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2003年1月14日火曜日

小泉首相の靖国神社参拝

あれれ、というカンジだ。小泉首相の靖国神社の参拝である。大手新聞5詩の翌日の社説は、そろって靖国問題を取り上げている。

各誌は読む前からご想像の通り、朝日、毎日、日経は反対、産経は賛同という論調である。

朝日は「よりによってこの時期の参拝とは、耳を疑う」、毎日は「極めて思慮に欠ける行動」、日経は「A級戦犯を合祀(ごうし)している靖国神社に国を代表する立場の首相が参拝するのは基本的に好ましくない」と主張している。一方、産経は「この時期を選んだことについて分かりにくい面もあるが、首相として国民を代表し、戦死者の霊に重ねて哀悼の意を表しようという姿勢は評価」としているわけだ。読売は賛成も反対もしていない。「靖国問題をどう考えているのか。首相はもっと明確に語る必要がある。」と言うのみだ。

それにしても靖国である。靖国の実態については私はあまりにも無知だ。その思いをこめて昨年7月18日の意見箱に書いた。私は新聞各誌の「主張」を読み比べ、なにか核心をつかない、あるいは靴の底からかゆいところを掻いているようなもどかしさを感じる。靖国問題は歴史認識(戦争の意義と東京裁判)と憲法議論にまで直結している。直結する管の途中にいろいろな障害やら破れがあって、出るべきところから水が流れてこない。

徹底的に議論しようとせず、マスコミ事態もあきらめの気持と共に、おざなりな(各社横並びの、ほとんど主張を感じない)社説を読んでいると、彼らはこの問題に正面から向き合う気がないのだと感じさせられる。

首相と遺族会との公約ということもあるのだろうが、首相の行動は国の意思の反映であるべきはずだ。特定の団体や感情論で行動することは許されない。

靖国参拝についてのアジア諸国の反感は、決して「内政干渉」ではないと思う。日本政府の歴史認識を問いただしているのだ。占領米国主導の日本の歴史が誤りだとする論調も分からないでもない。しかし、どこかで日本政府としての統一的な見解が必要で、それを諸外国に示す必要があるのではないか。

ドイツのヒットラーを清算しているドイツ、未だにスターリンを総括できないロシア。日本にどのような路が赦されているのか。小泉首相も、隠居爺かボケ老人のようなのんきなことを言っている場合ではない。>「お正月ですし、新たな気持ちで平和のありがたさをかみしめて」

私は、原則として靖国神社参拝には反対です。靖国に参拝することが平和希求の気持であるとは受け取りま せん。現行憲法は素晴らしい憲法であり、決して米国の押し付けではない世界に誇れる憲法であると、私は信じている(そう信じるように教育されてきた)

絶対的平和主義、あらゆる武力放棄も理念としては素晴らしい。素晴らしいだけに困難さと不断の努力と勇気を伴う、非常につらい選択だ。武力装備は結果として楽な選択でしかも極めて不幸な選択だ。それにも相応の覚悟が必要だ。他人事ではないのだ。

日本には(もちろん私にも)そのどちらの覚悟もない。

靖国には行った事がないのだが、東京に行ったら今度訪れてみようと考えている。

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