2003年5月10日土曜日

高村薫:マークスの山(文庫本版)




文庫本帯に踊る「警察小説の金字塔」「全面改稿」「泣かされる」「合田雄一郎登場第一作」「第109回直木賞受賞作」というモノモノしいキャッチコピー。さらに書店の目立つ部分に山と積まれているので、通常ならば少しゲンナリした気分になるだけで、本書を手にとることはない。しかし山のイラストが書かれた表紙が気を引き、裏表紙の作品紹介に漠然と目を走らせ「とにかく山岳を舞台にした小説か」という一点で購入した本ではあった。

私は読書人ではないので、高村薫氏の小説は読んだことがなかった。従って彼女の書く小説がどんな作風であるのか知りもせず、そして期待もしていなかった。最初読み始めて思ったのは、「こいつは本格山岳刑事モノかと思いきや、一時流行ったサイコサスペンスものか、おいおい期待を裏切らないでくれよ」というものであった。

しかしながら、私の初期の感想は見事に覆されたのである。とにかく本格的な小説に仕上がっており、内容の面白さ、そして充実度など、どこをとっても文句の言いようがなく、これほど終わりの頁を捲るのが惜しいと思った小説は久しぶりである。

この小説は刑事 合田雄一郎登場の第一作ということだ。彼をどのように紹介しているか、「マークスの山」の中で彼二度目の登場のくだりを引用してみよう。

・・・合田雄一郎は音一つなく立ち上がった。三十三歳六ヶ月。いったん仕事に入ると、警察官職務執行法が服を着て歩いているような規律と忍耐の塊になる。長期研修で所轄署と本庁を言ったり来たりしながら捜査畑十年。捜査一課二百三十名の中でもっとも口数と雑音が少なく、もっとも硬い目線を持った日陰の石のひとつだった。(上巻135頁)

何とも劇画チックで大仰な描写だと思った。高村薫氏は1953年生まれ、いわゆる劇画世代ではないが、どこか今風のキビキビしたタッチの劇画主人公を思わせた。小説に入りこめるか否かは、細部描写の現実感と主人公への感情移入が一つの要素としてあるならば、その点においても、高村は周到なのである。最初大仰に思えたこの描写も、読み進めるうちにそれが作品のひとつの特徴となって熟成したことを考えると、彼女の計算の上での描写や作風と思えた。

合田の逡巡する姿や、他者への嫉妬や闘争本能、組織への反抗や、がむしゃらに走ることに疑問を感じつつも、(いったい何のためになのか)走らずにはいられない姿には、確かに一人の若者の姿が書かれているのだ。このように端的に書いてしまうと、「なんだ月並みな」と思えてしまうが、高村氏の描写は濃く、読むものに深く食い込む力がある。そう感じた瞬間に、読者である私は、高村氏の仕掛けた陥穽にすっぽりとはまりこみ、降りるべき駅が過ぎるのも、夜が更けるのも忘れさせるほどの時間を過ごすことになってしまったのだ。

この小説には、事件の特殊性や意外性、そして展開の面白さもさることながら、警察社会や事件を取り巻く刑事たちの人間そのものにこそ面白さがあるといえるかもしれない。刑事たちを名前ではなく、刑事仲間が呼ぶ「あだ名」で描写するやり方は、特に効果的である。主な人物を挙げれば、合田の相棒でアトピーの《お欄》こと森義孝巡査部長30歳(上137頁)、合田の同僚で風の《又三郎》の異名をもつ有沢三郎巡査部長35歳(上145頁)、柔道七段、澁澤龍彦を愛読する《雪之丞》こと広田義則巡査部長35歳、新人類扱いの《十姉妹》こと松岡譲巡査、そして東大卒のキレ者《ペコ》こと吾妻哲郎警部補36歳(以上 上147頁)などなど。

気づいてもらえたと思うが、高村氏は主人公たちを、若手からは卒業しつつあるものの、組織に組込まれてしまった40代の管理職とも違う、血気も実力も兼ね備えた30歳半ばに設定している。組織内での競争意識を剥き出しにし、事件や上層部と格闘するさまは壮絶である。

一人の女のことを頭と子宮がつながっていると切って捨てた又三郎と自分だが、そういう自分たちこそ、頭と下半身がつなっがいるのは間違いない、闘争本能丸出しの牡だった。(下211頁)

という描写に端的に表れた主人公らの素性の見事さと冷徹さ。そこには、読んだ人なら分かるが「自分を客観視する自分」の存在が認められ、それこそまさに作品に隠されたもう一つの仕掛けではないかと気づかされる。

高村薫氏が女性作家だとは本当に驚きだ。読み終わって作者について調べるまで、私は高村薫氏が女性だとは全く思っていなかったのである(それくらい文壇に無知ということです)。骨太の描写、男臭さ。女性だからこそかえってこういう描写ができるのか。そういえば真知子という女性は限りなく救いがなく哀しかったではないか。

高村氏がこの小説で直木賞を取ったのは1993年だ。今回の文庫本化に当たり全面改訂したという(彼女はよくやるらしい)。そういう彼女のブルックナー的性癖*1)が、作品への完成度へと結実しているようでさえある。いずれにしても、今回は高村氏の小説に感服、他の作品も機会があれば読んでみたいと思わせるのであった。

  1. ここがクラシック音楽中心のサイトであることを忘れてはなりません(^0^)

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