私のサイトはCDや演奏会の感想を主としているが、たまにサイトの内容に関してメールを頂くことがある。さらにごく稀にだが書いた演奏会の感想の、まさにその演奏者からメールを頂くこともある。そういうときは本当にびっくりするもので、何か偉そうに批判的な事や失礼な事を書いてやしなかっただろうかとヒヤヒヤしながら自分の昔の文章を読み返してみたりするものだ。
感動も感心もしなかったのに体裁だけ整えるような文章は書かないが、やたらと攻撃的で感情的な文章も書かないようにしているつもりだ。ネット上では相手がプロだろうが何だろうがボロクソに書く人もいる。(最近だと「○○○はまだ指揮者として成熟が足りない」という文章を読んだがヤレヤレという感じだ)
私はどのような演奏家であってもプロである以上は一定のレベルの演奏を聴かせてくれるものだし、素人の小賢しいひとときの気分に左右される感想など、演奏の内実のいくらも伝えてはいないのではないかと思うことが多い。どのような演奏であっても奏者に対する敬意は必要だと思っている。
以前、私の演奏会レビュは演奏者の敬称を略していた。例えば「佐藤のフルートは・・・」みたいな書き方だ。そういう書き方を不快に思うとプロの方からメールを頂いたことがある。「あなたは評論家なのか、プロに失礼である」とその方は忠告してくれた。この点は「だって、"パユさん"とは書かないではないか」とは思ったものの、確かに奏者に対する敬意が足りないかと後になって反省した。今では気づく範囲で敬称付に修正したつもりである。
実際どんな人が読んでいるか分からないものなのだなあと感慨を新たにした次第。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
2003年2月23日日曜日
【音盤】テンシュテット&ミネソタ管/ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 op.92
ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 op.92
テンシュテット(指揮)ミネソタ管弦楽団
1989年11月 lsu1010-2 USA
札幌で海賊盤のCDが入手できるところは光堂Pals21である。ここに訪れるたびに一応お義理に海賊盤をチェックすることにしている。定番や正規盤でさえ満足に聴いていないのに、マニアぶって海賊盤に手を出すのもいかがなものかとも思うのだが、たまに物凄い演奏に出くわしたりするものなので無視もできないのだ。(例えばテンシュテット指揮 ロンドン響とブレンデルによるブラームスのピアノ協奏曲第1番とベートーベン交響曲第5番 1990年8月30日のカップリングは凄い)
このCDはテンシュテットとミネソタ管弦楽団による1989年11月の演奏である(lsu1010 usa)。店の解説に惹かれてゲットしてしまったもの。
「ビッグファイブばかりでなく、この辺りのオケとの共演というのも食指をそそられます。比較的遅いテンポが採用され、厳格に刻むリズムは普段の激情型演奏とは一味違います。ふつふつと湧き上がるようなパワーが途切れません。音質は各所に傷がありますが抜群の演奏です」しかしクラシック初級者のわたしは、ビックファイブもテンシュテットの芸風にも通じているわけではない。
確かに音質はもこもこと非常によくない。フォルテッシモになると途端にもこもこ感が増してしまう。ダイナミックレンジの狭い昔の古いテープ録音を聴いているようだ。ノイズは少ないが音の伸びやかさは全く聴こえない。音割を起こしていないだけ幸福と言えようか。
最初cdウォークマンで聴いて、あまりの音の悪さに「これは失敗であったかな」と思ったものだ。しかし終演後の拍手の凄まじさから改めて自宅ステレオで聴いてみたのだが印象が変わった。
音質の悪いのをがまんして聴くならば、ここには濃厚なるベートーベンが展開されていることを否定できないと思うようになった。解説の通りテンポは遅い、馬鹿丁寧なとも言えるようなテンポ感だ。揺れも少ないようだ。ひとつひとつ切られた音は残響を残してホールの空気を震わせている。強弱の幅は広そうだ。オケが充分に指揮についていっているように聴こえる。ティンパニももこもこしているが、実際は非常にしっかり叩いているようだ。低弦も厚みのある音だ。ミネソタ管弦楽団のまともな演奏を今は知らないので、これが持ち味なのかどうかは判断がつかない。非常に機能的なオケに聴こえる。
第二楽章の歌い方も、正攻法のように攻めていながらにして体の奥底からこみ上げてくる感情を押さえることができない、という感じを受ける。第三楽章などでも弱音部分での丁寧な音楽作りには感心してしまう。細部にまで神経が行きわたっている、特に第三楽章の終わり方は特に印象的。
そういう音作りが演奏に何とも言えぬ迫力と説得力を生み出しているように思える。「ふつふつと湧き上がるようなパワー」とは良く言ったものだ。底知れぬベートーベンのエネルギーを感じ体の底が熱くなるような演奏である。ベートーベンの交響曲というのは、力瘤をためたこれでもかという音楽である。さらりと軽くなどとはなかなか聴けない曲だ。例えば有名なc.クライバーの名演などはスポーティーに駆け抜けてしまうが、そういう颯爽としたところは全くなく、あくまでも王道たるベートーベンをわざとらしくなく、それでいて熱く奏でてくれるている。
一端聴き始めたら音は悪くとも最後まで掴んで放さない迫力に満ちており、何を隠そう私は続けて二度も聴いてしまった。ただし万人にお薦めかといえば疑問は残る。
2003年2月22日土曜日
このCDはテンシュテットとミネソタ管弦楽団による1989年11月の演奏である(LSU1010 USA)。久々にベートーベンを聴き健康的なエネルギーを得ることができて満足である。ベートーベンには有無を言わせぬ説得力というものがあると思う。ワーグナーなどを続けて聴いていると40分程度の交響曲はすごく短く感じてしまところがコワイ。
この盤はいわゆる海賊盤なのだが、私は海賊盤を集める趣味までは持ち合わせていない。たまに覗くCD店で見つけて思わず買ってしまったのだ。実際音質は海賊盤の中でもあまり良い方とは言えないかもしれない。
ただし演奏は音質ほどは悪くないので、レビュも書いてみた。テンシュテットファンの方から見たら「何を書いているのだか・・・」という内容だとは思うのだけど。
この盤はいわゆる海賊盤なのだが、私は海賊盤を集める趣味までは持ち合わせていない。たまに覗くCD店で見つけて思わず買ってしまったのだ。実際音質は海賊盤の中でもあまり良い方とは言えないかもしれない。
ただし演奏は音質ほどは悪くないので、レビュも書いてみた。テンシュテットファンの方から見たら「何を書いているのだか・・・」という内容だとは思うのだけど。
2003年2月15日土曜日
【音盤】ゲルギエフ指揮 プロコフィエフのピアノ協奏曲集
ゲルギエフが アレクサンドル・トラーゼ(Alexander Toradze) と録音したプロコフィエフのピアノ協奏曲集(PHILIPS 462 048-2)を見つけたので早速ゲットしてみた。オケはゲルギエフの主兵サンクトペテルブルク・キーロフ歌劇場管弦楽団で1995~96年にかけての録音。トラーゼというピアニストは初めて聞く名前だが解説によればゲルギエフとトラーゼは1980年頃から何度も演奏を重ねてきたらしい。
プロコフィエフの5つあるピアノ協奏曲のうち比較的有名なのは1番と3番ではないかと思う。実際プロコのPコンで思い出すのもこの二つの華々しい曲だ。どちらもロシア的抒情とプロコフィエフらしさに溢れた名曲である。アシュケナージとプレヴィン/ロンドン響による定番、アルゲリッチとデュトワ/モントリオール響による壮絶な1番と3番の演奏、そして同じくアルゲリッチとアバド/ベルリンの3番などが有名だろうか。
その一つ一つと聴き比べをしているわけではないが、ゲルギエフ自ら「(フルトヴェングラーがベートーベンを好きだった様に)私も、プロコフィエフをやっているときは、彼こそが自分の好きな作曲家なんだと思います」というだけあり、この演奏も充実した演奏に仕上がっている。
