2004年1月26日月曜日

昨日のサンデープロジェクトに小沢さんが出ていましたね

あまり真面目に見ていませんがでしたが、以下のような発言が耳に止まりました。

小泉首相は正月の靖国神社参拝を「初詣」と称した。一国の首相が靖国参拝するということは政治的決断を伴うもので、それを「初詣」と称するとはデタラメもいいところだ。マスコミも誰も騒がないのはオカシイ。

全くもって同感です。こんな首相を支持している日本は脳死状態ですな。田原氏に小沢さんは靖国に参るのかと問わましたが、明治の官軍以外でも等しく戦死した日本人を祭るような施設になるならば、参拝すると答えていました。

でも、そういう施設はやはり戦没者慰霊碑ですよね。神社という概念が私には馴染めません。

パウエルさん、認めたのですね


パウエルが "open question"としながらも、大量破破壊兵器がなかったかも知れないと認める発言をしていますね。


ちょっとしばらく時事から遠ざかっていましたが、新鮮な驚きです。どうやって落とし前をつけるのでしょう。


Secretary of State Colin Powell said on Saturday it was an "open question" whether stocks of weapons of mass destruction would be found in Iraq and conceded it was possible Saddam Hussein had none.(REUTERS)


朝日新聞の本日の社説にも本件について言及されていますね。


米英首脳がなぜ誤った情報や分析に踊らされたのか。湾岸戦争以来の宿願であるフセイン政権の打倒が先にありきで、WMD問題はそのための方便だったのではないか。米英両政府は真相を調べあげ、包み隠さず国際社会に説明する責任がある。(朝日新聞)


と書いていますが、そんなこと最初から分っていたことですよね。でどういうストーリが展開するのですか。日本の立場(どこまでも対米追従ですが)は、どう動くのでしょうか。


こんなバカなことがあっても、政権は転覆しないのですね。

【音盤】テレマン:パリ四重奏曲集

以前紹介したテレマンの「6つの四重奏曲(クァドリ)」に続く四重奏曲です。こちらも「クァドリ」にも増して素晴らしい音楽に仕上がっています。

金曜日に所沢で有田氏の演奏会が催されたのですが、一度彼の演奏を生で聴いてみたいものだとつくづく思わせる演奏です。


有田正広:テレマン/パリ四重奏曲
  1. 四重奏曲 第1番 ニ長調 TWV43:D3
  2. 四重奏曲 第2番 イ短調 TWV43:a2
  3. 四重奏曲 第3番 ト長調 TWV43:G4
  4. 四重奏曲 第4番 ロ短調 TWV43:h2
  5. 四重奏曲 第5番 イ長調 TWV43:A3
  6. 四重奏曲 第6番 ホ短調 TWV43:e4
  • 有田正弘(フラウト・トラヴェルソ) 
  • 寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン) 
  • 上村かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 
  • クリストフ・ルセ(チェンバロ)
以前紹介したテレマンの「6つの四重奏曲(クァドリ)」に続く四重奏曲です。1730年にハンブルク出版された「クァドリ」がパリでも注目を集め、テレマンをパリへ招聘しました。その時に作曲されたのが、ここに納められた六つの四重奏曲です。テレマンを招聘したのは当時の名手であるプルートのプラヴェ氏(彼自身のフルート曲も有名)、ヴァイオリンのギニョン氏、ガンバのフォルクレ氏、そしてチェロのエドワール氏などです。

「クァドリ」でもそうでしたが、この曲集は明らかにプロの演奏者のための音楽になっています。当時は、アマチュア演奏家のためにも曲集は作曲されており、例えばテレマンの「忠実な羊飼い」などが、フルート吹きには有名でしょうか。

CD解説によれば「おそらくテレマンが書いた最もフランス的な作品」とあります。しかも"プロ仕様"の曲だけあって、きわめて音楽的かつ躍動的で華やかな色彩にあふれた音楽に仕上がっているように思えます。

