2004年5月15日土曜日

ねむい・・・

カンテツしてそのまま夜に突入・・・ 寝てねーつーか、生きてねーつーか。

何のために、こんなにサンドバックのようにボロボロになんなきゃなんねーんだよ。カンテツ明けの朝7時、ボロボロの状態で上司に罵倒され、アタマ モーロー、何か難しいこと言われたら、パッと白紙状態にフラッシュ。自分の低脳さと無力さにウンザリするヒマもなく。

倒れた方がマシと何度も思ったけど、倒れられないものだよ。しかしまたしても俺という人間の限界が見えた一日だったな、てまだ終わってないけど。

世の中のことなど知らなくても地球は回ってるってことだ。賢い奴は寝ていて、愚かな奴はボロ雑巾のように使い捨てられるだけってことだ。



本当に追記

ネット上で私生活に近いことを書くのは好みではないのだが、まあ敢えて書いてしまう。

今週は本当に酷い週だった。最後の3日間は睡眠数時間、食ったものといえばカロリーメイト2箱、うどん、オムライス、ほかは思い出せないという、ほぼ人間を捨てたような日々であった。なぜ食事をしていないのかと思うだろうが、本当に食事をしている時間などないのだ。次々に来る指示と会議のアラシ、様々なプレッシャーの中、朦朧状態で数字をさわっていても、もはやチェック機構や冷静な判断を失ったアタマには単純な足し算や掛け算のミスさえ気付くことができない。提出した書類の不備を上司やら重役どもに罵倒されながらも社内をドブネズミのように駆け回る。部下の作った書類も提出直前にミスが見つかり、ここでブチ切れては以前の二の前とこらえながら修正。やっとのことでクライアントに提出したら、全く受け入れてもらえずだ。ダーーーっ!! 連休も休みも返上だったんだぞ! 結果が全てって冷酷な事実が聳え立つだけだ。

という週だったのだが、別にオレがやらなくても会社は動くし、このプロジェクトの成果は確かに会社の明暗を左右するのではあるが、失敗したところで人が死ぬわけでも、派兵した中隊が全滅するわけでも、日本が潰れるわけでもない、と考えれば、私の仕事など別にどうというほどの責任でもなく、莫迦らしさと茶番と会社の脆弱さなどが見えてきて、そぞろ空しくなるサラリーマン人生というところだ。ボロ雑巾のようになる前に(既になりかけているが)何とかせねば。

つーか、「そんなバカなことはできません」「それは、私の職務内容ではありません」「そんなに言うなら貴様がやれよ」と言ってみたいものだよ。

【音盤】ベネット/ヘンデル:フルートソナタ集

W・ベネットによるヘンデルのフルートソナタ集です。ベネットはギリス出身のフルート界を代表する名手です。かなり以前ですが、実演にも何度か接したことがあり「端正」とも表現される演奏スタイルにいたく感銘を受けたものです。

このヘンデルのソナタ集も、独特の深みのある音色と教科書のような正確さで淡々と演奏されています。

ベネットはM・モイーズやランパル、J・ギルバートなどに師事しており、いわゆる正統派の演奏家ということになるのでしょうか。先ほど「端正」という表現を使いましたが、音色にもクセやいやらしいところが無く、また音楽の解釈においてもあざとさなどを感じることは全くありません。

音色も明るく柔らかなでありながら、どこかコクのある響きです。「明るい」と言っても、楽天的な華やかさよりも明晰さを感じる方向で、どこか「教授」とでも評したくなる雰囲気があります。さぞかし実生活においては超真面目人か変人であるのではないかと想像しているのですが実際はどうなのでしょう。

さて、そのようなベネットですから演奏には文句の付けるところなどどこにもないのですが、何か物足りないと感じてしまうことも認めざるを得ません。それでも繰り返し演奏を聴いていると、抑制された表現の中に秘められたものが閃くように現れる瞬間があり、静かな感興を覚えることができます。

そういうわけで、こういう盤を聴いていると、フルートでも練習せねばという義務感だけは湧き上がってはきます。そういえばこの曲集の中のソナタ ホ短調でも吹いてみるかなとか・・・