もっとも1,3番が有名なプロコフィエフだが、ピアニストのトラーゼは「However, in our view the Second Concerto stands out as Prokofiev's most personal statement」であるとし「Prokofiev's Second Piano Concerto is an exceptional human document which traces a scenario of sorrow, escape, disenchantment and mature growth amounting to a final farewell to a beloved friend.」と書いている。ここでの友とは1909年から1913年の間に友情を築いていたピアニスト Maximilian Shmitgoff のことである。プロコフィエフは1913年4月に Shmitgoff 自らの遺書とも言える手紙を受け取る。そのような体験が音楽に色濃く反映されているとトラーゼは説明している。
プロコフィエフの時に叙情的にして甘美、時にグロテスクにして野獣のような音楽が聴くものを圧倒する。古典的でありながらも現代的な和音と響き、そして躍動し火花を散らして跳ね回るリズムは、体の末端の感覚をざわざわと覚醒させてくれる。いつも聴きたいわけではないが、プロコフィエフのピアノは良い。
2003年2月5日水曜日
ワーグナー関連サイトについて(海外)
日本に満足できるサイトがないので、仕方ないから海外を検索してみた。Goolgeで「Wagner」というキーワードだけで検索しているところが無謀ではあるのだが・・・
●Richard Wagner Home Page
最初に見つけたのは「Richard Wagner Home Page」Jose Antonio Amaralさんと Sao Pauloさんというブラジルの方のサイトのようである。最終更新が2000年2月21日とサイトのアクティブ度としてはちと低い。しかし、このテのサイトは頻繁に更新される類のものではないので良しとしよう。ライトモチーフ(示導動機)のMIDIファイルも納められていて、ワーグナー入門には手ごろなサイトかもしれない。例えば「《指環》初心者のためのガイド(A Beginner's Guide to Der Ring des Nibelungen)というページでは、《指環》にどのように接し始めれば良いのか丁寧に指南してくれている。「もしも貴方が映画《地獄の黙示録》の《ワルキューレの騎行》と《ジークフリートの葬送行進曲》しか聴いたことがないなら、注意深くアプローチしなさい」と書き始めている>オレのことだよ。
次ぎに、サイトの作者は《指環》の概略を読んで、リブレットを買えと勧める、もしも《指輪のハイライト》しか持っていないのならという注釈付きでだが>ここはクリアしたぜ。
音盤やDVDなどはできるだけ音質が良く、オーソドックスな演出を選べとも勧めている。ただし古い録音の中にも良いものがあるから注意せよと(やっぱりクナッパーツブッシュだよ)。彼は無難なところではカラヤンやレバインが良いと言う、ショルティは勧めないらしい。映像ではバレンボイムやサバリッシュは選ぶべきではないと(斬新で現代的過ぎる演出てことだと思うよ)。
で、この膨大な作品をどうつまみ食いしてゆくかを説明してくれている。詳しくはサイトをご覧ください。私などこの先、何も書くことがなくなってしまいました。《トリスタンとイゾルデ》《タンホイザー》《マイスタージンガー》に関するコメントもあるけれど、こちらは《指環》に比べたら力が入っていない。
●Richard Wagner Web Site
もうひとつは「Richard Wagner Web Site」というKristian Evensenさんのサイト。こちらはまずデザインが見やすい(つーか、今までのワーグナーサイトのデザインがトホホなのだが)。こちらはコンテンツも膨大なようで、例えば「《指環》の示導動機(Leitmotifs in Der Ring des Nibelungen - an introduction)」というページには《指環》の成立背景と概要からはじまって、タイトルの通りライトモチーフの意味するものが、楽譜とMIDIにより詳しく紹介されている。いやはや素晴らしい!こういうサイトがあればもう何も加えることはないと言う気になってくる(つーか、ホントはまだ全部読めてないけど)
また「スターウォーズ・シリーズとワーグナーの《指環》~構成、主題そして音楽のつながり(The Star Wars series and Wagner's Ring Structural, thematic and musical connections)」という興味深い論考もある。(つーか、タイトルしか読んでないけど)
「Loge - person and element, commentator and agent」という《指環》に登場するアイロニカルな火の神ローゲに対する論考もあるようで、これまた興味が尽きない。
●RICHARD WAGNER ARCHIVE
最後に(疲れてきたし)紹介するのは「RICHARD WAGNER ARCHIVE」という Hannu Salmiさんが運営するサイト。こちらはワーグナーに関する様々な情報の宝庫といえる。作者が「My idea is to collect and to display all kinds of material dealing with the German composer Richard Wagner. I have myself worked as a Wagner scholar since 1987 and published two books on Wagner and Wagnerism.」と書いているように、ワーグナーに関することなら何でも集めてしまうという貪欲さに満ちている。ワーグナーを徹底的に追及したいという人向きか、ただし英語だけではなく独逸語も読めた方が良さそうである。
●Richard Wagner Home Page
最初に見つけたのは「Richard Wagner Home Page」Jose Antonio Amaralさんと Sao Pauloさんというブラジルの方のサイトのようである。最終更新が2000年2月21日とサイトのアクティブ度としてはちと低い。しかし、このテのサイトは頻繁に更新される類のものではないので良しとしよう。ライトモチーフ(示導動機)のMIDIファイルも納められていて、ワーグナー入門には手ごろなサイトかもしれない。例えば「《指環》初心者のためのガイド(A Beginner's Guide to Der Ring des Nibelungen)というページでは、《指環》にどのように接し始めれば良いのか丁寧に指南してくれている。「もしも貴方が映画《地獄の黙示録》の《ワルキューレの騎行》と《ジークフリートの葬送行進曲》しか聴いたことがないなら、注意深くアプローチしなさい」と書き始めている>オレのことだよ。
次ぎに、サイトの作者は《指環》の概略を読んで、リブレットを買えと勧める、もしも《指輪のハイライト》しか持っていないのならという注釈付きでだが>ここはクリアしたぜ。
音盤やDVDなどはできるだけ音質が良く、オーソドックスな演出を選べとも勧めている。ただし古い録音の中にも良いものがあるから注意せよと(やっぱりクナッパーツブッシュだよ)。彼は無難なところではカラヤンやレバインが良いと言う、ショルティは勧めないらしい。映像ではバレンボイムやサバリッシュは選ぶべきではないと(斬新で現代的過ぎる演出てことだと思うよ)。
で、この膨大な作品をどうつまみ食いしてゆくかを説明してくれている。詳しくはサイトをご覧ください。私などこの先、何も書くことがなくなってしまいました。《トリスタンとイゾルデ》《タンホイザー》《マイスタージンガー》に関するコメントもあるけれど、こちらは《指環》に比べたら力が入っていない。
●Richard Wagner Web Site
もうひとつは「Richard Wagner Web Site」というKristian Evensenさんのサイト。こちらはまずデザインが見やすい(つーか、今までのワーグナーサイトのデザインがトホホなのだが)。こちらはコンテンツも膨大なようで、例えば「《指環》の示導動機(Leitmotifs in Der Ring des Nibelungen - an introduction)」というページには《指環》の成立背景と概要からはじまって、タイトルの通りライトモチーフの意味するものが、楽譜とMIDIにより詳しく紹介されている。いやはや素晴らしい!こういうサイトがあればもう何も加えることはないと言う気になってくる(つーか、ホントはまだ全部読めてないけど)