この演奏においても有田氏のフルートトラヴェルソの音色は際立っているのですが、先の「クァドリ」と比べてピッチが高い(a'=415)せいでしょうか、音色の粒立ちや切れが一層鮮やかです。私はこのCDの第1番ニ長調の冒頭をはじめて聴いたときに、その音色の素晴らしさに思わず声を上げてしまいました。テレマンのパリに対する思いの表れとも受け取れます。今も昔もパリはまさに「華の巴里」であったということなのでしょうか。ヴァイオリンの寺神戸氏についてまったく触れておりませんが、私は寺神戸氏として意識して音楽を聴いたことがないので、感想らしものをまだ書くことができません。

「クァドリ」も確かに素晴らしい演奏なのですが、こちらと比べてしまうと、どうしてもくすんだ色彩に感じられてしまいます。それが曲の完成度によるものなのか、あるいは演奏や楽器によるものなのかは私の拙い知識では分かりません。しかし、私はこの2枚組みのCDを飽くことなく何度も聴いてしまっています。

ちなみにこのCDは文化庁芸術作品賞という有難い章を受賞しているそうです。

2004年1月24日土曜日

映画:ラスト・サムライ

渡辺謙が主役のトム・クルーズを食ったとか、「日本人でよかった」と涙ながらに映画館を後にする若者の姿が宣伝で流れ話題となった「ラスト・サムライ」を観ました。

私は「ミッション・インポシブル」のようなトム・クルーズの「オレ様映画」というのが実は大好きです。出来過ぎの設定や、見栄を切るかのごときポーズも観ていてカッコいいなあとワクワクしてしまいます。

今回の映画も内容云々よりも、トム・クルーズがサムライに扮したくて作ったような映画であろうと観る前から思っていたのですが、その通りの映画でしたので、勿論大いに楽しむことができました。

「武士道」とか「サムライの精神」については、どうでしょうか。映画の言わんとしていることは分かりますが、政治でも文化でも日本を占領した当の米国に、精神性まで教えていただかなくても結構です、という反発を覚えなくもありませんが、新渡戸稲造も読んだことがない無学な拙者のようなものは、ただ平伏するしかありません。

そういう映画のテーマなどはこの際無視をして、素直にトム・クルーズや渡辺謙、そして真田広之、小雪たちの立ち回りを楽しめば良いと思います。小雪がトム・クルーズに衣装を着せ替えてあげるシーンは、ヘタなラブ・シーンよりも美しく色っぽいです。

ロケ地は明らかに日本ではないようで、風景に若干違和感を覚えますが、それをおおめに見れば、ディテールまで凝りに凝った良質のエンターテイメントであると思います。もっとも、世の中の大絶賛の嵐には、少し疑問を感じますが…

2004年1月18日日曜日

【本棚】正高 信男:ケータイを持ったサル


正高信男氏は京都大学 霊長類研究所教授にして比較行動学の研究者である。サルの研究にいそしんできた正高氏が、比較行動学の手法を用いて現在のケータイに依存した若者と、それを生み出した家庭環境、ひいては日本社会を鋭く分析して見せた書である。

「ケータイを持ったサル」という少々過激なタイトルに、若者を侮蔑するような響きを感じる方も居るかもしれないが、読み進めると、週刊誌にあるような単純な若者嫌悪や批判とは全く論旨を異にしていることに気づく。特に氏の得意とする研究分野でのサルの行動との比較や、データを用いた若者や家庭分析がユニークである。

例えばメル友を300人以上持つグループと、ケータイを持たないグループでの簡単な投資ゲームの結果が第4章(「関係できない症候群」の蔓延)に記されている。いわゆるゲーム理論の「囚人のジレンマ」である。ゲームの参加者は2名、利益を確保するために相手を信頼あるいは裏切る選択を迫られるシミュレーションだ。この結果は私には驚くべきものであった。両グループで、これほど如実に差があるのかと、少し薄ら寒くなる思いさえした。詳しくは本書を読んでもらいたい。

正高氏は、ケータイでメル友と繋がらずにはいられない若者と、ルーズソックスに踵を踏み潰した靴で闊歩する若者を、公共領域に出ることの拒絶と捕らえ、その背景を「子供中心主義」で子供たちを育ててきた、家庭環境、ひいては日本社会にあると論理を敷衍してゆく。子供中心主義や「親離れしない子」「子離れできない親」ということも、正高氏が始めて言ったことではないが、一連の論理の中では説得力がある。

