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2003年5月14日水曜日

高村薫:黄金を抱いて翔べ(文庫版)


こめかみのあたりがチリチリする。けだるく熱い空気があたりを漂う。汗とドブと血と火薬の匂いが充満して、今にも爆発寸前の男たち。

まいったなあ、高村薫の小説にはというのが本音。小説評には圧倒的な迫力と正確無比なディテルとあるけれどそんなことどうだっていい。ここに書かれているのは、男たちのがむしゃらさと、命を掛けてまで自分を追い込まないと生きていけない、ギリギリの人生だ。

端的に言ってしまえば、銀行泥棒の話しだ。ラストに向けてのプロット造りや迫真性は、かつてないほどの描写ではあるけれど、それはドラマ仕立て、書割の背景でしかないように思える。彼らが何故、銀行強盗を行おうとしたのか、銀行強盗を行った後にどんな人生を夢見ていたのか、そんなことは一切小説では言及していない。最初から「銀行強盗」それも福沢諭吉だったら、やる気はない。金塊だから、やるのさ(16頁)なのだ。最初に強盗ありきなのだ。

その強盗を何故行わなくてはならないのかは自明のことで、男たちは犯罪を犯すこと1点のために結束し、集中し、揺らぎながらも鉄のような意思のもとに決行してゆく。強盗に至る過程と主人公たちの自身と、心理の動きにこそドラマがあり、おそらく映画化したならば一番のクライマックスであろう派手な手に汗握るラストは、サッカーで言えば最期のシュートシーンでしかない。(サッカーのシュートシーンこそ重要だというならば話しは別だが)

何故に男たちは、自分を追い詰めたような人生を、必至に生きなくてはならないのだろう。何故にもっと気楽に生きないのか。そもそも彼らは何のために生きていたのか。

例えばモモ。…あんな男を殺してまで、生きる意味はないと思った。……それだけだ。(161頁)。何と冷めた自己認識であることか。そして幸田だ、生きるための仕事には、憎悪がなければならない(21頁)殺してやる……。《人間のいない土地》の次ぎに口癖だった言葉を、幸田はまた、腕の中でささやいた(154頁) 北川も、野田も、春樹も似たり寄ったりだ。自分の中で抑えきれない衝動願望を抑えている、爆発寸前のダイナマイトだ。

そんな男たちに世間並の幸福など訪れるわけはない。破滅に向ってひた走るというのとも違う、逆に破滅から逃れるために、今の自分を超えるために、爆薬庫の中に突っ込んで行く。

こういう小説は、たまらない。どことなくジョン・ウーの映画の世界を思わせる。こんな硬派な小説を書く作家が日本に居たのか。それも女性がこんな世界観を書ききるのか。ラストに少しの救いと甘さを残すところは「マークスの山」と同じだが、それがなかったら、本当に救いのない人生だものな。

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