また「スターウォーズ・シリーズとワーグナーの《指環》~構成、主題そして音楽のつながり(The Star Wars series and Wagner's Ring Structural, thematic and musical connections)」という興味深い論考もある。(つーか、タイトルしか読んでないけど)
「Loge - person and element, commentator and agent」という《指環》に登場するアイロニカルな火の神ローゲに対する論考もあるようで、これまた興味が尽きない。
●RICHARD WAGNER ARCHIVE
最後に(疲れてきたし)紹介するのは「RICHARD WAGNER ARCHIVE」という Hannu Salmiさんが運営するサイト。こちらはワーグナーに関する様々な情報の宝庫といえる。作者が「My idea is to collect and to display all kinds of material dealing with the German composer Richard Wagner. I have myself worked as a Wagner scholar since 1987 and published two books on Wagner and Wagnerism.」と書いているように、ワーグナーに関することなら何でも集めてしまうという貪欲さに満ちている。ワーグナーを徹底的に追及したいという人向きか、ただし英語だけではなく独逸語も読めた方が良さそうである。
2003年2月4日火曜日
ワーグナー関連サイトについて
ワーグナー関連のサイトをGoogle検索してみたところ、ワーグナーほどの偉大な作曲家だからさぞかしファンサイトが目白押しかと思うのだが、以外とアクティブなサイトは少ない。
最初に紹介するのは「ワーグナーの歌劇な部屋 by ルカ~Wagner Fan Page」というサイト。Googleの最初にヒットする。ワーグナーの作品全般に渡って概略を知るにはうってつけのサイトである。最終更新が1999年5月5日とかなり古いのだが掲示板は健在である。私も、まずはこのサイトからワーグナーに接し始めた。
Googleで次ぎにヒットするのが「ワーグナー・アラカルト」である。こちらは掲示板もサイト本体も今でも更新し続けているアクティブなサイト。面白いのは掲示板の発言で興味深い内容のものをコンテンツにしている点。例えば「忠臣蔵とアーサー王伝説・・・・・・そして、パルジファル」というスレッドなど延々と続いていて、なるほどっつーか、げっぷっつーか。「私が抱きたい女」「私が抱かれたい男」「一緒に鍋を囲むなら」などというアンケートもあって、ワーグナー通には楽しめる(?)。掲示板の内容は結構ヘビーで、生ワーグナーに接した人でないと楽しめないかなとは思うことも。私のようにCDだけで満足している向きにはちょっとハードルあり。
もうひとつは、上のサイトからもリンクしている「richard wagner homepage」というサイト。こちらは各作品の音盤データベースが非常に充実している。しかし膨大なリストの中でどれがお奨めなのか作者のコメントがないのが寂しい。ワーグナー徒然草というエッセイを読むと、ついにクナッパーツブッシュも聴かなくてはならないのかと憂鬱かつ暗鬱な気分に襲われます(^^;;
あとは、今のところこれといったサイトが見つからない。ちょっと物足りないと思う気持も捨てきれない。(2003.02.3)
■ 追記
「国内はちょっと物足りない」と書いたのだが、ある方からメールでクナッパーツブッシュのサイトを紹介していただいた。ここは知る人ぞ知る、syuzoさんのページで(←クリックして驚かないように=笑)、全てのページが凄まじい文字量と情報量そしてクナへの愛情と執念に満ちている、まさにおそるべきサイトである。
このサイトの存在を知らなかったわけではないが「死んじゃった(あるいは死にかけの)じいさん」にまで触手を伸ばす余裕がないため、近づかないようにしていた。それでもテンシュテットという指揮者を知り、テンシュテットの青物が見つかるたびに買うようなったことや、はたまたサイトで企画連続モノを書こうと思ったきっかけは何を隠そう syuzo さんのサイトの影響である。(それなのにムシしていたとは考えてみれば失礼なハナシである)
さて、クナといえばワーグナーというくらいに両者の結びつきは強いらしい。syuzo さんの飽くなきクナへの執着は「クナを聞く~ヴァーグナー編」という、気も遠くなるような(14回にも渡るらしい)詳細な解説とレビュを展開している。改めて読まさせていただきましたが、参りました・・・またしても 小生など足元にも及びませんです。しっかり勉強させていただきます。(2003.02.18)
最初に紹介するのは「ワーグナーの歌劇な部屋 by ルカ~Wagner Fan Page」というサイト。Googleの最初にヒットする。ワーグナーの作品全般に渡って概略を知るにはうってつけのサイトである。最終更新が1999年5月5日とかなり古いのだが掲示板は健在である。私も、まずはこのサイトからワーグナーに接し始めた。
Googleで次ぎにヒットするのが「ワーグナー・アラカルト」である。こちらは掲示板もサイト本体も今でも更新し続けているアクティブなサイト。面白いのは掲示板の発言で興味深い内容のものをコンテンツにしている点。例えば「忠臣蔵とアーサー王伝説・・・・・・そして、パルジファル」というスレッドなど延々と続いていて、なるほどっつーか、げっぷっつーか。「私が抱きたい女」「私が抱かれたい男」「一緒に鍋を囲むなら」などというアンケートもあって、ワーグナー通には楽しめる(?)。掲示板の内容は結構ヘビーで、生ワーグナーに接した人でないと楽しめないかなとは思うことも。私のようにCDだけで満足している向きにはちょっとハードルあり。
もうひとつは、上のサイトからもリンクしている「richard wagner homepage」というサイト。こちらは各作品の音盤データベースが非常に充実している。しかし膨大なリストの中でどれがお奨めなのか作者のコメントがないのが寂しい。ワーグナー徒然草というエッセイを読むと、ついにクナッパーツブッシュも聴かなくてはならないのかと憂鬱かつ暗鬱な気分に襲われます(^^;;
あとは、今のところこれといったサイトが見つからない。ちょっと物足りないと思う気持も捨てきれない。(2003.02.3)
■ 追記
「国内はちょっと物足りない」と書いたのだが、ある方からメールでクナッパーツブッシュのサイトを紹介していただいた。ここは知る人ぞ知る、syuzoさんのページで(←クリックして驚かないように=笑)、全てのページが凄まじい文字量と情報量そしてクナへの愛情と執念に満ちている、まさにおそるべきサイトである。
このサイトの存在を知らなかったわけではないが「死んじゃった(あるいは死にかけの)じいさん」にまで触手を伸ばす余裕がないため、近づかないようにしていた。それでもテンシュテットという指揮者を知り、テンシュテットの青物が見つかるたびに買うようなったことや、はたまたサイトで企画連続モノを書こうと思ったきっかけは何を隠そう syuzo さんのサイトの影響である。(それなのにムシしていたとは考えてみれば失礼なハナシである)
さて、クナといえばワーグナーというくらいに両者の結びつきは強いらしい。syuzo さんの飽くなきクナへの執着は「クナを聞く~ヴァーグナー編」という、気も遠くなるような(14回にも渡るらしい)詳細な解説とレビュを展開している。改めて読まさせていただきましたが、参りました・・・またしても 小生など足元にも及びませんです。しっかり勉強させていただきます。(2003.02.18)
2003年2月3日月曜日
《指環》の抜粋を聴く2
バレンボイムのバイロイト版抜粋を聴いて、引き続き彼の「ジークフリート」と「神々の黄昏」を入手しようと思ったのだが、余りにもその演奏が素晴らしいので抜粋版を買うのがもったいないという気になってしまった。そこで、以前買ってあまり聴かずにいた抜粋版を取り出して聴いてみることとした。