ちなみに、メル友で繋がる若者を「サル」と称するのは、ごく単純なコミュニケーション手段を用いて、連帯感を確認する行為はサルにも認められる行為であり、自分の属する集団から一生離れて生活することの稀なサルと似ていると見るからである。

イメージや感覚だけで述べた本ではないため、読んでいて明快である。氏の結論に同意できるか否かは個人によって様々だろうが、私には頷ける点も多く面白く読むことができた。

2004年1月17日土曜日

【音盤】テレマン:6つの四重奏曲


<1730年ハンブルク版>
テレマン
  1. コンチェルト第1番ト長調
  2. コンチェルト第2番ニ長調
  3. ソナタ第1番イ長調
  4. ソナタ第2番ト短調
  5. 組曲第1番ホ短調
  6. 組曲第2番ロ短調
  • 有田正弘(フラウト・トラヴェルソ) 
  • 寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン) 
  • 上村かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 
  • クリストフ・ルセ(チェンバロ)
 
イタリア語のQuadriと題されいるこの四重奏曲集は「2つの協奏曲、2つのバレット(舞曲、フランス組曲)、2つのソナタ」とされてる。細かな様式の違にまで言及することはできないが、器用で時流に乗ることのうまかったテレマンらしい音楽になっている。曲集はプロフェッショナルな演奏家を対象としているというだけあり音楽的な技巧も楽しむことができる。

有田、寺神戸、上村、ルセ氏の4人の名手については、いまさら解説は不要というところだろうか。柔らかにして軽やか、そして暖かな有田氏のトラベルソの音色は長く聴いていても疲れることがない。ピッチも現代よりもかなり低めに設定されているせか(a'=398)、音楽全体がしっとりと落ち着いた華やかさに輝いている。アンサンブルの響きは絶妙であり、そこからくっきりと浮かび上がるトラヴェルソの音色は、まさに至福の時間を与えてくれる。

もっとも、ずーっと聴いていると、美しさと心地よさにうっとりはするものの、だから何なのだ?という疑問が沸く瞬間がないでもないが、それをこの時代の演奏に求めることに無理があるだろう。

2004年1月14日水曜日

人柄と音楽性あるいは音色

演奏や音色に人柄は出るものなのだろうか。
あの人は生真面目な人だから、固くかっちりした音。
彼は奔放だから、大胆でおおらかな音。
彼は、スケベだから「いやらしい」音。

生真面目でなくても、スケベでなくても表現できるのが
上級者ということなのでしょう。

するというと、普段のレビュで
「○×ならではの清冽にして怜悧な音は・・・・」
「知的な演奏構成は、△□に今回も特徴的で・・・・」
などと書くことに、どれほどの意味があるのでしょうか。

2004年1月11日日曜日

【音盤】ザ・ベスト・オブ・マリア・カラス

以前にも書いたことがありますが、私はベスト版とかオムニバス版はあまり好きになれません。どうしても全曲を聴きたくなりますし、全体あっての部分であると考えるだけに「おいしいところ」だけを取ったというような構成に馴染めないのです。

そういう偏狭な態度がレパートリーを狭めているのではとも思い、まあ年の初めだからと軽い気持ちで購入してみました。


ザ・ベスト・オブ・マリア・カラス
●プッチーニ:ある晴れた日に(蝶々婦人)●ビゼー:恋は野の鳥(カルメン)●ガタラーニ:さようなら、ふるさとの家よ(ワリー)●ロッシーニ:今の歌声は(セビリャの理髪師)●ベルリーニ:清らかな女神よ(ノルマ)●サン=サーンス:あなたの声に心は開く(サムソンとデリラ)●ヴェルディ:慕わしい人の名は(リゴレット)●花から花へ(椿姫)●グノー:私は夢に生きたい(ロメオとジュリエット)●プッチーニ:私の名はミミ(ラ・ボエーム)●モーツアルト:あの恩知らずは約束を破って(ドン・ジョバンニ)●マスカーニ:ママの知るとおり(カヴァレリア・ルスティカーナ)●ボンキエルリ:自殺!(ジョコンダ)●プッチーニ:お父様にお願い(ジャンニ・スキッキ)●この宮殿の中で(トゥーランドット)●歌に生き、恋に生き(トスカ)