●ソナタ イ短調 HWV374《ハレ・ソナタ》第1番●ソナタ ホ短調 HWV375《ハレ・ソナタ》第2番●ソナタ ロ短調 HWV376《ハレ・ソナタ》第3番●ソナタ ホ短調 HWV379(作品1の1a)●ソナタ ニ長調 HWV378
フルート:ウィリアム・ベネット、チェンバロ:ニコラス・クレーマー、チェロ:デニス・ヴィゲイ、演奏:アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ室内アンサンブル、録音:1981年1月 ロンドン、PHILIPS UCCP-9443

2004年5月10日月曜日

【音盤】フレスコバルディ:オルガン名曲集


トン・コープマンの演奏でフレスコバルディ(1583-1643)のオルガン曲集を聴いています。

ジローラモ・フレスコバルディは北イタリアのフェッラーラーに生まれ、初期のバロック音楽に多大な影響を与えた作曲家です。

フレスコバルディ公爵家は、中世から800年近くにわたって政治、経済、文化にも大きな影響を与えて音楽家以外にも多くの著名人を輩出しています。現在ではヨーロッパ最大級のワイン生産業者として、あるいは高品質なオリーブオイルの生産業者として知られているのだそうです。

そんな由緒正しいフレスコバルディの音楽ですが、イタリア人という性格のせいなのか、バッハのオルガン曲のような堅苦しさなどは余り無く、自由奔放な明るい雰囲気が漂っています。いや明るさはコープマンの性格によるものなのかもしれません。

特にトッカータ集第2巻からの曲が良いですね。大音量でオルガンの響きに浸っていると、俗世のどうでもよいような些細なことなど忘れてしまい、黄金に輝く明るく清らかな楽しい場所に連れてゆかれるような満ち足りた気分になれますです(ちょっとアブナイ)。

フィオーリ・ムジカーリはバッハもこの曲集を写譜するなどして対位法の技法を学んだそうです。私はこの曲を聴いても対位法の何たるかさえ理解できないところは相変わらずなのですが、オルガンの多彩にして変化に富んだ音色に魅せられてしまい、よき睡眠に陥ることができますです。

このCDは、ERATOからの国内盤ですが1000円なんですよ。極楽の道にはお買い得かと。

●トッカータ集 第2巻より●フィオーリ・ムジカーリより
オルガン:トン・コープマン(サン・ベルナルディーノ大聖堂の歴史的オルガン、1726年製)、録音:1993年9月、イタリア、ラクィラ

2004年5月8日土曜日

福田官房長官が辞任ですか

週間文春の『福田長官独占告白「本当は8年間払っていません」』という記事を受けて勝谷誠彦の××な日々。より。


正午前のニュースで各局は福田辞任の原因が文春のスクープであるとどこも触れなかった。官邸の記者クラブが知らないわけはない。連休の間遊びほうけていて抜かれたスクープくらいきちんと初出メディアを明記しろ。


だそうです。


自動車大企業のトップが捕まり半数近くが脱法者である国会議員が傷を舐めあって国民の年金をしゃぶる法案を通すという風景はこの国の上層部にいるほとんどが犯罪者であるというフルフォード氏の「クレプトクラシー(泥棒国家)史観」の具現化そのものと言っていい。


とも書いています。脱力でコメントする気力もなし。こちらもどうぞ。

2004年5月6日木曜日

クラクラする産経新聞


私は普段は新聞(ペーパー)はあまり真面目に読んでおりませんでして、大手新聞の社説とコラム、それに電子新聞サイトの主要記事だけをざっと眺めるという乱暴なことをしております。社説など滅多に読まない(読みたくない)という方は多いのですが、クラシックサイトの擬藤岡屋日記で『最近の「産経新聞」の主張(社説)は面白い。[...]面白すぎて、頭がクラクラする。というエントリーが目に止まりました。私もこの頃産経のオモシロさにクラクラしておりましたので。




