は、何となく納得してしまいます。

その後に中沢氏は鶴谷南北の「四谷怪談」について触れ、これを湿地からの逆襲という言葉で表現してみせています。四谷怪談の「お岩」さんは、史実によると決して怪談に書かれたような不幸な女性ではなく、市民生活の幸福の象徴として「お岩稲荷」に祀られています。そして「お岩稲荷」のある場所は四谷の高台(「乾いた場所」)に今も存在しています。

一方鶴屋南北の生きていた世界は「湿った土地」の「湿った社会」であり、歌舞伎役者たちは「川原乞食」とさえ呼ばれ社会的には低い身分でした。鶴谷南北は「お岩稲荷」の「お岩」という名前と、当時流行していた柳亭種彦の「近世怪談霜夜星」の主人公「お沢」に着想を得、「乾いた土地」の象徴であった「お岩」を「湿った土地」につながりをもつようなドロドロとした世界に引き摺り下ろす物語を書いたというのです。

鶴谷南北の心の中で、湿地帯の想像力がむくむくと頭をもたげだした。高台に住む幸福な武家の主婦であったという、その女性の名前は「お岩」。その名前によって、彼女は崖下の湿地帯に、秘密の通路でつながっているはずだ。お岩というこの女性は、お沢の同類でなければならない。暗い大地の底で死霊の世界につながりを持っているお岩は、なにかの原因で、ふためと見られない醜い容貌に成り果てる必要がある・・・(P.56)

かように鶴屋南北が考えたかは定かではありませんが、「乾いた土地」と「湿った土地」の絶妙な対立とバランス。これは、中沢氏の文章とアースダイバーの地図を片手に、場所を思い浮かべたり、あるいは実際に訪れるならば、夜陰に忍び寄る霧のように体のなかに染み込むように感じられる瞬間があるかもしれません。

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