マリア・カラスのベスト版とのことですが、日本語解説を読むと「舞台で歌わなかった役のアリアが半数近くを占めて」とあります。オペラ門外漢の私には、それさえも「そうなのか」と思って読みながらカラスの歌声に聴き入りました。amazonのレビュでは「もしあなたがマリア・カラスにまつわるすべての大騒ぎの背後にある理由を知りたいのなら、このCDを買いなさい。(中略)このCDは16人の女性を訪れるようなもので、彼女たちはすべて興味深く、全員が偉大な歌手なのだ!」とあります。

果たして私は、これがカラスの歌声と意識して聴くのは、おそらく初めてなのだろうと思います。印象としては、決して転がるようなソプラノの美声ではなくことに驚きました。むしろメゾ・ソプラノのような声質をひきずっています。それゆえにというのでしょうか、独特の存在感と迫力を聴かせてくれます。歌声の背景から、何かが迫ってくるかのようです。

全部で16曲収録されているが、思いの他の満足を得ると同時に、やっぱりカラスは実演で聴いていたら魅せられているのだろうなと思わせるものの片鱗を感じることができました。

2004年1月5日月曜日

【本棚】天木直人:さらば外務省!― 私は小泉首相と売国官僚を許さない

天木氏は元レバノン特命全権大使、小泉政権のイラク攻撃に反対する意見具申(「対イラク攻撃に対する我が国の立場」)を官房長官宛に打電し、それが小泉政権批判になるとして辞職させられた人である。彼に対する退職勧告は君は組織の枠を踏み外したというものだったらしい。本書は外務省批判本であり、元外務大臣の田中議員が「伏魔殿」と称された以上の腐敗状況を実名入りで書き綴った本でもある。

手元に本書がないので、引用や紹介はできないが、この本を、辞職させられた腹いせの、単なる暴露本と捕らえるのでは、天木氏の、それこそまさに血を以て書かれた書に対しては失礼であると思う。天木氏は外務省と政府批判を書いてはいるが、実のところ今の日本社会を活写している

外務省に限らず、批判を全く受け付けず、体制を批判する者を容赦なく排除する組織体制。組織を維持することが目的と化し、組織から得られる利権のみを求める組織員。これは何も外務省のことばかりではないと思い至る。これは外務官僚や小泉政権に対する批判に留まらず、広く日本国民への批判の書となっている。

驚くべきは今日の日本に、国民のため、国家のために役立とうという高い志を持った官僚は皆無全ての官僚は、時の権力者に取り入って出世すること生き甲斐を感じるか、出世競争に敗れたと悟るや否や、少しでも見返りを確保しようと躍起になるかのどちらかと天木氏に書かしめる体質である。自己の信念のためことを成し遂げようなどと思うものはいないとまで言い切っている。

読んでいて、言い知れぬ無力感にとらわれると同時に、天木氏の書く内容は内容はストレートで分かりやすいが、少し感情的になっているのではないかも思わないわけではない。天木氏の言うように、志の高い官僚は皆無なのだろうか。批判するのは良いが、独善的な感想から全外務省を敵に回し反感を買っても得策であるとは思えないのだが。

彼のような官僚が働くことのできない日本政府、あるいは日本の社会というのは一体何なのだろう、誰のものなのだろうかと、読み進めるうちに怒りと諦めの気持ちがないまぜになってくる。それを打破する道があるのかないのか、天木氏は最後にいくつかの提示をしている。この書が日本の政治システムの夜明けになることを期待すると天木氏は締めくくるが、日本の場合「市民運動」のようなものは盛り上がらないのだよなあ……

2004年1月4日日曜日

高村薫:照柿


「照柿」。"てりがき"と読むのだそうだ。高村氏の小説の中では、一般的にあまり人気がないようだ。内容が暗く、そして重いとのこと。高村氏の小説を読み難いという人は多いが、この小説はその最たるものらしい。