マレク・ヤノフスキ指揮/ドレスデン・シュターツカペレ
《ラインの黄金》(第4場)~虹のかけ橋~ワルハラ城への神々の入場
《ワルキューレ》(第3幕)~ワルキューレの騎行
《ワルキューレ》(第3幕)~魔の炎の音楽
《ジークフリート》(第2幕)~森のささやき
《神々の黄昏》(プロローグ)~夜明けとジークフリートのラインへの旅
《神々の黄昏》(第3幕)~ジークフリートの葬送行進曲
《神々の黄昏》(第3幕)~終曲-ブリュンヒルデの自己犠牲
《指環》で有名な<ワルキューレの騎行>そして中学生のブラスバンド経験者ならばお馴染みの<ジークフリートの葬送行進曲>などが収録されているため格好の「入門版」かと思っていたのだが、それは当たらないようだ。この版は1000円で入手できるのだがあまりお勧めできない。
というのも、15時間以上にも渡る音楽を1枚のCDにしているということにも無理があるのだが、それ以上に違和感を感じるのを禁じえないのだ。
ワーグナーの音楽は、それぞれの部分が独立しておらず連綿とつながって構成されている。従って例えば有名な<ワルハラ城への神々の入場>を聴いても、なぜエルダの登場のシーンがカットされているのかと不満になってしまう。同様に<ブリュンヒルデの自己犠牲>にしても、それ以前のグートルーネとのやり取りがないではないかと・・・。所詮は抜粋版というのはその程度のものだと割り切るしかなさそうである。
さて、演奏の方だが不勉強にしてヤノフスキという指揮者をわたしは知らない。ワーグナーの音楽としては非常にあっさりとした薄味の演奏に聴こえる。コテコテワーグナーに飽いた人には向いているのかもしれないが、ワーグナー初心者の私には、ヤノフスキのような演奏もアリかなと思う。全集版が欲しいかと問われればNoではありますが。
マレク・ヤノフスキ指揮/ドレスデン・シュターツカペレ
《ラインの黄金》(第4場)~虹のかけ橋~ワルハラ城への神々の入場
《ワルキューレ》(第3幕)~ワルキューレの騎行
《ワルキューレ》(第3幕)~魔の炎の音楽
《ジークフリート》(第2幕)~森のささやき
《神々の黄昏》(プロローグ)~夜明けとジークフリートのラインへの旅
《神々の黄昏》(第3幕)~ジークフリートの葬送行進曲
《神々の黄昏》(第3幕)~終曲-ブリュンヒルデの自己犠牲
《指環》で有名な<ワルキューレの騎行>そして中学生のブラスバンド経験者ならばお馴染みの<ジークフリートの葬送行進曲>などが収録されているため格好の「入門版」かと思っていたのだが、それは当たらないようだ。この版は1000円で入手できるのだがあまりお勧めできない。
というのも、15時間以上にも渡る音楽を1枚のCDにしているということにも無理があるのだが、それ以上に違和感を感じるのを禁じえないのだ。
ワーグナーの音楽は、それぞれの部分が独立しておらず連綿とつながって構成されている。従って例えば有名な<ワルハラ城への神々の入場>を聴いても、なぜエルダの登場のシーンがカットされているのかと不満になってしまう。同様に<ブリュンヒルデの自己犠牲>にしても、それ以前のグートルーネとのやり取りがないではないかと・・・。所詮は抜粋版というのはその程度のものだと割り切るしかなさそうである。
さて、演奏の方だが不勉強にしてヤノフスキという指揮者をわたしは知らない。ワーグナーの音楽としては非常にあっさりとした薄味の演奏に聴こえる。コテコテワーグナーに飽いた人には向いているのかもしれないが、ワーグナー初心者の私には、ヤノフスキのような演奏もアリかなと思う。全集版が欲しいかと問われればNoではありますが。
2003年2月2日日曜日
《指環》はファンタジーか
ワーグナーの《ニーベルングの指環》は1200年頃の成立したゲルマン叙事詩「ニーベルゲンの歌」および北欧神話「エッダ」や「ヴェルズング物語」(ヴェルズンガ・サガ)を素材としている。北欧神話のキーワードをちょこっとウェブ検索してみたところ、ヴァルハラやヴァルキリー(ワルキューレ)などの名前を見つけることができた。しかし他の作品同様、台本はワーグナーオリジナルである。
「作曲家別名曲ライブラリー」(音楽之友社)の解説によれば、ワーグナーの楽劇の登場人物と中高ドイツ語、そして北欧神話では人名綴りや発音も異なっているらしい。ワーグナーと結婚することとなるグートゥルーネが現代ドイツ語ではクリームヒルトに当たる。
映画化で話題のトルーキン「指輪物語」(1954年発表)とは、素材が同じであるが物語は別物であるらしい。おそらくトルーキンも「ニーベルゲンの歌」や北欧、ギリシャ神話、アーサー王物語、そしてワーグナーの楽劇などから多くの着想を得たのだろうと推察する。(が、本も映画も観ていないのでこれ以上は言及できず)
ワーグナーの《指環》にも巨人族や小人族が登場するし、ジークムントが剣を得るところなどアーサー王伝説を彷彿とさせるものがある。それゆえに、壮大なるファンタジーオペラであるという観方もできるかもしれない。もっとも、《指環》から何をテーマとして感じるかは、まさに作品に触れた人の数だけ存在するのではなかろうかなどと、この膨大な音楽を前にして思うのであった。(>などというほどに、《指環》に親しんでいるわけではないのだが…やっと全貌の一端に触れることができたというだけです、ハイ)
「作曲家別名曲ライブラリー」(音楽之友社)の解説によれば、ワーグナーの楽劇の登場人物と中高ドイツ語、そして北欧神話では人名綴りや発音も異なっているらしい。ワーグナーと結婚することとなるグートゥルーネが現代ドイツ語ではクリームヒルトに当たる。
映画化で話題のトルーキン「指輪物語」(1954年発表)とは、素材が同じであるが物語は別物であるらしい。おそらくトルーキンも「ニーベルゲンの歌」や北欧、ギリシャ神話、アーサー王物語、そしてワーグナーの楽劇などから多くの着想を得たのだろうと推察する。(が、本も映画も観ていないのでこれ以上は言及できず)
ワーグナーの《指環》にも巨人族や小人族が登場するし、ジークムントが剣を得るところなどアーサー王伝説を彷彿とさせるものがある。それゆえに、壮大なるファンタジーオペラであるという観方もできるかもしれない。もっとも、《指環》から何をテーマとして感じるかは、まさに作品に触れた人の数だけ存在するのではなかろうかなどと、この膨大な音楽を前にして思うのであった。(>などというほどに、《指環》に親しんでいるわけではないのだが…やっと全貌の一端に触れることができたというだけです、ハイ)
2003年1月30日木曜日
《指環》を概観する
《ニーベルングの指環》は上映するだけで15時間もかかるという大作である。物語の概観をつかむのは非常に困難を極める作業だ。ネットを検索すると多くのサイトが見つかるが、そのなかにBunⅢの音楽よもやま話というサイトがある。ここはワーグナー作品ばかりではなく、オペラ作品の多くがMIDIなどを提供しながら分かりやすく解説されており初めに読むのに良いと思う。ワーグナーの《指環》につても複雑な人間関係を含め丁寧に解説してくれている。かくいう私も、ここから《指環》に取り組み始めた。
《指環》は長さとともに、複雑な人間関係に辟易して作品を敬遠してしまう向きもないではない(私もそうだった)。しかし、しばらく眺めたり聴いたりしていると、まずは重要な人物だけ押えれば良いと気づく。基本は以下の人物ではなかろうか。
- ヴォータン:欲深い神
- フリッカ:その嫉妬深き妻
- ローゲ:火の神、ブリュンヒルデを封印したりする
- エルダ:ヴォータンの不倫(?)相手の女神
- ブリュンヒルデ:ヴォータンとエルダの娘、後にジークフリートとの悲しい愛が芽生える
- ジークムント、ジークリンデ:ヴォータンが人間の女性に産ませた(!)双子の兄妹
- ジークフリート:ジークムントとジークリンデの近親相姦の愛から生まれた(!!)子供
書いているだけでムチャクチャ・・・という気がしてくる。ちなみにブリュンヒルデはワルキューレの一員、ワルキューレとは空を駆ける戦場からの死体搬送業者のことである。その他に押えておくべき人物は(異論もあろうが)以下であろうか。
- アルベリヒとミーメ:小人族、醜さ故に愛を捨てラインの黄金を盗んだ
- ファルゾートとファフナー:巨人族、強欲でアタマの悪そうな建設請負業社(?)
