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2001年10月29日月曜日

久々の練習

音楽雑記帳でもちょっと触れたが高木綾子のCDを聴いている。聴いていて音楽が体に染み込み、むしょうに練習しなくてはならないという気になってしまった。

しばらく真面目に練習などしていない、難しいものは駄目だ。レッスンも休会しているのでノルマはとりあえずない。ということで、エチュードを引っ張り出して片っ端から吹いてみた。ケーラー、ガリボルディ、アンデルセンなどなど。できないところは相変わらずできない。しかし、何故できないのだ?とふと思った。

例えば、フルートをやった人ならば必ずやる、ガリボルディの作品131の練習曲。日本フルートクラブの巻末についているあれだ。当時できなかった運指のところではやはりつまづく。あの頃よりはマシじゃないかとは思うが、傍から見れば五十歩百歩だと思う。

そうなんだよなと、これを練習していたのはもうずいぶん前だ。でもそのときも、完全にできていなくても「では後は練習しておいて、次の曲に」という具合にレッスンが進んでいったのだ。できないところができるようになっているわけがない。あるレベルにおいては、一つの曲に時間をかけるよりも、多くの曲に接することが良いこともあるのかもしれない。しかし、いつまでもそれを続けていても、アマチュアの場合はすぐに限界にぶつかってしまうのじゃないかと思う。

どうして、このフレーズが吹けないのか、どうして指が回らないのか。なぜ、そこで息が切れてしまうのか、どうしてその音がかすれてしまうのか。さらには、どうしていくら吹いても、音楽的にならないのか。考え始めると、簡単な練習曲でも課題は多い。

難しい曲はしばらくやらないほうが良いのかもしれない。簡単な曲を音楽的に作曲家の意図したスピードで吹く。当たり前のことをしていないのだ。いくらレッスンを積み重ねても、上手くなるはずがない。

いまさら昔の練習曲を仕上げる意味があるのか疑問を感じないわけではないが、なにか一つ超えるためには今までと同じことをしていては駄目だと思い至った。でも、さらに自問する。その練習の果てに自分の目指す処はどこにあるのかと?ここがもしかしたら一番重要なんだよな。

少なくても、シドヴィルの「忠実な羊飼い」を、きちんとしたスピードと美しい装飾をまじえて、とりあえず止まらずに吹けるくらいのところまでにはなりたいものだなあ、先は長い!



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