もっとも私は産経批判をするほどに思想的でも知識が豊富でもありませんので気分や感想でしかないのですが、それでも5月2日の産経新聞の憲法改正に関する社説(主張)で


フジテレビ「報道2001」による二月二十六日調査は「改正すべきだ」が65%を示した。最近の各種世論調査はそろって改正派が多数を占め、国民の認識の深まりを反映している。


と書いているのを読むと、私の感覚は少数派意見なのかと思たりしてしまいます。産経新聞はサッカーW杯予選などで若者が日の丸や君が代を歌う様を『社会が成熟してきた証』とか書いたりもします。産経にしてみると、世の中の趨勢は産経にありというところなのでしょうが、どうしても私の感覚とずれているなあと。


では「憲法の矛盾を是正せず、自衛隊は廃止、天皇制も廃止し皇居は解放した公園にでもしたいのか」と問われると答えに窮することも確かで、ここらあたりが改憲派からは突け込まれる論理的弱さなのだと思います。


��月4日の朝日新聞社説は靖国神社の遊就館について書いていました。これは私も以前「意見箱」で書いたことがありますし、東京に居る間に一度は訪れてみたく思っている場所のひとつなのですが、朝日は以下のように書いていました。


戦争には相手があった。しかし、展示や説明には、あくまでも当時の日本から見た敵国への憎悪や世界の姿があるだけだ。戦争をする日本を世界がどう見たのかという客観的な視点は、およそうかがえない。ただひたすら戦地に散った日本人の心の尊さをたたえるのだ。


どちらがズレているのかは、やはりすぐには答えが出せません。今日は『サヨクを論破するための理論武装入門』というこれまたクラクラする題名につられて、『正論6月号』(産経新聞社)を購入してしまいましたよ。

2004年5月5日水曜日

【音盤】オーケストラ リベラ クラシカ/ハイドン交響曲ほか

  1. 交響曲第15番
  2. チェロ協奏曲ハ長調
  3. 交響曲第44番「悲しみ」

  • 指揮:鈴木秀美
  • 演奏:オーケストラ・レベラ・クラシカ
  • 録音:2002年11月29日、浜離宮朝日ホール ライブ録音

定評のある鈴木秀美氏が率いるOLC(オーケストラ・リベラ・クラシカ)の第三弾の録音です。プログラムはオール・ハイドンで交響曲がふたつとチェロ協奏曲が納められています。この演奏も評判に違わずに素晴らしい演奏で、思い出したように何度も繰り返し聴いています。

定評のある鈴木秀美氏が率いるOLC(オーケストラ・リベラ・クラシカ)の第三弾の録音です。プログラムはオール・ハイドンで交響曲がふたつとチェロ協奏曲が納められています。この演奏も評判に違わずに素晴らしい演奏で、思い出したように何度も繰り返し聴いています。

ハイドンという作曲家は沢山の曲を残している割には曲の知名度は低いようで、かく書く私もハイドンに親しんでいるわけではありません。以前にアダム・フィッシャー指揮によるオーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団のCDを聴き、ハイドンも捨てがたく、いやいや聴きようによってはモーツアルトよりも余程よいかもしれないなどと思ったものですが、それ以来は再びご無沙汰でした。

��LCの奏でるハイドンを聴いてみましたところ、何と生き生きとしていることかとびっくりしてしまいました。生命力と躍動感に溢れ、CDから音楽の粋が飛び出してくるかのような演奏です。古楽器と小編成のオケによる音は恐ろしいほど統制が取れていて、それでいて繊細さや華やかさをふんだんに振りまいてくれます。

交響曲第15番も楽しめる曲ですが圧巻はやはりチェロ協奏曲でしょうか。鈴木氏のチェロの迫力ときたら、これが古楽の演奏かと思うほどにスリリングかつエキサイティングです。そして、どの音の断片にも音楽の喜びが溢れているかのような演奏です。枯れていていながら肉感的であり、繊細でありながら図太く、優雅でありがなら力強い、こんな感覚をハイドンから得られるとは思いもしませんでした。第一楽章後半のチェロのカデンツァなど鳥肌ものです。