- グートルーネ:ジークフリートと結婚させられる女性、ブリュンヒルデの引立て役(「ニーベルンゲンの歌」のクリームヒルト)
まだまだ居るのだが、重要なのは何と言ってもジークフリートとブリュンヒルデだ。この二人の物語を作るために延々としたドラマが繰り広げられていると言っても過言ではないのだから。ただ第1日目の《ワルキューレ》においてさえジークフリートはまだジークリンデの胎内に宿るのみなのだ。
この数人が、15時間の中で入り乱れ、愛し合い、生まれ、そして企み合い、憎み合い、殺し合う。それ故に《指環》のテーマは非常に多岐に渡っている。権力と富、策略、禁じられた愛と愛憎、女性の自己犠牲による贖罪など、いかにもワーグナー的なテーマと言えようか。
特に女性(今回はブリュンヒルデ)による罪の浄化というのはワーグナーお好みのテーマなのだろか。《タンホイザー》でのエリーザベトも同じような役廻りを演じている。あるいは愛のために愛の力で自ら死すイゾルデの姿ともだぶるものがあると感じる。ワーグナーの理想の女性像の反映だろうか。
対するジークフリートは英雄という設定なのだろうが、ワーグナーの描く男性(英雄)は、女性と比べるとどことなく子供じみていると感じられてしまう。トリスタンしかり、タンホイザーしかりである。《指輪》のヴォータンもとても神とは思えないところが笑える。(このヴォータン、巨人族に自分たちの城=ヴァルハラ城 を造ってもらっておきながら、踏み倒そうとしていたフシがある>そんな神なんて聞いたことねー。)
ワーグナーは神話的世界を舞台に《指環》を始めたが、それはキリスト教倫理観に基づいた神話世界ではないことは、上のような事柄から分かると思う。神々とは言っても至極人間的な愛憎や欲求の強い神々であるのだ。
で、ストーリーはと言えば、『ラインの黄金が小人族のアルベリヒに盗まれてから再び(幾多の物語を作りながら)ラインの川底に戻るまでのお話し(まさにリング!)』とも言えるし、『ワーグナーがわざわざ蘇らせた神々を再び没落させた物語』でもある。あるいは『ジークフリートの誕生と愛と死の物語』(これぢゃあ《トリスタン》だ)でもある。
え? こんな解説では全然分からない? と言う人は、素直に書店とCD店に行きましょう。
《指環》は長さとともに、複雑な人間関係に辟易して作品を敬遠してしまう向きもないではない(私もそうだった)。しかし、しばらく眺めたり聴いたりしていると、まずは重要な人物だけ押えれば良いと気づく。基本は以下の人物ではなかろうか。
- ヴォータン:欲深い神
- フリッカ:その嫉妬深き妻
- ローゲ:火の神、ブリュンヒルデを封印したりする
- エルダ:ヴォータンの不倫(?)相手の女神
- ブリュンヒルデ:ヴォータンとエルダの娘、後にジークフリートとの悲しい愛が芽生える
- ジークムント、ジークリンデ:ヴォータンが人間の女性に産ませた(!)双子の兄妹
- ジークフリート:ジークムントとジークリンデの近親相姦の愛から生まれた(!!)子供
書いているだけでムチャクチャ・・・という気がしてくる。ちなみにブリュンヒルデはワルキューレの一員、ワルキューレとは空を駆ける戦場からの死体搬送業者のことである。その他に押えておくべき人物は(異論もあろうが)以下であろうか。
- アルベリヒとミーメ:小人族、醜さ故に愛を捨てラインの黄金を盗んだ
- ファルゾートとファフナー:巨人族、強欲でアタマの悪そうな建設請負業社(?)
- グートルーネ:ジークフリートと結婚させられる女性、ブリュンヒルデの引立て役(「ニーベルンゲンの歌」のクリームヒルト)
まだまだ居るのだが、重要なのは何と言ってもジークフリートとブリュンヒルデだ。この二人の物語を作るために延々としたドラマが繰り広げられていると言っても過言ではないのだから。ただ第1日目の《ワルキューレ》においてさえジークフリートはまだジークリンデの胎内に宿るのみなのだ。
この数人が、15時間の中で入り乱れ、愛し合い、生まれ、そして企み合い、憎み合い、殺し合う。それ故に《指環》のテーマは非常に多岐に渡っている。権力と富、策略、禁じられた愛と愛憎、女性の自己犠牲による贖罪など、いかにもワーグナー的なテーマと言えようか。
特に女性(今回はブリュンヒルデ)による罪の浄化というのはワーグナーお好みのテーマなのだろか。《タンホイザー》でのエリーザベトも同じような役廻りを演じている。あるいは愛のために愛の力で自ら死すイゾルデの姿ともだぶるものがあると感じる。ワーグナーの理想の女性像の反映だろうか。
対するジークフリートは英雄という設定なのだろうが、ワーグナーの描く男性(英雄)は、女性と比べるとどことなく子供じみていると感じられてしまう。トリスタンしかり、タンホイザーしかりである。《指輪》のヴォータンもとても神とは思えないところが笑える。(このヴォータン、巨人族に自分たちの城=ヴァルハラ城 を造ってもらっておきながら、踏み倒そうとしていたフシがある>そんな神なんて聞いたことねー。)
ワーグナーは神話的世界を舞台に《指環》を始めたが、それはキリスト教倫理観に基づいた神話世界ではないことは、上のような事柄から分かると思う。神々とは言っても至極人間的な愛憎や欲求の強い神々であるのだ。
で、ストーリーはと言えば、『ラインの黄金が小人族のアルベリヒに盗まれてから再び(幾多の物語を作りながら)ラインの川底に戻るまでのお話し(まさにリング!)』とも言えるし、『ワーグナーがわざわざ蘇らせた神々を再び没落させた物語』でもある。あるいは『ジークフリートの誕生と愛と死の物語』(これぢゃあ《トリスタン》だ)でもある。
え? こんな解説では全然分からない? と言う人は、素直に書店とCD店に行きましょう。
2003年1月28日火曜日
【風見鶏】最近のニュースから
正確な日付とタイトル失念
筑紫哲也のニュース21で「日本を考える」というような特集をやっていた。そのなかで番組のキャスターたちが「情報の非対称性」てなことを述べていた。愕然とした。「情報の非対称性」とは確か経済用語である。このアナロジーをマスコミ自らが恥かしげもなく使うとは! 開いた口がふさがらなかった。こういうボンクラ達が展開する議論は、したがって、どこか的外れなものであった。筑紫さんにしてかと思った次第。
ニュースステーションでアメリカの学校が、実社会での金融システムなどを模した演習を始めているという紹介番組。高学年になると株取引や税に関する知識も学ぶのだそうだ。久米宏が「日本は大人になっても税金のこと何も知りませんよね、誰も教えてくれない」と嘆く。対し、経済アナリストの森本卓郎氏は「それでいいんですよ、官は民を愚に保つ政策を展開しているんですから(愚民化政策)。下手に賢くなってたてつかれても困るんです。」 ばかな人ほど損をするってわけ? 自分で賢くならなくてはだめだと?
たけしのTVタックルで食品問題についての討論(?)の中で「結局、金持ちが安全な食物を食べられて、貧乏人は農薬やクスリ付けの食物を食えということなのだな」 教育ばかりではなく食についても二極化すると。まあ、そんなこと当たり前か・・・?
さて何が透けて見えますか? こういう仕組みを作っているのは誰でしょう。誰が得をして誰が損をするんでしょう。自ら吐いた唾が自分に戻ってこなければ良いのですが。
HIYORIみどり 「最近農業やってる人と話したのよね。野菜って(失敗もしたけど)農薬使わなくても、それなりに育つんだって。農薬は高くて使えないって」
KAZAみどり 「農協が一番キライなことは”こだわり”なんですってね。均一に一律によ」
筑紫哲也のニュース21で「日本を考える」というような特集をやっていた。そのなかで番組のキャスターたちが「情報の非対称性」てなことを述べていた。愕然とした。「情報の非対称性」とは確か経済用語である。このアナロジーをマスコミ自らが恥かしげもなく使うとは! 開いた口がふさがらなかった。こういうボンクラ達が展開する議論は、したがって、どこか的外れなものであった。筑紫さんにしてかと思った次第。
ニュースステーションでアメリカの学校が、実社会での金融システムなどを模した演習を始めているという紹介番組。高学年になると株取引や税に関する知識も学ぶのだそうだ。久米宏が「日本は大人になっても税金のこと何も知りませんよね、誰も教えてくれない」と嘆く。対し、経済アナリストの森本卓郎氏は「それでいいんですよ、官は民を愚に保つ政策を展開しているんですから(愚民化政策)。下手に賢くなってたてつかれても困るんです。」 ばかな人ほど損をするってわけ? 自分で賢くならなくてはだめだと?
たけしのTVタックルで食品問題についての討論(?)の中で「結局、金持ちが安全な食物を食べられて、貧乏人は農薬やクスリ付けの食物を食えということなのだな」 教育ばかりではなく食についても二極化すると。まあ、そんなこと当たり前か・・・?
