2009年3月12日木曜日

「久米宏のテレビってヤツは!?」

昨日、何気なくTVを点けたら「久米宏のテレビってヤツは!?」という番組をやっていました。その中で、黒柳徹子とのトークが抜群にやはり面白かったのでメモしておきましょう。録画していたわけではないので、久米・黒柳両氏のコメントは記憶で書いています。

久米「ニュースステーションをやっているときに、6時くらいから他社のニュースや新聞を読んで、他の人が言っていないコメントをするようにした」「そうすると、自分の考えていることと違うことを言わなくてはならない場面が、何度か(も?)あった」

仕事で自分に規制とかテンションを与えることは重要です。しかし、そこまで徹底しなくても良いとは思います、自分の主張はブレないんでしょうか。報道の意味とか主張とか客観性とか、ニュースステーションは根底から覆しましたからね。

久米「TVで誰にでも好かれようとするのは不可能」「10人のうち2~3人くらいの人に好きになってもらえればいいくらいの気持ち、その人に向かって話す。そうすると、久米ヲタクみたいな人がついてくる」

黒柳「だからって、全部を敵に回すようなやりかたもどうかと思うけど」

人と違うことをしないと意味がないということには同意します。仕事は他人がやらないこと、自分しかできないことに特化し、そこを強化するのが私のような凡人にも参考にすべき戦略だと思っています。久米氏にしても、自分の欠点(嫌われる部分)を徹底的に磨き上げて強化したのだと思えます。

久米「このごろやっと気づいたが、『表現』とは相手の話を聞くこと。(自分の中には、そんなに次から次へと出せるソースはない」

デザイナーの佐藤可士和の言葉を思い出しました。クライアントと仕事をするときには、コミュニケーション、相手の考えを整理、仮説による問いかけなどを通じて要望を聞き取りデザインをまとめていくのですとか。「答えは相手の中にある」。答え=相手の要望の具現化されたもの=仕事・デザイン・結果=表現。かな。

生で現役の政治家とやり取りできる、こんな面白いことはない。

田原総一郎もそうですけど、自分の主義主張を前面に出すより、イロイロな方面からつついて相手から反応を引き出すという手法。ある意味スリリングですけど、徹底的な討論ではないから期待が外れることもある。時間的制約もありエンタメTVの限界でありましょうか。

薬丸氏とのトークでは、

久米「(やっくんは)受け答えとか真面目すぎて、そういうやりかただと疲れないか?」

黒柳「(失敗しても)反省なんてしない、『反省』という言葉は母のお腹の中に置いてきた」

久米も激しく同意。

黒柳「TVでできあがったイメージは崩せない(そこで生きるしかない)」

所詮、仕事も私はゲームであると思っています。ゲームに参加するには、それに応じたキャラクターが必要です。だから私は仕事では「仕事をする自分を演じ」ていますし、そのキャラを武器にしています。本質の自分と考える「自分」とは異なった「自分」がそこには居またりします。

旧TBS跡地(現赤坂サカス)の広場、ベストテンのスタジオがあった辺りで、久米氏と黒柳氏が子供のように当時を懐かしがる風景は、時代の流れを改めて感じました。彼ら彼女らの中に、その「記憶」が鮮明に生きていようとも、実空間は全く変質してしまっている・・・。「記憶」の空間を知る世代さえ、どんどんと少なくなっていく。全ては泡沫(うたかた)かと。

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