アダム・フィッシャーの演奏もそうでしたが、ハイドンの曲には(モーツアルトとは異なる)疾走感が伴っているように思えます。鈴木氏の演奏もアダージョとアレグロでの緩急や表情の対比が見事で、それゆえに優雅なところはあくまでも典雅で、疾走するところは限りない運動性能を感じさせてくれます。つまり全くダルではなく、高揚したハイテンションな感情が維持されます。

ふと考えるとこれが古典派の音楽なのだろうかと、無知無学な私などは思わずにいられませんが、私的にはこういう演奏は全然OKではあります。

交響曲第44番は短調の曲で「悲しみ」という副題がついていますが、第一楽章の引き裂くような弦の強い響きから始まる曲もキビキビと極めてキレのよい演奏に仕上がっています。やるせない冒頭のテーマが第一楽章は繰り返されますが、一度聴いたら頭から当分離れません。

『クラシック・ジャーナル002』(アルファベータ)で石原俊氏は、

第三楽章は長調で書かれているにもかかわらず、サウンドが《悲しみ》の方向に引っ張られるのだが、鈴木はそのあたりに透明感を持たせている。終楽章は透明な悲しみに向けてオケ全体が疾走してゆく。

と書いていますが、成る程音楽評論家というのは的確な表現をするものです。

悲劇的なテーマではあっても、ベタベタしたロマン派的感情ではなくドライな表現になっています。キレが良くてドライとくればアサヒビールになってしまうのですが、キレだけでどこか物足りなさや欠乏感を感じることはついぞ無く、聴き終わってみればまたしても楔のような深い感動を覚えているのでした。

2004年5月1日土曜日

「レッツゴー!クラヲくん」


Classicaでの連載、思わず笑えますね。「クラヲ」でサーチすると今までのを読むことができます。


私もいくつか考えた。


「クラヲさー、お前、死んぢまった爺さんの写真ばかり見て泣くなよ・・・」


「クラヲよー、フリマでクラシックCD売るのはいいけど、どうして同じ盤が何枚もあるんだ?」


「お前の押入れに封を切ってないボックスもの結構あるけど聴く気あんのか?」


あ・・・面白くないですね。もう書きません。

「正論」の靖国論

月刊誌「正論」は産経新聞社によるオピニオン誌で、編集方針は岩波書店の「世界」とは対極にある雑誌といってよいことは皆様ご存知の通りです。

2004年5月号は『靖国・英霊「分祀」論の妄を弁ず』と題して、かの東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏が執筆しておりました。キワメて楽しそうな話題でしたので思わず購入して読んでみました。

これまたご存知のように小堀氏は我が国を深く愛されており、中国や韓国や東南アジア諸国の内政干渉など無視して堂々と首相は終戦記念日に靖国参拝を行わなくてはならないと強く主張している方です。

小堀氏の批判は今年2月15日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」に出演した元衆議院議員中曽根康弘氏の靖国神社の発言に対し『歴然たる無知と誤認がある』と批判することから初め、靖国神社に対する世間の誤解について力説しています。

本号では小堀氏のほかに、弁護士の稲田朋美氏、アジア経済人懇話会会長の前野徹氏も寄稿しておりますが、どれもこれも論旨は同じです、ポイントとなる点をいくつか引用しておきましょう。

(中曽根氏を初めとする「或る党派の人々」は)中共政府の走狗となつて護国の英霊を辱めることを敢へてし、結果として祖国を敵に売る行為に加担した(小堀氏)

殉難者の英霊の「分祀」を言ひ張る人は、結局は、当人が東京裁判をどう見るか、といふ踏絵を踏まされることになるのである。(小堀氏)

「A級戦犯」を、"分祀"するようなことがあれば、現在の日本人が東京裁判の正当性を認めたことになり、サンフランシスコ平和条約発効後、国民の総意で戦犯釈放等を早期に実現させた先達の努力を水泡に帰し、わが国の将来に遺恨を残す(稲田氏)

(靖国神社に象徴されているのは)祖国に対する忠誠心、すなわち命を懸けて国を守るという崇高な精神(稲田氏)

本来なら東京裁判によって断罪された日本の汚名を晴らすべき日本の首相が自虐史観に染まっている(前野氏)

