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2003年4月4日金曜日

乙一:夏と花火と私の死体


何もすることがなくてかったるいとき、難しいことや面倒なこと、ストレスになることを考えたくないとき、ホラー小説でも読もうかなと言う気になる。スティーブン・キングも悪くはないのだが、疲れているときにあのくどい文体はつらい。一度その世界に入れれば一気に読めるのだが、そうなるまでのハードルが少し高い。しかも長すぎる!


ホラー小説というのは所詮あるプロットに乗せて人をいかに怖がらせ、そして面白がらせるかが勝負だ。従って「ありそうなこと」思わせる前提条件や細部が重要だと思う。その意味からは、表題の小説には今一つ乗り切れないままであったというのが正直な感想。裏表紙には「斬新な語り口でホラー界を驚愕させた」とあるが、この作品を17歳の少年が書いたとことに驚愕したのか、あるいはその内容に驚愕したのか。

どこが「乗れない」のかを書くことは内容に踏み込まざるを得ないので割愛せざるを得ないが(書いたっていいのだが)、どう考えても現実感が薄い。そもそもの事件の発端からして「どうしてそう展開するの?」と思ってしまう、例えば文庫本23頁の部分だ。「私の死体」の扱いも不自然。ホラーというより吉本のドタバタ喜劇を書きたかったのだろうか?と思ってしまう。

ケチばかりつける積もりはないのだが、別な意味においては細部は良く書けている。乙一氏は福岡出身だということらしく、夏のひとときが暑苦しさと共に伝わってくるようだ。さらに映画世代だけあってか、描写が非常に映像的だ。何かそのままB級ホラー映画の場面を見ているような気にさせられる。しかし逆にそれがうざったく感じるのも事実。

もうひとつ文庫本に収録されている「優子」にしてもそうだ。細かな描写の積み上げは上手い。読み始めれば最期まで読ませる力はある。しかし何か最初の前提そのものが不自然に感じられてしまう。それを適切に指摘することができないのだが。

例えば鈴木光司の一世を風靡した「リング」はビデオが伝染して人を殺すという、とうてい馬鹿げたプロットだ。しかしそれを「ありそうなこと」と思わせたところが凄い。プロットのおかしさを凌駕するほどの怖さを確かに小説は持っていた。瀬名秀明の「パラサイトイブ」は、最初は良かったのに最後に「ミトコンドリアかよ」となんだかパロディのようなバカばかしさがつきまとった。

ホラーは嫌いぢゃない。「うーん、こいつはコエー」と思えるようなホラーが(それも日本の作家の=日本の皮膚感覚の)読みたいなあ。

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