東京文化会館小ホールで瀬尾和紀さんのリサイタルがあると知り、当日券を求めて聴いてきました。
瀬尾和紀フルートリサイタル
2004年6月12日(土)19:00~ 東京文化会館
●J.S..バッハ:無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ 第2番より シャコンヌ●P.タファネル:魔弾の射手による幻想曲●R.シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ短調 作品105●Ph.ゴーベール:ファンタジー●G.フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調 作品13●A.ジョリヴェ:リノスの歌
●フルート:瀬尾和紀●ピアノ:長崎麻里香
瀬尾和紀氏といえば、現在はソリスト、室内楽奏者としてフランスを拠点に活動する若きフルーティストです。颯爽たる経歴と実力の双方を兼ね備た21世紀を担うプレーヤーと言って良いでしょう。そんな瀬尾氏のリサイタルだったのですが、649席のホールにガラガラと空席が目立ちます、勿体無いことですね。私のせいではないのに、申し訳ない気持ちになってしまいます。コンサートはやはり8割以上埋まった状態で聴きたいものです。
さて、そんな今ひとつな雰囲気の演奏会だったのですが、曲目はプログラムを見ても分かるように、非常に意欲的なものであったと思います。オリジナルがヴァイオリンの曲が3曲も入れられています。特にJ.S.バッハによる無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ 第2番 シャコンヌは瀬尾氏自身の解釈によるものだとか。
このニ短調の有名なシャコンヌは、最初の和声進行が30回も繰り返され、この楽章だけで15分以上を要する大曲です。ヴァイオリンを知り尽くしたバッハが高度な技法を駆使して構築した崇高なる曲で、完成度の高さから独立して演奏されることも多い曲です。音域が似ているとは言え、重音などを出せない性能的に限界のあるフルートでどこまでバッハの世界に迫れるのかが、個人的には最大の聴きどころでありました。
しかしながら、期待と不安の交錯するなかで曲冒頭の重音を伴ったテーマが、驚くほど鮮やかに聴こえてきたときには、ゾクリとすると同時に小さな戦慄を覚えてしまいました。分散和音に乗って現れるテーマの確実さ、細部の構築とともに大きな枠組みを築くかのような音楽の作り方、どこを取っても瀬尾氏の完璧なまでのテクニックに裏打ちされた音楽は、ヴァイオリンの曲であることを忘れさせ、静かで深い感動を与えてくれました。まさに圧巻と言っていい感じです。
曲の感想を個々に述べても駄文にしかなりませんので、リサイタル全体を通じて感じた瀬尾氏のフルートについてだけ少し書いておくこととしましょう。
彼の使用しているフルートがどこのメーカのものかは分かりませんが、ゴールド系のようです。音質は柔らかでかつ深く、朗々という表現が適切です。東京文化会館の少々かため(のように感じた)の空間において、ピアノの反射板を全開にしていてもなおピアノと対等以上の音量を確保し、それでいながら自己主張しすぎる音ではなく、非常にストレートに響いてきます。中低音の豊かさ、ピアニッシモでのフラットさなどは特筆ものかもしれません。
フラットと書きましたが、瀬尾氏のフルートには「クセ」とか「節」のようなものが、ほとんど感じられません。素直であり、ある意味朴訥として聴こえる場面がないわけでもありません。逆に華やかさや煌びやかさというものは、瀬尾氏からはあまり感じません。
これが彼の持ち味であるのかどうか、たった一度の演奏会では分かるはずもないのですが、しかし、それだからでしょうか、瀬尾氏の音楽は、テクニックが云々とか音色がどうとかいう次元を少し超えていて、何か音楽の大きさを伝えてくれるように感じられました。あくまでも作曲家に忠実というのでしょうか・・・素人判断なので的確には表現できないのですが。バッハ以外では、フォーレとジョリヴェの曲が良かったですね。
今日の演奏会では、瀬尾氏は一言もしゃべらずに淡々とプログラムの6曲とアンコール2曲演奏してリサイタルを終えました。今年8月5日(木)に旭川市民文化会館にて札幌交響楽団とモーツアルト フルート協奏曲第1番を演奏する予定のようです。もう一度どこかで聴いてみたいものだと思いながら上野を後にしました。
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