日本にはA級戦犯など存在しない[...]靖国神社に祀られる英霊は戦犯などではない(前野氏)

自虐史観に対する舌鋒の鋭さは相変わらずですが、さらに中国や韓国に対する不信感もかなり凄いものがあります。

(南京虐殺記念館の入場が無料になったことに対し)でっち上げの南京虐殺事件を自国民の心に強く刻み込み、反日感情を高めようという意図が見え隠れ(前野)

(南京虐殺記念館を中国政府が「世界文化遺産」としてユネスコへの登録申請を計画したことに対し)南京事件の虚構性を暴く実証的研究の続出によつて、中国当局は形成不利と知り、焦り始めたのである。(小堀)

韓国では密かに日韓の歴史の塗り替への布石が着々と打たれている。[...]水面下では日本の神話を自国の歴史にすり替えるための研究が韓国の歴史学者たちによって進められている。[...](韓国には)日本列島全体を属国化しようとする意図すら隠されている可能性もある。(前野)

日本はアジア諸国から見下され、今や食い物にされようとしている。中韓の対日批判の高まりはその狼煙である(前野)

ふう、もうたくさんですね。でもこういう方が以下のように主張するのですよ。

共存共栄、強者は弱者をいたわるという日本の美風(前野)

その論理ですと、日本はアジアの強者ですから、大東亜共栄圏という発想から弱者であるアジア諸国を貧困と列強諸国から解放しようとしたのですし、その「日本の美風」の精神の延長線でイラクを独裁政権から解放することのお手伝いをしているということになるのでしょうか。

たとえ南京大虐殺(の規模や瑣末的なディテール)が虚構であったとしても、日本人が民間中国人を殺したという事実は残るわけですし、一人殺しても虐殺した過去は変わらないと思うのです。今アメリカがファルージャで行っていることも、フセインがクルド人に対して行ったことも虐殺であることに異論がるでしょうか。

小堀氏を始めとする東京裁判否定者は、戦勝国の一方的利害による偏向した裁判は不当であり、冤罪であるとまで主張するのですが、ある時代の歴史が下した審判を否定し去ることで日本に名誉と栄誉が回復するのでしょうか。

彼らのような主張をする人が率いる日本がどういうものなのか、中国や韓国に敬意を(全くといってよいほど)払わず、不信と蔑視と利用価値しか感じないような主張の中でどうやってアジアで共存できるのでしょう。彼らの描く日本に住みたいと思いますか?

【本棚】酒井啓子:イラク 戦争と占領


イラク関連の報道番組ではおなじみになった酒井啓子さんの近著です。アメリカ主導によるイラク戦争が開始されてから、13年振りに現地を訪れた酒井氏がイラク「解放」の実態と問題点を、イラクの歴史的経緯を踏まえながら丹念に書き上げた本です。

本書を読むと、イラクがいかにイギリスやアメリカによって恣意的に扱われてきたかが嫌というほどによく分かり、イラク国民の期待と希望と、そして幾度と無き裏切りと占領によって国家を蹂躙されている歴史がまたしても繰り返されていることに、驚きと憤りに近い感覚を覚えます。

田中宇氏の「イラク」でも書いていましたが、イラクは誇り高い国民です。いや誇りを捨てた国民などいないのですし、自国に愛着を抱かない国民もいないはずです。更には自国の平和を願わない国民だっていないはずです。

しかしイラクはそれらをことごとく奪われてきたといっても過言ではないかもしれません。今回の戦争は独裁者からイラク国民を解放したという点では一時的に歓迎されましたが、アメリカのフセイン後の統治政策の無策により、当のアメリカがフセインとなんら変わらない存在になってしまったことということについては、酒井氏は何度も指摘しています。

この本を読むと、イラクの国民の中でも民主化政策に対する考え方については、統一的な考えが醸成されるまでには至っていないことが分かりますし、戦後の混乱に乗じて様々な勢力が台頭し新たな紛争が始まる気配についても感じることができます。でも、それ以上にアメリカが中東に招いたそれを上回る不振と混乱は、どう贔屓目に見ても支持できるものではないようですし、アメリカによる中東戦略は平和と安定ではなく戦争と混乱しか引き起こしていないことを、ジャーナリストはもっと喧伝すべきなのかもしれません。