さて何が透けて見えますか? こういう仕組みを作っているのは誰でしょう。誰が得をして誰が損をするんでしょう。自ら吐いた唾が自分に戻ってこなければ良いのですが。
HIYORIみどり 「最近農業やってる人と話したのよね。野菜って(失敗もしたけど)農薬使わなくても、それなりに育つんだって。農薬は高くて使えないって」
KAZAみどり 「農協が一番キライなことは”こだわり”なんですってね。均一に一律によ」
《指環》の成立年代について
ワーグナーの壮大なる四部作《ニーベルングの指環》の成立年代について知っておいて損はない。調べてみると以下のようになった。年表によると1948年、35歳のときに「ジークフリートの死」として着想したテーマが、最終的に結実し全曲が演奏されるまで実に26年以上の歳月を要していることが分かる。
ワーグナーにとってエポックメイキング的な《トリスタンとイゾルデ》が完成したのが1859年のこと。《指環》の作曲は《トリスタン》の前後に渡っているが、《トリスタン》以前に作曲されたものが《ラインの黄金》と《ワルキューレ》、以降に作曲されたものが《ジークフリート》と《神々の黄昏》ということになっている。
それにしても、ワーグナーが書きたかったのは事象としての「ジークフリートの死」(《神々の黄昏》とそれにまつわるドラマであったらしい。それを物語として肉付けするに当たり、ジークフリートの人間としての成長を描いた《ジークフリート》が成立し、更にジークフリートの誕生に至る物語《ワルキューレ》を生み(ジークムントとジークリンデの近親相姦による禁じられた愛の物語)、そして更にはジークムントとジークリンデを生み出すことになった前史としての《ラインの黄金》(ラインに眠る黄金の物語)が着想らしい。作曲は年代を追っているが、着想は劇順と逆になされたわけである。何ともはやワーグナーの誇大妄想的なイマジネーションの膨らみには恐れ入るばかりである。
ワーグナーにとってエポックメイキング的な《トリスタンとイゾルデ》が完成したのが1859年のこと。《指環》の作曲は《トリスタン》の前後に渡っているが、《トリスタン》以前に作曲されたものが《ラインの黄金》と《ワルキューレ》、以降に作曲されたものが《ジークフリート》と《神々の黄昏》ということになっている。
それにしても、ワーグナーが書きたかったのは事象としての「ジークフリートの死」(《神々の黄昏》とそれにまつわるドラマであったらしい。それを物語として肉付けするに当たり、ジークフリートの人間としての成長を描いた《ジークフリート》が成立し、更にジークフリートの誕生に至る物語《ワルキューレ》を生み(ジークムントとジークリンデの近親相姦による禁じられた愛の物語)、そして更にはジークムントとジークリンデを生み出すことになった前史としての《ラインの黄金》(ラインに眠る黄金の物語)が着想らしい。作曲は年代を追っているが、着想は劇順と逆になされたわけである。何ともはやワーグナーの誇大妄想的なイマジネーションの膨らみには恐れ入るばかりである。
| 年代 | ニーベルングの指環 | その他の作品と主な出来事 |
|---|---|---|
| 1842(29歳) | 《さまよえるオランダ人》完成 | |
| 1843(30歳) | 《さまよえるオランダ人》ドレスデンで初演 | |
| 1845(32歳) | 《タンホイザー》総譜完成、ドレスデンで初演 | |
| 1848(35歳) | 《ジークフリートの死》(《神々の黄昏》の原型)の劇詩完成 | 《ローエングリン》完成 フランスで2月革命 |
| 1849(36歳) | ドレスデン蜂起に参加、「未来の芸術作品」脱稿 | |
| 1850(37歳) | 《ローエングリン》ワイマールで初演 | |
| 1851(40歳) | 《若きジークフリート》(《ジークフリート》の原型)の劇詩成立 《ラインの黄金》《ヴァルキューレ》の劇詩のための最初の散文スケッチ完成 | 論稿「歌劇と戯曲」を完成 |
| 1852(39歳) | 《ヴァルキューレ》の第2の散文稿および劇詩完成 《ラインの黄金》の劇詩完成 | |
| 1853(40歳) | 《ラインの黄金》の管弦楽前奏曲を構想 | |
| 1854(41歳) | 《ラインの黄金》総譜完成 《ヴァルキューレ》の作曲開始 | |
| 1856(43歳) | 《ワルキューレ》総譜完成 《ジークフリート》作曲開始 | |
| 1857(44歳) | 第2幕の終わりで《ジークフリート》作曲中断 | 《トリスタンとイゾルデ》の筋をスケッチ、劇詩執筆、作曲開始 |
| 1859(46歳) | 《トリスタンとイゾルデ》総譜完成 | |
| 1860(47歳) | 《タンホイザー》パリ版完成 | |
| 1861(48歳) | パリ オペラ座で《タンホイザー》上演 《マイスタージンガー》の第2散文稿完成 | |
| 1862(49歳) | 《マイスタージンガー》の劇詩執筆、作曲開始 | |
| 1865(52歳) | 《トリスタンとイゾルデ》ミュヘンで初演 《パルジファル》台本の最初の散文稿完成 | |
| 1867(54歳) | 《マイスタージンガー》総譜完成 | |
| 1868(55歳) | 《マイスタージンガー》ミュンヘンで初演 | |
| 1869(56歳) | 《ジークフリート》の作曲再開 《ラインの黄金》ミュヘンで単独初演 《ジークフリート》総譜完成 《神々の黄昏》作曲開始 | |
| 1870(57歳) | 《ワルキューレ》ミュヘンで単独初演 | |
| 1871(58歳) | 《ジークフリート》完成 | |
| 1873(60歳) | バイロイト祝祭歌劇場完成 | |
| 1874(61歳) | 《神々の黄昏》総譜完成 | |
| 1876(63歳) | 《指環》全曲がリヒターの指揮でバイロイトにて初演 | |
| 1882(69歳) | 《パルジファル》総譜完成、バイロイトにて初演 | |
| 1883(70歳) | ヴェニスのヴェンドラミン館にて死去 |
2003年1月20日月曜日
《指環》抜粋を聴く
ワーグナー楽劇の集大成といえば「ニーベルングの指輪」四部作につきるのだろう。「指輪」を聴かずしてワーグナーは語れないとワグネリアンなら言うだろうか。
ショルティの偉大なる業績は昨年来から入手済みであったのだが、何しろ解説が英語とドイツ語とフランス語である。物語の概要も全く知らないのに8ポイントくらいの小さな文字の解説など読む気にならない。気軽に聴こうと思ってもボックスが4セットである。正常な神経の持ち主ならうんざりするのが当然だろう。封も切らずに棚に置かれたままになっていた。
本来なら「ラインの黄金」から聴くべきなのだが、そこはそれ「ワルキューレ」第3幕、かの「地獄の黙示録」で有名な「ワルキューレの騎行」だけ、まず聴いてみた。「地獄の黙示録」のワルキューレは、どうやらショルティの演奏であるらしい。しかし映画では音をかなりいじって重ねたりしているので、本来の演奏からはかけ離れたものになっているとのこと。
さてさて、バレンボイム版とショルティ版を聴き比べてみたが、どちらの演奏もワルキューレたちの「Hojotoho! Hojotoho! Heiaha! Heiaha! 」という奇声に乗って奏でられる曲は壮絶である。まったく延髄蹴りをくらったかのような眩暈を感じてしまう。
続いて「ラインの黄金」の抜粋を聴いてみた。「ラインの黄金」なんてなじみがないだろうなあと思っていたら、あにはからんや、第4場のラスト「雷鳴の動機」に始まり「ヴァルハル城の動機」へと移る<ヴァルハル城への神々の入場>は聴いたことがあるではないか、それもすっごくユーメーなフレーズ! ウゲゲと再びワーグナー的な壮大な感動に包まれてしまう。