しかし、私の中では、この小説の持つ意味は大きい。ベストセラーとなった「レディ・ジョーカー」も凄まじい小説であったとは思うが、もしかするとこちらの小説のほうが、純度と内容が濃いのではと思わせるものがある。現代の「罪と罰」と帯にはある。成る程、そういう見方もあるのかと。付け加えるならば、間違ってもこの小説は「ミステリー」ではない。


舞台は東京と大阪。8月の狂いそうになる暑さの夏。合田雄一郎(「マーククスの山」や「レディ・ジョーカー」でお馴染みの)は、たまたま乗り合わせた電車の人身事故(飛び込み自殺)に遭遇する。そして、そこで一瞬出会った美保子に一目惚れしてしまうところから話は始まる。

高村氏が女性を、しかも「男女の愛情」を書くというのも珍しいが、彼女が書くとこういう小説になってしまうのかと、私は愕然としてしまった。18年振りに会った旧友の達夫が、なぜ殺人を犯すこととなるのかというもうひとつ大きな軸もあるのだが、私にはこの小説は「解体」の物語と読めてならない。

何の解体か、言わずもがな「合田雄一郎」の解体だ。その意味から、小説の中の二つの轢死事件は、肉体の解体と死滅が、合田自身の精神的解体の物語の暗喩となっているように思える。熱心な高村小説あるいは合田ファンには、本小説で合田が「崩れていく」様を見るのがつら言うが、それは当たらない。むしろ辛いのは、そこまでに至る意志の厳しさだ。

「解体」とは、すべての内実を曝け出し、脱ぎ捨て、そして解体の後には、別の何ものかになることを示唆している。解体されたのは、合田だけではなく達夫もしかり、二人の間での激しい愛憎がスパークし、何者かに変わった(あるいは戻って何かを取り戻した)のかもしれない。自分をギリギリまで見据え、それでも自己を解放しさる軽々しさと重々しさ。高村氏の小説に一貫して共通するテーマ。

高村氏は、この小説の中で、ダンテの「神曲」のくだりを引き合いに出す。

「痛恨は悔悛の秘跡の始まりだから、喜べばいいんだ。突然魂を襲う意志こそ浄化の唯一の証拠だ……と言ったのはダンテの……」(加納)
「スタティウスが、ダンテとヴェルギリウスに言うんだ。煉獄の何番目かの岩廊で」(雄一郎)
「意志だよ、意志。すべては。」
「意志のお化けだもんな、あんたは」
(P.254)

��冷静に考えると、義兄弟でこんな会話をする二人こそ「お化け」に見えなくもないが)合田と達夫は「地獄」「煉獄」を経て「天国」を見ることができたのだろうか。ラスト491頁から最後までは、涙なくして読めない。そうくるだろうなと分かっていてもだ。

2004年1月2日金曜日

【本棚】養老孟司:<逆さメガネ>、バカの壁


書店に行くと「バカの壁」が山積みで記録的なベストセラーを記録しているとのこと。更に養老氏の本が何種類もバナナの叩き売りのように積まれているのを見て、まあ話題だし読んでみようかという気になって2冊ほど購入。しかしながら、正月早々、くだらない本を読んでしまったというのが正気な感想か。amazon.comのカスタマーズ・レビュにざっと目を通しても、否定的な感想が多いようである。

この2冊は4ヶ月をおいて発行されているが、内容はどちらもほとんど同一。さらに、養老氏自らが執筆しているのではなく、これは私の話を、新潮社の編集部の人たちが文章化してくれた本(「バカの壁」P.3)という、なんともバカにした本である。


なぜこのような本がバカ売れし、しかも二匹のドジョウならぬ数匹のドジョウにまで化けねばならぬのかと思うことしきり。「バカの壁」という風変わりで、少し過激なタイトルでなければ、あるいはここまで売れなかったかもしれず、新潮社の商売のうまさには感服する。