そのようなアメリカに議論もなく追随してしまっている日本国政府とそれを支持しているらしい日本国民は、イラクに住む人から見るとアメリカと同列と見なされても止むを得ない面もあるのだと思います。人質事件は起こるべくして起きた事件ですし、それを契機として日本でなければできない貢献の仕方というものが、どこかにあるのではないかと思わずにはいられません。

アメリカのイラク攻撃と自衛隊派遣に賛同する人は、えてして保守派層が多いと思います。その彼らが憲法改正や自主憲法制定、対米追従の見直し、国防の増強を主張するということに、今の時点では疑問を感じざるるを得ないことを蛇足ですが付記しておきます。

2004年4月29日木曜日

「間違った歴史認識」

4月28日の産経新聞の主張(社説)です。


旧日本軍が中国に遺棄したとされる毒ガス兵器で死傷者が出たとして、中国人被害者らが日本政府に損害賠償を求めた訴訟の控訴審が東京高裁で始まった。

(本文すべて略)

その結果、賠償請求は棄却されても事実認定で原告側主張が認められ、史実の誤りが独り歩きするケースが少なくない。

(さらに略)

間違った歴史認識は教科書の記述を歪(ゆが)める。法務省はこれからも、法律論だけでなく、歴史事実の認定についても積極的な反論を試みてほしい。


産経新聞の持論の(飽きるほどの)積み重ねですね。私はそこまで勉強熱心ではありませんので、貴方が学んできた歴史認識が間違っていると言われましても、「はいそうですか」とはなかなか受け入れがたいのですが。


いずれにしても、産経の方々は、日本の誇りと強さを回復させることにご尽力されているわけでして、さらに国際社会の中で中国、北朝鮮に屈することなく確たる国家観を樹立させる強い意志をお持ちであることには深い敬意を覚えはいたします。

「反日」


人質事件――「反日」とは何ですか』と題する4月28日の朝日新聞の社説です。


「人質の中には、自衛隊イラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府、反日的分子のために血税を用いることは、強烈な違和感、不快感をもたざるを得ない」

 自民党の柏村武昭参院議員が参院決算委員会の質問の中で、そう述べた。
��中略)

自衛隊の派遣に異を唱える者はみんな反日だ。そんな連中はどんな目にあっても、放っておけばいい。柏村氏の発言はそんなふうに聞こえる。

 「反日」とは、なんだろうか。



柏村氏は人質になったことを「反国家的」「利敵行為」とも述べた。まるで戦時体制のような言い方だった。


つらつら考えるに、時代の空気なのでしょうか。「非国民」という言葉だって、普通に使われるようになるのではないでしょうか。やっぱりオカシイと思いませんか、私は思います。自らが自由を少しずつ狭めているのは、日本という国の閉塞感と見えない圧迫感から来るのでしょうか。

人質パッシングの海外の見方とか

4月23日のLetter from Yochomachiで紹介していたThe New York Timesのイラクの人質3人に対するパッシングについて書かれた記事は『反日日系人(?)による自作自演』であるとするブログを見つけました。


社怪人日記2004」と「リアルじゃ他人には話せないこともあるし。」というサイトですが、記事を書いたのが「NORIMITU OONISHI」という日系人東京支局長であるという点と、朝日とNTは記事提携をしている点のみから類推し『それだけでストーリーが見えてしまいます』と書いています。





築地周辺の情報だけニューヨークや世界に流さないでほしいなぁ。(社怪人日記2004)



朝日のマッチポンプにはいい加減うんざりです。(リアルじゃ他人には話せないこともあるし。)


Letter from Yochomachi氏のサイトは毎日チェックしているのですが、これも最近ですが仏ルモンド・ディプロマティックの記事を紹介したエントリーに対して、記事の執筆者が「進歩的左翼」の「東京特派員記者」である点を突き、ルモンドの記事は偏向していると指摘するコメントが付けられたこともありました。これらを読むに付け、どうしても自分の論理に優位なように難癖を付けたり裏を勘ぐっているような、つまり相手に全く敬意を抱かず不信感ばかりを表明することに何だかなあと思っていたら、また続きがありました。