ジークムントとジークリンデの近親相姦による禁じられた愛の行方は、そして権力と富の象徴の指輪の行方はどうなるのか。うーん、壮大なドラマが込められているのだなあと思うと同時に、マジメにこんなものに取り組んでいたらいくいら時間があっても足りやしない。もう一度ラインの川底にでもCDを沈めてしまうかあ、と思うのであった。ということで、『「指輪」を聴く』という企画はスタートしないのであった。「ホー・ホ・ホ・ホ・ホ・ホ・・・」
とは言いながらも、オペラ対訳ライブラリー(音楽之友社)をしっかりネットショッピングで注文してしまったよ。
ショルティの偉大なる業績は昨年来から入手済みであったのだが、何しろ解説が英語とドイツ語とフランス語である。物語の概要も全く知らないのに8ポイントくらいの小さな文字の解説など読む気にならない。気軽に聴こうと思ってもボックスが4セットである。正常な神経の持ち主ならうんざりするのが当然だろう。封も切らずに棚に置かれたままになっていた。
オペラの抜粋ものというのは、どうしても触指が伸びないのだが、ものの試にと Teldec Classics から発売されてる「New1枚でオペラ」シリーズから「ラインの黄金」と「ワルキューレ」をゲットしてみた。どちらも指揮はダニエル・バレンボイム、演奏はバイロイト祝祭歌劇場管弦楽団、前者は1991年の後者は1992年のバイロイトからのライブ録音である。
さて、今でも「指輪」のストーリーはほとんど分かっていないのだが、ジークムント、ジークリンデ、ジークフリートなどの名前くらいは聞いたことがある。配役の名前を読んでいるだけで、なんだかワクワクしてくる。松本零士のマンガも思い出す。
本来なら「ラインの黄金」から聴くべきなのだが、そこはそれ「ワルキューレ」第3幕、かの「地獄の黙示録」で有名な「ワルキューレの騎行」だけ、まず聴いてみた。「地獄の黙示録」のワルキューレは、どうやらショルティの演奏であるらしい。しかし映画では音をかなりいじって重ねたりしているので、本来の演奏からはかけ離れたものになっているとのこと。
さてさて、バレンボイム版とショルティ版を聴き比べてみたが、どちらの演奏もワルキューレたちの「Hojotoho! Hojotoho! Heiaha! Heiaha! 」という奇声に乗って奏でられる曲は壮絶である。まったく延髄蹴りをくらったかのような眩暈を感じてしまう。
続いて「ラインの黄金」の抜粋を聴いてみた。「ラインの黄金」なんてなじみがないだろうなあと思っていたら、あにはからんや、第4場のラスト「雷鳴の動機」に始まり「ヴァルハル城の動機」へと移る<ヴァルハル城への神々の入場>は聴いたことがあるではないか、それもすっごくユーメーなフレーズ! ウゲゲと再びワーグナー的な壮大な感動に包まれてしまう。
ジークムントとジークリンデの近親相姦による禁じられた愛の行方は、そして権力と富の象徴の指輪の行方はどうなるのか。うーん、壮大なドラマが込められているのだなあと思うと同時に、マジメにこんなものに取り組んでいたらいくいら時間があっても足りやしない。もう一度ラインの川底にでもCDを沈めてしまうかあ、と思うのであった。ということで、『「指輪」を聴く』という企画はスタートしないのであった。「ホー・ホ・ホ・ホ・ホ・ホ・・・」
とは言いながらも、オペラ対訳ライブラリー(音楽之友社)をしっかりネットショッピングで注文してしまったよ。
2003年1月18日土曜日
【音盤】田部京子のメンデルスゾーンとシフのバッハ
以前紹介したDENONのCREST1000シリーズの中からピアノ曲集を二つほどゲットした。とにかく1000円なのだから買って損はないと思う。(現在はシリーズ第二段が発売中)
田部京子/メンデルスゾーン「無言歌集」 (COCO-10450)
こういう曲を聴いていると音楽を聴く至福を感じることができると同時に、とやかくレビュを書くことの空しささえ感じてしまう。
「メンデルスゾーンのもつドイツロマンの抒情性」「静謐さ」「珠玉の名品」「ナイーブな音楽世界」「癒し系」 なるほどとは思うが、どれもが陳腐な言葉だ。
ぐたぐた言わずに静かに耳を傾けるがよい。ただゆったりと受け入れるのみ。そうすると、がさがさになった精神が、やさしく瑞々しいもので満たされてゆくのを感じることができる。非常に得をしたと感じるお薦めの1枚である。
アンドラーシュ・シフ/バッハ「インヴェンションとシンフォニアBWV772a-801」(COCO-70448)
私はシフの弾くバッハが好きだ。飾ったりひけらかすことのない、どちらかというと生真面目にも聴こえる音楽かもしれない。だからだろうか、深いところに静かにか語りかけてくれる。
バッハのインヴェンションはピアノを少しでもかじったことのある人ならば弾いたことがあるだろう。あるいは自分が弾かなくても隣に住む中学生や高校生が弾いているのを聴いたこともあるかもしれない。そんな曲だが、インヴェンションはまさにバッハを聴く喜びを感じさせてくれる曲だ。
彼はよく「グールド以来のバッハ弾き」と評される。私にはバッハを評することも、グールドとシフを比較することも適わないのだが、シフの演奏を聴くとグールドの演奏はやはり刺激的過ぎると感じてしまうのも事実である。
田部京子/メンデルスゾーン「無言歌集」 (COCO-10450)
こういう曲を聴いていると音楽を聴く至福を感じることができると同時に、とやかくレビュを書くことの空しささえ感じてしまう。
「メンデルスゾーンのもつドイツロマンの抒情性」「静謐さ」「珠玉の名品」「ナイーブな音楽世界」「癒し系」 なるほどとは思うが、どれもが陳腐な言葉だ。
ぐたぐた言わずに静かに耳を傾けるがよい。ただゆったりと受け入れるのみ。そうすると、がさがさになった精神が、やさしく瑞々しいもので満たされてゆくのを感じることができる。非常に得をしたと感じるお薦めの1枚である。
アンドラーシュ・シフ/バッハ「インヴェンションとシンフォニアBWV772a-801」(COCO-70448)
私はシフの弾くバッハが好きだ。飾ったりひけらかすことのない、どちらかというと生真面目にも聴こえる音楽かもしれない。だからだろうか、深いところに静かにか語りかけてくれる。
バッハのインヴェンションはピアノを少しでもかじったことのある人ならば弾いたことがあるだろう。あるいは自分が弾かなくても隣に住む中学生や高校生が弾いているのを聴いたこともあるかもしれない。そんな曲だが、インヴェンションはまさにバッハを聴く喜びを感じさせてくれる曲だ。
彼はよく「グールド以来のバッハ弾き」と評される。私にはバッハを評することも、グールドとシフを比較することも適わないのだが、シフの演奏を聴くとグールドの演奏はやはり刺激的過ぎると感じてしまうのも事実である。
2003年1月17日金曜日
ゲルギエフのインタビュー
amazon.co.jpのサイトを見ていたらゲルギエフのインタビュー記事を見つけた。(2002年11月22日、ロシア大使館で行われた記者会見)
彼が作曲家としてプロコフィエフが好きなことは知っていたが、彼の好きな指揮者がフルトヴェングラーであるとは今まで気づかなかった。二人はレパートリーも芸風も違うのだから少し意外な思いにとらわれた。
ゲルギエフは今年6月の来日公演ではプロコフィエフの「戦争と平和」、チャイコフスキーの「エフゲーネ・オネーギン」、そしてムソルグスキーの「ポリス・コドゥノフ」という歌劇を演じる。ゲルギエフはオケ指揮者というよりはオペラ指揮者として西欧で受け入られてきた経緯があるだけに、興味深い演目ではあるのだが、どれもこれも少しマイナーなプログラムだなあと感じてしまう。
もっともゲルギエフは「クラシックのレコード業界の何が問題かというと、この30年か40年の間に、録る必要のなかったものまでたくさん録ってしまったことでしょう。」とインタビューで述べている。確かにそうかもしれないなあと思うのであった。
そんなゲルギエフも2003年6月下旬からワーグナーの「指輪」4部作に取り組むことになっている。これも楽しみであると思う。というか、その前にはじめて聴くワーグナーシリーズでワーグナーを制覇しておかなくては・・・・