内容批判をする前に、くさしてしまったが、考えてみれば内容を書くのもばかばかしい。要は、話が単純、短絡的、牽強付会、一面的、こじつけ、例題が貧弱、理論が貧弱。縁側で経験豊富でちょと賢い爺さんが話す小言をまとめたような本と言ってよいかもしれない。

もっとも、もののひとつの見方を提示するという点では確かに一理あるかとは思う。養老氏が「都市化」と称する考え方には同意できる部分も多い(<逆さメガネ>)。しかし個性と身体性云々のところは、成る程とさえ思えない。養老氏は「バカの壁」と常識を疑う「逆さメガネ」を強調するが、彼自身の中で「壁」があるのではなかろうか。ただどちらかを読むとしたならば、<逆さメガネ>が良い、こちらの方が氏の考え方がストレートに出ている。

先にも書いたが、今日も書店に行ったら山のように養老氏の名前を冠した本が山となっていたが、どんなに「良い本」であろうと、二度と氏の本は読まないだろう。

2003年12月18日木曜日

ジュネスさんのヒラリー・ハーンのレビュ

アマチュア・ヴァイオリニストのジュネスさんから、ヒラリー・ハーンのレビュが届いたので紹介したい。ジュネスさんは以前もレビュを送ってくださったことがあるように、熱烈なハーンのファンである。今回のレビュも、ジュネスさんのこの曲に対する考え方や、5枚のCDを比較検討した上でのハーン評など、大変に丁寧な文章になっているので、ぜひとも読んでいただきたい。

レビュを読みながら改めてCDを聴いてみた。私はどうもブラームスとの相性があまりよくなく、ブラームスで心底感動する演奏に、あまり接したことがない。渋さというか重厚さという先入観からか、飽いてしまうところがなきにしもあらずなのだ。

ハーンの演奏は、爽快さをともなって、どこか突き抜けた世界観をいつも構築してくれているように私には思える。軽やかというのとも違うのだが、ブラームスの協奏曲も、彼女の手にかかると艶やかさと軽やかさの中に、確たるものを聴かせてくれている。軽快さはジュネスさんも指摘してるオケの編成のゆえかもしれない。

彼女の毅然として凛とした演奏手法はフレーズの隅々にまで行き渡り、神経がギリギリにまで研ぎ澄まされているかのような印象を受けながらも、決して技巧だけに傾いた演奏ではない。技巧の極地は逆に音楽に余裕さえ与えているように思える。エモーショナルに傾いた演奏でも、重厚さや艶やかさを強調した演奏でもないのに、音楽から溢れてくる美しさと躍動感。彼女の演奏はやはりどこか突き抜けていると感じた。

2003年12月16日火曜日

ネットで音楽

休日にブラブラとネットを検索していたら、著作権の切れた演奏をネットにアップしているサイトがあった。「クラシック音楽へのおさそい~ユング君のホームページ~」という名前のサイトで数多くの名曲をストリーム再生することができる。サイトの紹介には『めざすは「クラシック音楽の青空文庫」』とある。

ためしにベートーベンの交響曲のページを見てみると、トスカニーニ、フルトヴェングラー、シューリヒト、ワインガルトナー、ワルター、バルビローリなどの演奏がアップされている。音質はPCにつないだ再生装置に左右されると思うが、何とはなしにあの曲を聴いてみたいと思うときには重宝すると思うのでありました。



2003年12月2日火曜日

フランスの音楽

「墓場に持ってゆく曲」を選曲して、フランス音楽がほとんど選ばれなかったことに、多少の驚きを感じたのだが、考え見たら私は、フランス音楽にほとんど親しんだことがないことに気づいた。おそらくピアノを習った方ならば、ドビュッシーやラヴェルを弾きますから、そういうことはないのでしょうが。 

フランスの作曲家にどういう人がいるのか「フランス音楽の扉」というサイトを参考に、列挙してみました。本当に、縁遠いということがよくわかりました。時間のあるときにまとめ聴きしてみようかと思います。
 