Letter from Yoshimachiの4月27日のエントリーでは『保守派でタカ派のリチャード・コーヘン』氏によるWashington Postの記事を紹介しながら、小泉政権や一部の日本人が人質パッシングに走ったことに大きな違和感を感じているというものです。記事には疑問点もあるのですが、アメリカの保守系の方の日本に対する端的な見方が露呈されているようで、これはこれで衝撃的ではありましたが。


人質パッシングを積極的に行った方々や、ルモンドや朝日新聞を保守系の方は目の仇にします。中国の文化大革命や北朝鮮を擁護した朝日新聞を、毛嫌いすることは仕方ないのかもしれませんし、赤旗をはなから相手にしない気持ちもわからないでもありません。


しかし、軸足の定まらない私のような浮遊層にとっては、どの新聞や雑誌であっても思想的な色や、ゆるやかであっても一定の編集方針があることはおぼろに理解できますし、朝日も産経も読売も思想的プロパガンダを展開している点では(程度の差こそあれ)大差はないように思えているため、どうしてそんなに目くじらを立てて「自作自演」だとか「マッチポンプ」だとか言って感情論的な展開をするのかが理解できません。これこそ、文化の違いなんだろうかなどと同じ日本人でありながらも、彼らとの間に横たわる溝の深さに呆然としてしまうのですが、いかがでしょう。


浮遊するのはいだたけないのですが、色々な視点の中から日本をどう捉えるかということこういうことこそ問題であると思うので、日々のくだらない仕事に追われつつも、ふと立ち止まって考えてみたりするのですが。・・・と何だかまとまらないエントリーになってしまいました。仕事しながら缶水割り飲んでいたので脳が開いてしまいまひた。

2004年4月26日月曜日

札響の財務体質改善とかPMFのニュース

Yahoo! ミュージックを読んでいたら、札幌交響楽団の財務体質が改善され2003年決算は黒字の見通しであることを知りました。札響はかの屑同然となったアルゼンチン国債などの運用の失敗やら何やらで、数年前はゴタゴタしておりましたが喜ばしい限りです。

記事によると定期も2日制になるとのことで、北海道のクラシックファンの裾野が広がることに繋がると良いですね。

PMFに関する記事ものっていましたが、新しい野外音楽ステージもできたのですね。500席の椅子席に屋根がかかっているのだとか。(写真の手前は雪!か?)

私も何度か野外コンサートに行ったことがありますが、天気さえよければ芝生に寝転んで聴けるクラシックというのは結構贅沢でありした。赤ん坊は鳴いているし空ではカラスも鳴いていますが、それもよしです。

キャンプ用の椅子とテーブルを持っていってワインでも飲みながら聴くことが許されるなら、ちょっとしたお抱えオケ気分を味わえるかもしれません(>飲み食い禁止ではなかったと思いますが、演奏者に失礼か?)

ただ、野外音楽でマーラーの「夜の歌」とかR.シュトラウスとかは今ひとつでしたね。野外音楽の場合は、あまり難しい曲でなく気軽に楽しめる曲の方が良いとは思います。そういえば今年のPMFはゲルギエフが来るのですよね・・・ギャラがどうなっているのか少し心配・・・

2004年4月25日日曜日

産経の自己責任ということ2

4月25日 主張より。被害者の自己責任について『個人の自由を考える上で、避けて通れない問題』とし、

被害者がイラク入りした目的は問題ではない。どんな崇高な目的であれ、自分の判断でイラク入りを選択した以上、責任は自分にあるのだ。もちろん、そうであっても、国には邦人保護の義務がある。

