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2005年10月23日日曜日

林信吾:「しのびよるネオ階級化社会」


 題名に吊られて購入してしまった本です。不勉強にして林信吾氏がどのような方なのか全く知りませんが、この程度の内容が「新書」として740円で売られているということに疑問を感じないでもありません。平凡社新書はせいぜい、このレベルということでしょうか。

と辛辣な事を書いてしまいましたが、だって題名が「しのびよるネオ階級化社会~"イギリス化"する日本の格差」などという大そうな割に、内容ときたら、せいぜいが「ぼくの十年間にわたるイギリス滞在経験から考えた最近の日本」くらいのものでしかないからです。

視点は極めて個人的経験に依拠しており、たとえば森永卓郎氏の「年収300万円時代を生き抜く経済学」などを森永氏の論の立て方はてんで雑で、説得力に欠ける(P.200)と書いたりするのですが、そっくりそれは林氏の本書に返してあげたいくらいです。

林氏の指摘する「最近の日本は機会不平等の傾向が強くなってきている」「特に教育機の不平等は階層の固定化を招くこととに繋がり、それは日本の活力を奪う可能性がある」ということは、多くの人が指摘していることです。この「固定化された階層」が「イギリス型階級社会」に似ているとしている点のみが氏独自の視点と言えるでしょうか。

それでも、本書を読んでいくらか考えるべき点はあるようです。たとえば「中流意識の崩壊」ということについても、努力次第で誰もが享受できると信じられていた成長=幸福という果実が実りなきものであると認識され始めた故だとするならば、社会全体が感じ始めている無力感の根は深いと改めて思います。

どうやら林氏が一番書きたかったのは「教育機会の不平等」ということらしく、そこから生まれる固定化された階層の社会の底辺に押し込められた人たちは、のんびり生きるのではなく、単に向上心を持たないその日暮らしになると指摘し、

頑張っても大したものは得られない、という社会には、未来はない。(P.208)

と主張します。

しかし、それでは問う「大したもの」とは何なのかと。森永氏の「年収300万円生活」に対する胡散臭さなどはさておいても、結局問われるのは個人の生活であり人生であり幸福論に行き着くはずで、「階級社会」を選択するか否かも、政治家や資本的強者が仕向けているわけではなく、もしかすると「弱者」と規定されつつある、まさに私たちの日々のあり様がそれを決定付けているのかもしれません。

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