2018年9月8日土曜日

建築の日本展 六本木ヒルズ美術館


六本木ヒルズで開催中の建築の日本展 に行ってきました。

展示数が多く飛ばして観ても3時間弱かかりました。佐川美術館 樂吉左衛門館や石上純也氏のHouse&Restaurant など、観るべき建築や、驚くべき作品も多く、改めて建築の持つ力を感じた展覧会でした。

また、日本の建築家の多様性にも改めて認識を新たにした次第。

2018年8月26日日曜日

小瀬村真美 幻想〜像」(イメージ)の表皮


殺人的な暑さの中、原美術館で開催中の小瀬村真美さんの初個展に行ってきました。

何が驚いたかって、古典的写実静物画と思ったら精緻な写真で、写真かと思ったら、それが時間軸を持った動画であって、動くということ。 

いや、動くというのは正しくない。対象が生まれるその時から、朽ち果てるまでの長い時間を短縮したり、美しく作られた静物が、破壊される一瞬の時間を、逆に無限と思える時間に引き延ばして見せてくれる。

何たる発想の斬新さ、表現の恐ろしさ。 
これらの作品を前にして、慄然として動けなくなる。

生とか死とか、そんなありふれた概念だけではなく。

シーツで覆われた静物たちも、もはや静物の実態を失った仮装の姿として立ち現れることの、裏と表が裏返ったかのような存在感と虚無、そこに孕む、言いようのない儚さと美しさ。

 全てが夢のような展示空間。

以下は、ファースト・インプレッション

2018年8月19日日曜日

なぜ写真を撮るのか

なぜ写真を撮るのか、ということは、人それぞれで、千差万別の考え方があっていい。自己の内面表現という、ひとまずの回答もありだと思う。自分の中でバランを取るようなものか。

自己の内面を吐露してどうするんだ、表現は受け止める人、相手があってこそ、相手がどう思うかというこの抜きに表現はない。という考え方もよく分かる。両者は相反するものではなく、おそらく離れがたい裏表なのだろう。

誤解されると困りますが、村井さんの写真がというわけではなく、誰かが分かってくれればいい、自分は自分みたいな表現は、さすがにどうかとは思うけど。

ナイーブすぎる世界観とか。難しい問題です。

村井さんの写真は好ましいですよ。

そもそもがツイート自体が精神面でのバランス取りみたいな、自分にとっては。

@MRIPhoto さんのツイートとnote 読んで思ったことです。勝手にリツイートで失礼しましたm(_ _)m 


 

2018年8月10日金曜日

GINZA SONY PARK

公園なのだから、多様な捉え方があっていい。立体公園のコンセプトは秀逸か、銀座だからここその回答。色々な植物がハンティングされ据えられているが、物珍しさと若干の痛々しさが伴い、サーカスを見ているような、少し暗い気持ちに、癒されるものではないね。


2018年8月4日土曜日

池袋東口界隈 2018年8月

池袋駅東口辺りをうろうろして、少しだけ写真を撮っておきました。池袋駅の南側に巨大な建物が建設中でした。



2018年7月29日日曜日

マグナムのLIFE 代官山ヒルサイドテラス



代官山ヒルサイドテラスにて富士フィルムとマグナムによる共同プロジェクト最終日、HOME。
16名の写真家が富士フィルムからカメラと”HOME”というテーマを与えられての写真展。HOMEという言葉をどのように捉えるのか。

2018年7月16日月曜日

リコーイメージングギャラリーにて

藤倉匠さん在廊。お話を伺えた。現代の消費者価値に対するアンチテーゼとしての写真だとか。

藤倉匠さん曰く。この作風になる前はキッチリしたスナップとか撮影していたらしい。機材も全て売ってここにたどり着いた。


2018年7月9日月曜日

写真家の田中伸明さんの写真に対する考え方

写真家の田中信明さんの写真に対する考え方に共感するところが多い。

発言は過激だが、日本の写真界(あるいはカメラ界と言ってもいいかもしれない)に対する、根強い不信感、不満感。そしてカメラ業界に踊らされている、日本のアマチュア写真界を、非常に深く憂いている。

あくまでもカメラは道具でしかなく、高いカメラ、最新のカメラを手に入れれば、あるいは、うまく写っている写真のデータ(露出、絞り、ISOその他モロモロ)を真似れば、よい写真になるという多いなる勘違い。

