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2002年10月16日水曜日

北朝鮮拉致被害者の帰国

北朝鮮に拉致されていた5人の方々が帰ってきた。さぞかしつらい思いであったことだろう。24年ぶりの抱擁には万感の、言葉にはできない感情が詰まっていたのだろうと思う。まずはよかったと言いたい。

しかし、この歓迎ムードに水をさすようだが、ふと思うことがある。マスコミの熱狂的な報道と私を含めたそれを見る者についてだ。報道に接するものは、報道から何を期待しているのだろう。熱烈な歓迎と帰還の喜び、あるいは変わらぬ家族愛だろうか。マスコミは多くのドラマが込められているので、ここぞとばかりに煽るように報道している。

でも、私の場合、冷たいと言われればそれまでだが、どうしても白けてしまう。皮肉な見方かもしれないが、彼女あるいは彼たちに、心からよかったいう気持が起こる反面、彼女あるいは彼らが北朝鮮に洗脳されてしまっていること、あるいは人質として家族を北朝鮮に取られている不幸な状況を、彼らの発言から読み取りたいと無意識のうちに思ってはいないか、そして、やっぱり北朝鮮は不気味で変な国だと再確認したいと思ってはいないか、と考えてしまうのだ。

最近閉幕したアジア大会での一シーンを思い出す。アジア大会には北朝鮮は美女応援団を派遣した。しかし彼女たちの不思議なそして違和感のある応援体操を見たとき、そこに北朝鮮の全体主義と総書記への絶対性に対する嫌悪に似た感情を感じた人もいるだろう。嫌悪の先にあるのは、北朝鮮は「アブナイ国」であるという認識(これもマスコミを通して喧伝されている認識だが)を新たにし、安心するようなところがないだろうか。

拉致被害者が「情報のカタマリ」という表現にもひっかかる。彼らはきちんとした人格と自我を持った人間であるはずだ。彼らは本当に不幸なのだろうか、いや不幸だったのだろうかと考えてみることは無意味だろうか。(間違いなく不幸な状況から始まったことは否定しないし、おそらく現在も不幸な状況=自由を制限された状況であるとは思う)

10月16日付のNewYork Timesは、日本の熱狂を横目に見ながらも「Abducted a Lifetime Ago, 5 Japanese Come Home for a Visit」として、帰国報道をトップページに掲載していた。米軍から脱走したCharles Robert Jenkinsのことに若干触れている点が、日本の新聞とは少し違うが論調は同じである。

拉致被害者の北朝鮮に残してきた家族が人質のようなものという点に関しては、「Pyongyang has said that the six children of the returnees did not want to accompany their parents to Japan. But in Tokyo, the Japanese grandparents said the children were being held as hostages」と言及するにとどめているようだった。

NewYork Times 記事は最後に「拉致して殺してしまう」という小泉首相の発言を紹介して終わっているが、米国にとってはどのような事件として写っているのだろう。少なくとも NewYork Times からは、悪の枢軸論を印象付ける記事という感じは受けた。ただし今の米国の主要話題は、ブッシュVSアルカイーダ(バリ島テロを含む)と連続狙撃事件である。Wasihngtonpost や Wasihington Times には拉致問題に関する記事は、トップページには確認できなかった。NewYork Times の記事が異例なのかもしれないが。(新聞は各誌のHPであることをお断り致します)

拉致問題には、第二次大戦中の日本と朝鮮の関係や補償問題、補償、拉致問題に関する歴代首相と外務省の無責任と無対応ぶり、北朝鮮脅威論と柔和策など多くの問題が絡んでいる。帰国報道のみが前面に取り上げられる報道には違和感を感じてもいる。


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