ついでだが、2月にはゲルギエフの新録音も発売される。プロコフィエフのカンタータ《アレクサンドル・ネフスキー》とショスタコーヴィチ:交響曲第7番《レニングラード》だ。タコ7は昨年の来日公演でもキーロフとN響の合同演奏で凄まじい演奏を展開したらしい。今回はキーロフとロッテルダム・フィルによる合同演奏。これも楽しみである。
彼が作曲家としてプロコフィエフが好きなことは知っていたが、彼の好きな指揮者がフルトヴェングラーであるとは今まで気づかなかった。二人はレパートリーも芸風も違うのだから少し意外な思いにとらわれた。
ゲルギエフは今年6月の来日公演ではプロコフィエフの「戦争と平和」、チャイコフスキーの「エフゲーネ・オネーギン」、そしてムソルグスキーの「ポリス・コドゥノフ」という歌劇を演じる。ゲルギエフはオケ指揮者というよりはオペラ指揮者として西欧で受け入られてきた経緯があるだけに、興味深い演目ではあるのだが、どれもこれも少しマイナーなプログラムだなあと感じてしまう。
もっともゲルギエフは「クラシックのレコード業界の何が問題かというと、この30年か40年の間に、録る必要のなかったものまでたくさん録ってしまったことでしょう。」とインタビューで述べている。確かにそうかもしれないなあと思うのであった。
そんなゲルギエフも2003年6月下旬からワーグナーの「指輪」4部作に取り組むことになっている。これも楽しみであると思う。というか、その前にはじめて聴くワーグナーシリーズでワーグナーを制覇しておかなくては・・・・
ついでだが、2月にはゲルギエフの新録音も発売される。プロコフィエフのカンタータ《アレクサンドル・ネフスキー》とショスタコーヴィチ:交響曲第7番《レニングラード》だ。タコ7は昨年の来日公演でもキーロフとN響の合同演奏で凄まじい演奏を展開したらしい。今回はキーロフとロッテルダム・フィルによる合同演奏。これも楽しみである。
2003年1月14日火曜日
小泉首相の靖国神社参拝
あれれ、というカンジだ。小泉首相の靖国神社の参拝である。大手新聞5詩の翌日の社説は、そろって靖国問題を取り上げている。
各誌は読む前からご想像の通り、朝日、毎日、日経は反対、産経は賛同という論調である。
朝日は「よりによってこの時期の参拝とは、耳を疑う」、毎日は「極めて思慮に欠ける行動」、日経は「A級戦犯を合祀(ごうし)している靖国神社に国を代表する立場の首相が参拝するのは基本的に好ましくない」と主張している。一方、産経は「この時期を選んだことについて分かりにくい面もあるが、首相として国民を代表し、戦死者の霊に重ねて哀悼の意を表しようという姿勢は評価」としているわけだ。読売は賛成も反対もしていない。「靖国問題をどう考えているのか。首相はもっと明確に語る必要がある。」と言うのみだ。
それにしても靖国である。靖国の実態については私はあまりにも無知だ。その思いをこめて昨年7月18日の意見箱に書いた。私は新聞各誌の「主張」を読み比べ、なにか核心をつかない、あるいは靴の底からかゆいところを掻いているようなもどかしさを感じる。靖国問題は歴史認識(戦争の意義と東京裁判)と憲法議論にまで直結している。直結する管の途中にいろいろな障害やら破れがあって、出るべきところから水が流れてこない。
徹底的に議論しようとせず、マスコミ事態もあきらめの気持と共に、おざなりな(各社横並びの、ほとんど主張を感じない)社説を読んでいると、彼らはこの問題に正面から向き合う気がないのだと感じさせられる。
首相と遺族会との公約ということもあるのだろうが、首相の行動は国の意思の反映であるべきはずだ。特定の団体や感情論で行動することは許されない。
靖国参拝についてのアジア諸国の反感は、決して「内政干渉」ではないと思う。日本政府の歴史認識を問いただしているのだ。占領米国主導の日本の歴史が誤りだとする論調も分からないでもない。しかし、どこかで日本政府としての統一的な見解が必要で、それを諸外国に示す必要があるのではないか。
ドイツのヒットラーを清算しているドイツ、未だにスターリンを総括できないロシア。日本にどのような路が赦されているのか。小泉首相も、隠居爺かボケ老人のようなのんきなことを言っている場合ではない。>「お正月ですし、新たな気持ちで平和のありがたさをかみしめて」
私は、原則として靖国神社参拝には反対です。靖国に参拝することが平和希求の気持であるとは受け取りま せん。現行憲法は素晴らしい憲法であり、決して米国の押し付けではない世界に誇れる憲法であると、私は信じている(そう信じるように教育されてきた)
絶対的平和主義、あらゆる武力放棄も理念としては素晴らしい。素晴らしいだけに困難さと不断の努力と勇気を伴う、非常につらい選択だ。武力装備は結果として楽な選択でしかも極めて不幸な選択だ。それにも相応の覚悟が必要だ。他人事ではないのだ。
日本には(もちろん私にも)そのどちらの覚悟もない。
靖国には行った事がないのだが、東京に行ったら今度訪れてみようと考えている。
各誌は読む前からご想像の通り、朝日、毎日、日経は反対、産経は賛同という論調である。
朝日は「よりによってこの時期の参拝とは、耳を疑う」、毎日は「極めて思慮に欠ける行動」、日経は「A級戦犯を合祀(ごうし)している靖国神社に国を代表する立場の首相が参拝するのは基本的に好ましくない」と主張している。一方、産経は「この時期を選んだことについて分かりにくい面もあるが、首相として国民を代表し、戦死者の霊に重ねて哀悼の意を表しようという姿勢は評価」としているわけだ。読売は賛成も反対もしていない。「靖国問題をどう考えているのか。首相はもっと明確に語る必要がある。」と言うのみだ。
それにしても靖国である。靖国の実態については私はあまりにも無知だ。その思いをこめて昨年7月18日の意見箱に書いた。私は新聞各誌の「主張」を読み比べ、なにか核心をつかない、あるいは靴の底からかゆいところを掻いているようなもどかしさを感じる。靖国問題は歴史認識(戦争の意義と東京裁判)と憲法議論にまで直結している。直結する管の途中にいろいろな障害やら破れがあって、出るべきところから水が流れてこない。
徹底的に議論しようとせず、マスコミ事態もあきらめの気持と共に、おざなりな(各社横並びの、ほとんど主張を感じない)社説を読んでいると、彼らはこの問題に正面から向き合う気がないのだと感じさせられる。
首相と遺族会との公約ということもあるのだろうが、首相の行動は国の意思の反映であるべきはずだ。特定の団体や感情論で行動することは許されない。
靖国参拝についてのアジア諸国の反感は、決して「内政干渉」ではないと思う。日本政府の歴史認識を問いただしているのだ。占領米国主導の日本の歴史が誤りだとする論調も分からないでもない。しかし、どこかで日本政府としての統一的な見解が必要で、それを諸外国に示す必要があるのではないか。
ドイツのヒットラーを清算しているドイツ、未だにスターリンを総括できないロシア。日本にどのような路が赦されているのか。小泉首相も、隠居爺かボケ老人のようなのんきなことを言っている場合ではない。>「お正月ですし、新たな気持ちで平和のありがたさをかみしめて」
私は、原則として靖国神社参拝には反対です。靖国に参拝することが平和希求の気持であるとは受け取りま せん。現行憲法は素晴らしい憲法であり、決して米国の押し付けではない世界に誇れる憲法であると、私は信じている(そう信じるように教育されてきた)
絶対的平和主義、あらゆる武力放棄も理念としては素晴らしい。素晴らしいだけに困難さと不断の努力と勇気を伴う、非常につらい選択だ。武力装備は結果として楽な選択でしかも極めて不幸な選択だ。それにも相応の覚悟が必要だ。他人事ではないのだ。
日本には(もちろん私にも)そのどちらの覚悟もない。
靖国には行った事がないのだが、東京に行ったら今度訪れてみようと考えている。
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