写真がアートとしてあるいは芸術として認められないことに対する憤り。

写真は他者に対するプレゼントという考え方が、余りにも当たり前すぎて素敵です。

いやはや、とても発言はとても尖っていますが、きっとご本人は、とても優しい方だと思います。

  • アルバムと写真集は違うということ
  • 作品は人に見せるもの
  • 写真を撮って自分でため込む人
  • 写真はプレゼント、作品は見る人がどう思うかということを常に意識。
  • 自分よがりの写真はNG
  • 撮られる人のことも考える
  • 写真を撮るということは、撮影者を観察されているということ
  • カメラや機材が好きという人
  • 写真を撮るという行為そのものが好きなだけの人
  • 良い写真とは、取る前にイメージができている、撮りたい、つくりたいイメージが先にある
  • ファインダーを覗いて考えるのではない
  • 事前にシミュレーション

2018年7月6日金曜日

ブログを書くことについて改めて考える

このHPを始めたのが2001年、ブログに移行したのが2004年、ブログ休止宣言したのが2013年と色々と変遷をしてきた。

約20年近くの間に、ネット、SNS、メディア、IT機器など激変した。かつてよく訪れていた優良なサイトのいくつもが閉鎖されもした。

いろいろなものが変わり、終わり、始まった。

自分的にも、ある時代が終わり、次のフェイズに移り変わりつつある。

老化とともに停滞どころか退化する肉体と精神だが、まわりのスピードはますます速くなり、そこに留まり続けることを拒否される。

変わらない自分、あるいは土台ごと変わり続ける自分を見つめ直す意味から、この私的ブログを再開することとした。

かつてのように、何かを批判したり、批評の真似事をしたり、日々の出来事を綴るつもりは毛頭ない。あくまでも、気になることの記録と、わずかばかりの思索、日々死滅しゆく脳細胞のための備忘録として。

2018年6月17日日曜日

宝永山に登ってきました

宝永山に登ってきました。
麓では雨模様でしたが樹林帯を抜ける頃には晴れて絶好のコンディションでした。


森林限界を超えて雲海が見えます。

 



2018年5月25日金曜日

RICHO GR2 を衝動買い

GR3の噂もないではないが、衝動的に買い。

X100Fもいいのですけど、ポケットに入らないくらいにデカイんですよね。カッコはいいんですけど。

あと28mmという画角が欲しかったので、迷いましたがGR2に。

結構エッジの立ったカメラですよ。

やっぱり軽さと速さはピカイチでしょうか。



GR3発売の噂もありますけど、いつになるか分かりませんから。

2018年5月8日火曜日

Reconposed by Max Richter : Vivaldhi:The Four Seasons

ポスト・クラシカルの騎手かつ人気の作曲家であるマックス・リヒターが、ヴィヴァルディの指揮をテーマにリコンポーズしたという作品。

耳慣れた、いや、耳タコのあのフレーズが、ミニマルミュージック的にリピートされて、麻薬のように脳髄を麻痺させていくかのようです。

音楽的な深みという点では、いかがかと思わないでもないですけれど嫌いではないです。

https://music.apple.com/jp/album/recomposed-by-max-richter-vivaldi-the-four-seasons-spring-0/1440744386?i=1440745306


2018年4月26日木曜日

東京カメラ部写真展

渋谷ヒカリエで開催中の、東京カメラ部写真展に行ってきました。

付けられたタイトルが「世界はもっと美しい。」です。

主にインスタグラムなどSNSに投稿することで有名になった方々の写真展と言って良いでしょうか。

従来のカメラ雑誌に投稿されている写真とは、歴然と一線を画しているように思えます。

写真を観た印象を上げてみます。

まず感じるのは、写真に対する圧倒的な熱量です。それと対象に対する真っ直ぐな愛とでもいうのでしょうか。

展覧会のベタなタイトルにあるように、現在と未来に対する肯定感が強い、幸福感や明るさに溢れています。写真の輝度が高も、コントラストも高い感じ。写真とは何かみたいな大冗談の芸術論を振りかざさず、理性よりも感性、雰囲気を大切にする。対象が撮影者の眼にどう見えたか、それを再現するには写真の大胆な加工も厭わない、などなど。

従来の写真ファンは、若干しかめ面するのではないでしょうか。

展覧会場に行くと気づくのですけど、カメラマンの皆さんが、お互いに結構顔見知りみたいで、なんだか同窓会のようで楽しそうです。しかも、皆さん、若い。女性率も高いように思えます。