と書く一方で、

家族は反省し、政府と国民に迷惑と心配をかけたことを謝っている。反省していないのは、家族の当初の発言を利用し、自衛隊撤退論に結びつけようとした一部マスコミである。

と批判の矛先をそぞろ朝日をはじめとするマスコミに向け始めています。産経の主張する「責任」とは何をすることなのかと考えてしまいます。

この自己責任という言葉は、最近は金融関係でよく聞かれるようになりました。例えば企業年金を止め確定拠出年金移行した企業は、社員に対して「掛け金の運用については自己責任が伴いますと」説明しておりました。損をしても会社はもう面倒みないよと。彼らや家族の負った責とは・・・既に十分という気もしないでもないのですが。

なぜもう下火になっているこの問題を引きずるのかというと、今回の一件で私の考える方向というものが、どうやら多数はではないこと、ネットでは暴言流言が横行し、私を含め感情論的にある方向へ意志が誘導されてしまう危険性を感じたこと、マスコミも一斉にある論調に傾いてしまうこと、政府の大本営的発表とは裏腹に実像が全く見えなかったことなどイロイロ知ったからであります。

マスコミといえば、特に朝日のスタンスは軸足がぶれがちであること、産経を筆頭に他のマスコミは朝日が大嫌いであること、赤旗は相変わらず相手にされないどころか嫌悪されている(文春)ことも改め分かったからでもあります。

無為な一日

久しぶりに仕事をしなくても良い土曜日、昨日友人と飲みすぎて何もやる気がしない。HMVのサイトをうろうろして以下の二つをネットショッピング。

  • レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団 プッチーニ:歌劇《トゥーランドット》全曲
  • レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団 ワーグナー:楽劇《ラインの黄金》全曲

  


レヴァインのワーグナーは《ジークフリート》《ワルキューレ》は既に入手済なのだが、《神々の黄昏》だけが店頭にもネット上でも見つからなくなってしまった、店頭で見つけたときに買っておくべきであったと後悔。

暇なので電車に乗って池袋のHMVへ(笑)。廉価版でも物色しようと思ったが、封を切っていない盤がいくつかあることを思い出し買い留まる。クラCDに関しては「プチ中村うさぎ」状態になりつつあることに気付き愕然。

東武の旭屋書店に行って、CLASSICAの飯尾さんが勧めていた糸井重里の「オトナ語の謎」を立ち読み。嫌になるほど「オトナ語」に染まっていることを再認識。雑誌「サライ」で白洲次郎の特集を見付けたので、つらつら斜め読み、いやはやカッコいいね。あとフラフラと適当に立ち読み、結局何も買わない。


東武メンズフロアで春もののジャケットやパンツを物色、今月は歓送迎会が多く散財しているので見るだけ、着るだけで早々に切り上げ。江古田に行って散髪、自動洗髪機というのが非常に快適。皿洗い機に入れられた皿になった気分。

帰りがけに本屋(またかよ)で、ロジェストヴェンスキーとゲルギエフの名前が表紙にあったので「MOSTLY CLASSIC」を購入。いつの間にか1000円になっているしDVDが付いていることに驚く、かつては無料配布の新聞だったのにな。帰ってから付録のDVDを観る。カラヤン/バッハ名曲集でカールハインツ・ツェラー氏が奏でる華麗なフルート(管弦楽組曲第2番「パディネリ」)に感動したが、他はつまらなくて途中で止めてしまう。

ツェラー氏の「パディネリ」でも微動だにしないアンブシュアに驚嘆し、しばらく練習していなかったことを恥じながらフルートの運指とか曲集を少し当る。久しぶりだと指とか首とかすぐ痛くなるのでうんざり。

読みかけの「イラク 戦争と占領」(酒井啓子:岩波新書)を取り出して読むが、やる気のおきないときは数十頁で眠くなる。

買ってから封を切っていなかったシャイーのマラ3を聴く、第一楽章の素晴らしさに呆然。

しかし相変わらずとてつもなく長いので途中で寝そうになってしまう(というか寝た)。レビュを書こうと思ったがマーラーは下手のことを書けないし、だいいち今日は何もする気になれない日だ。それでも、あまりのマーラーだなと思い、テンシュテット/LOPのマーラーを取り出して触りを聴いたりして納得した気になる。

という具合に、とてつもなく無為な一日でありました。