ベルリオーズ・・・フランス人だったのですね、フルート吹きでもあったとか 
グノー・・・アヴェ・マリアっすね、ほかには? 
オッフェンバック・・・そりゃそうですが 
フランク・・・どんな交響曲だったっけ? 
サン=サーンス・・・オルガン付きは三ザーンス  
ビゼー・・・え?フランス人だったの? 
シャブリエ・・・やっぱり冬は牡蠣にシャブリエっすか?>シャブリだって 
マスネ・・・拍子と息が取れないんですよね 
フォーレ・・・レクイエムは知ってます。子守唄もシシリエンヌも知ってます。 
ショーソン・・・詩曲でしたっけ?一回は聴いたな シャミナード・・・フルートものがあったな 
ドビュッシー・・・いわずもがな 
デュカス・・・ディズニー? 
サティ・・・ジムノペディ以外も知ってますが 
ルーセル・・・名前は聞いたことある 
ピエルネ・・・同上 
ラヴェル・・・やっぱ、マ・メール・ロワとダフ・クロ?
イベール・・・まずはフルートコンチェルトだしょ 
オネゲル・・・まずは牝山羊だっしょ 
ミヨー・・・プロヴァンスにつきますな 
プーランク・・・フルートソナタだけでなく室内楽もなかなか 
デュリュフレ・・・フォーレに次ぐレクイエムっすな 
ジョリヴェ・・・そうそう「五つの呪文」という曲がありました 
メシアン・・・結構つらいっす 
ブーレーズ・・・フランス人だったんすか

2003年12月1日月曜日

墓場に持ってゆく数曲

精神、肉体、忍耐、プライドがズタズタの状態で12月を向かえ、あまりに疲れているので、思いつくままに、墓場(あるいは無人島)に持っていく曲(演奏者を問わず)を選んでみた。列挙してみたら意外な結果になってしまった。ずいぶんと偏った選曲である・・・。仏蘭西ものがほとんど選ばれなかったのは、曲を知らないからのようである・・・・

墓場三曲

モーツアルト「レクイエム」
マーラー交響曲第2番「復活」
バッハ「ロ短調ミサ曲」
…三曲とも合唱付の曲が選ばれた。バッハのマタイ全曲はチトつらいかもしれない。フォーレの「レクイエム」は選びたいのだが、墓場に人気の曲なのであえて挙げず。墓場に持ってゆくのに「復活」はないだろうに、と思うよ。

墓場五曲

シベリウス交響曲第5番
マーラー交響曲第5番
…マラ5の冒頭は葬送の音楽だが、結果的には、どちらも前向きな曲ではある。墓場に向かって意気揚々と進むのである。

墓場七曲

シベリウス交響曲第7番
ブルックナー交響曲第7番
…どちらも、永遠を感じさせるでしょう。

墓場九曲

マーラー交響曲第9番
ブルックナー交響曲第9番
…やっぱり、ひとつの境地ですから、はずせませんね。

墓場十一曲

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」
ワーグナー「ニーベルングの指輪」(全曲)
…墓場にワーグナーとは、ずいぶん脂ぎっているように思えますが、墓場はなにせ孤独で退屈ですから、長い時間かかる音楽と愛が必要なのです。ついでにプルーストも持ってゆきますよ。

墓場十三曲

モンティベルディ 「聖母マリアの夕べの祈り」
マラン・マレ「ヴィオール集」
…ワーグナーのあとは静謐に祈りましょう。

墓場十五曲

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番
…墓場のなかでグロテスクなジークでも踊りますか。

墓場十七曲

モーツアルト「コジ・ファン・トウッテ」
モーツアルト「ドン・ジョバンニ」
…モーツアルトの歌劇なら、何でもいいんです。

墓場その他(曲番を特定できない)

バッハ 無伴奏フルートソナタのうち数曲
バッハ 無伴奏チェロソナタから数曲
バッハ 平均律かインヴェンションなど鍵盤曲
モーツアルト ピアノソナタから数曲
ベートーベン ピアノソナタのうち後半から数曲
ベートーベン 弦楽四重奏曲のうち後半から数曲
ラヴェルのピアノ曲、室内楽曲から数曲
ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲から数曲
バルトーク 弦楽四重奏曲から数曲
…もはや、墓場のための選曲ではないな。