そんな印象ですけれど、だからといって写真の質が低いわけではありません。東京カメラ部に推挙される写真に、ある傾向があるとしても、それなりの水準は維持されていると思います。

なんて、上から目線的に偉そうなこと書いてすみません。彼らの写真に対するアプローチには羨望さえ感じます。

おそらく、それは、過去に置き去りにしてきた、対象に対する素直な熱量に対する呵責なのでしょう。

こういう雰囲気は今の日本にあって、とても大切なことだと、しみじみと思いましたね。

自分のような年寄りには、だからでしょうか、少しばかり眩しすぎる世界でした。


帰り際に、渋谷駅方面をスマホで撮ってみました。





2018年4月22日日曜日

【演奏会】2018/04/22 ティッターリントン オルガン・リサイタル@奏楽堂

東京藝術大学の奏楽堂で開催された、ティッターリントンのオルガン・リサイタルを聴いてきました。

ティッターリントンさんは英国王立音楽院オルガン科の主任教授です。古典から近現代、コンテンポラリーまで幅広いレパートリーをお持ちのようで、今回のプログラムもルネサンス音楽から近現代までの作曲家が選ばれていました。


  • D.ブクステフーデ(ca.1637-1707)《トッカータ》二調 BuxWV 155
  • J.S.バッハ(1685-1750)《おお、神の子羊、罪なくして》BWV 656
  • J.ネアズ(1715-1783)《イントロダクションとフーガ》イ短調/イ長調
  • S.ウェズリー(1766-1837)《ヴォランタリー》ニ長調 KO 623
  • J.C.H.リンク(1770-1846)《コレッリの主題による6つの変奏曲》作品56
  • E.エルガー(1857-1934)《オルガン・ソナタ第1番》ト長調 作品28より〈第1楽章〉
  • W.バード(1543-1623)《私のネヴェル夫人の曲集》より〈ファンシー〉
  • H.ハウエルズ(1892-1983)《タリス師の遺言》
  • J.ブラームス(1833-1897)《前奏曲とフーガ》イ短調 WoO 9
  • P.エベン(1929-2007)《ヨブ》より〈来ませ、造り主なる精霊の神よ〉
    《聖日曜日の音楽》より〈モート・オスティナート〉



2018年4月13日金曜日

【演奏会】2018/04/13 ラ・フォンテヴェルデ 第26回定期演奏会 浜離宮ホール

浜離宮ホールでラ・フォンテヴェルデの定期演奏会を聴いてきました。このシリーズはモンテヴェルディのマドリガーレ全曲演奏シリーズ。第8巻ですから、もう終盤を迎えているようです。
この演奏会、歌詞の字幕が後ろに大きく出ますので、非常に演奏会です。
また、バロック・ダンサーの市瀬陽子さんが、一部の曲に舞踏をつけることで、演奏に広がりが出て、非常に楽しむことができました。


モンテヴェルディ マドリガーレ集全曲演奏シリーズ
『円熟期III:薄情な女たちのバッロ』

鈴木美登里、染谷熱子、森川郁子(ソプラノ)、上杉清仁(カウンターテナー)、谷口洋介、中嶋克彦(テノール)、小笠原美敬(バス)
市瀬陽子、セーヌ・エ・サロン(舞踊)
若松夏美、荒木優子(ヴァイオリン)、成田寛、佐藤駿太(ヴィオラ)、山本徹(チェロ)、西澤誠治(ヴィオローネ)
伊藤美恵(ハープ)、金子浩(リュート)、上尾直毅(チェンバロ/オルガン)
  1. 薄情な女たちのバッロ 第8巻 Ballo delle ingrate
  2. 僕を憎んでいたのなら、なぜ 第9巻  Perchè, se m'odiavi
  3. そう、君が好きだ 第9巻 Sì, sì, ch'io v'amo
  4. 着飾った美女の一団のなかに 第6巻 Una donna fra l'altre onesta e bella
  5. お前の胸の内で Quando dentro al tuo seno 第9巻
  6. 愛したくない Non voglio amare 第9巻
  7. 「安らかに」とティルシはため息をつきながら 第3巻 «Rimanti in pace» a la dolente e bella
  8. 今や空も大地も風も黙り 第8 Or che 'l ciel e la terra e 'l vento tace